六月十二日:御礼
雑穀煎餅やインスタントラーメンが出来上がったのは私が転生者であり、脚気や食品に関する知識をそのまま持ち込んで作った結果、出来上がったのだ。
そのことを明治天皇に打ち明けるべきかもしれないが、未来からやってきたと言ってもそれを信じてもらえる自信はあまりないのだ…。
言葉を選びながら、私は明治天皇に雑穀煎餅、インスタントラーメンを作った経緯を話し始めた。
「雑穀煎餅ですが………雑穀煎餅を作るきっかけになったのは、横浜にいた時に米屋の店主から聞いた話で、雑穀煎餅を作るきっかけになりました。店主曰く白米よりも稗や粟などの雑穀類を多く取っている農民は、脚気になる事例があまり報告されていない…もし店主の言っていることが事実であれば、江戸患いと呼ばれている脚気の原因が白米を過剰に摂取したことによって、栄養が偏りすぎているからではないかと…そう思って雑穀煎餅を作ったのです」
「ふむ、脚気に関しては以前に海軍軍医総監から白米の取り過ぎでなりやすいと説明を受けたことがある…麦飯を食べた者の脚気発症率が大幅に減った結果を踏まえて麦飯を軍に大々的に導入すると申しておったな」
海軍軍医総監とは、恐らく高木兼寛のことだろう。
当時陸軍では脚気は細菌感染症だと思われていたので、高木が行っていた麦飯では兵士の力が出ないと言って双方が反発する事態が生じていたらしい。
まだビタミンが発見されていないので、そうした反発も無理もないが、森鴎外などはドイツ医学を参考に兵士に白米をたくさん食べさせて元気にさせれば問題ないと結論を出していた。
しかし、それは間違いであり、白米ばかりの食事を食べていた陸軍兵士で脚気患者が続出し、日露戦争では病死者の多くが脚気患者であったというデータがあったはずだ。
今ウィキペディアという便利な辞書はないので、うろ覚えだが…。
「白米は美味しいですが、帝都の庶民の多くは白米をたくさん食べておかずが少しだけという生活を行ってきた結果、本来採るべき栄養が偏ってしまい、その結果脚気を患いやすくなったと考えております。麦であれば食物繊維を多く取れるので白米よりも栄養が多く取れます。そして雑穀類は体の力をつけるうえで欠かせない存在ですからね、肉が食べれない兵士も少なくないと聞きます。肉の代わりに雑穀類と人参や玉ねぎなどを入れた汁物を食べれば病気になりにくい身体づくりができるでしょう…雑穀煎餅を作ったのも、脚気予防になると思い作った所存でございます」
「ほう…米屋の店主の話を聞いたのを参考にして作ったのか…なるほど、そのお蔭で脚気患者も大きく減ったのか、…脚気患いは徳川幕府の代から多くの国民を苦しめてきた病の一つだ、その一つの病に対して陸海軍が協力して対策を打ち出すきっかけになったのだ…朕としても、良い知らせであったからな。誠に大義であった」
「ははっ、ありがとうございます」
明治天皇から直接お褒めのお言葉を貰うとは思ってもみなかったので、反射的に頭を下げた。
明治天皇も脚気などの病に頭を悩ませていたという。
というのも、明治天皇の息子である皇太子嘉仁親王殿下(後の大正天皇)が幼年期のころから体調に優れず、病気がちであったからだという。
現在は貴族院議員として在籍しているそうだが、やはり健康状態があまり良くなくて、静養しながら職務をこなしているという。
「嘉仁は、昔からなにかと病を患いやすくてな…医者に容態を伺わせても良くなったかと思えば悪くなるの繰り返しでな…嘉仁に叱咤激励するか熱海で静養させてやれるぐらいしか出来ない…が、君が作った雑穀煎餅や即席めんを食べるようになってからは、少しずつだが容態も良くなってきている。特に、即席めんにネギと刻み海苔とゆでたまごを乗せたのが一番気に入っているそうだ。朕も、嘉仁が寝込んでいる姿を見るよりは嬉しそうに食事をしている姿を見ているのが一番嬉しいのだ。君には本当に感謝している…ありがとう」
即席めんを食べるようになってから皇太子殿下の容態が良くなったという。
明治天皇としては、ご自身の息子である皇太子殿下の容態回復が何より嬉しかったようだ。
そうした結果、私が呼ばれて今こうして直接お礼を言われたのだ。
しかし、私は正直に言わないといけないのだ。
その即席めん…インスタントラーメンは本来であれば…あと半世紀後に誕生するはずだった商品なのだと。
私は意を決して陛下に真実を話したのだ。




