アジアの夜明け:横浜戦争
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午後8時すぎ。
横浜市内は騒然とした様子であった。
陸軍一個大隊と憲兵隊が大勢やってきたのだ、それも行政への予告通知などもせずに。
憲兵隊が大隊に指示を出して指定された場所の包囲網を着々と完成させていく。
そして横浜港には海軍の海防艦が数隻展開し、港から逃亡しようとする者を逃さないように陸軍と協力して犯罪者一斉捕縛への協力が実施されたのだ。
陸海軍が一体となった協力体制の訳には、やはり身内に武器密輸に関わっていたものが少なからずいたことが判明したのと、横浜の警察の上層部が犯罪組織に取り込まれているという決定的な写真つきの情報によって、警察による捜査では情報が漏洩する恐れが生じた為である。
その結果、陸軍憲兵隊と歩兵一個大隊が楼宮貿易会社とYOKOHAMA日英国際貿易会社のみならず、神奈川県県警察本部、組織に関わっていた市議会議員の自宅、賭場、両社が保有している倉庫の強制捜査を行い、海軍は万が一に備えて港から逃亡を図る商船の臨検を行うということで手筈が整ったのだ。
憲兵隊と大隊が包囲を完成させた午後8時20分、各持ち場についていた憲兵分隊長が建物に押し入って関係者を次々と拘束しようと躍起になっていた。
県警本部では、まさか陸軍が大勢やってくるとは思っていなかったらしく、立番の警察官が憲兵分隊長に訳を問いただそうとすると、憲兵分隊長は大規模な犯罪組織に警察本部の上層部が関与していると告げて、県警本部に突入していった。
二十六式拳銃や軍刀で武装した憲兵がどかどかと押し入って、犯罪組織グループから資金などを受け取って犯罪を見逃していた悪徳警察官達ら17名を逮捕した。
県警本部のナンバー2である寅田警視正を中心とする神奈川県警の上層部が一斉に逮捕されるという異常事態となった。
同時に、楼宮貿易会社とYOKOHAMA日英国際貿易会社本社に乗り込んで反政府運動並びに武器密輸の疑いで強制捜査が行われようとしていた。
彼らが手駒にしていた横浜の警察は既に抑えられている。
大人しくしてくれると有難いと思っていたが、実際はそうはいかなかった。
彼らは悪事が発覚したと分かった途端に、小切手や脱出用の非常用資金などを持ち出して部下たちに武器を持たせて憲兵たちの足止めを行うように命じた。
部下たちはアメリカから密輸したガトリング砲を建物の外に待機していた憲兵達に向けて乱射し、武装した用心棒達は三十式歩兵銃やナガンM1895拳銃などで発砲し、陸軍との戦闘を勃発させた。
銃撃戦が始まると、現場にいた部隊では対処しきれない事態になったため、伝令兵を使って増援を要請する。大隊の指揮官は相手がガトリング砲まで持っているとは思っていなかったようだが、それでも増援要請を承諾して二個中隊を新たに派遣し、建物を取り囲むようにして四方向から建物を包囲し、一箇所ずつ制圧を開始した。
三階建ての建物は頑丈であり、制圧は容易ではなかった。
遮蔽物などを利用して弾薬がある限り用心棒たちは発砲を続けた。
銃撃戦は夜が明けるまで続き、最終的に銃撃戦が終了するまでに10時間を要した。
憲兵18名、歩兵98名、会社側で応戦した者107名が死亡し、負傷者は500名以上を出した。
身内を殺された陸軍は怒り心頭で銃弾が尽きて投降した用心棒たちを袋叩きにして捕縛した。
市議会議員の自宅や賭場では殆ど抵抗は無く制圧は容易であったが、倉庫では会社同様に武装した用心棒たちによって銃撃戦に発展した。
その際に、陸軍側が放った銃弾が倉庫に備蓄されていた野砲の砲弾に当たり、砲弾が引火して倉庫が大爆発をおこした。
倉庫に突入した憲兵や歩兵、そして会社が雇った用心棒たちを含めて76名が死亡、240名以上が重軽傷を負った。
そして、楼宮貿易会社とYOKOHAMA日英国際貿易会社の重役連中は船で逃亡をしようと目論んで黒塗りの小舟で人目を掻い潜って横浜湾から脱出できるあと一歩のところで、海軍の海防艦に発見されて警告を無視して逃亡を図ったために、小舟に向けて水兵が銃で8発ほど発砲した、二名が死亡し、楼宮貿易会社社長とYOKOHAMA日英国際貿易会社の社長の二人は両手を挙げて投降し御用となった。
横浜市を巻き込んだ一連の騒動は、犯罪組織の武装が予想以上に整っていたことと、死傷者の数が800人以上に膨れ上がったことにより、二日後の新聞一面で【横浜戦争】と称されるほどの被害をもたらしたのだ。この事件をきっかけに、短機関銃に匹敵する近接武器の開発が軍部で急務となった。




