阿南家:SOBA
ボウルと泡立て器…さらにおたまに煎餅を作る上で欠かせない取っ手の付いた平らな鉄板を二つ買った私はそれらを包んでもらい店を後にした。
家にあるかまどを使って煎餅を作ろうと思ったが、かまどでは焼き加減が分かりずらい上に、煎餅を作るには材料を平たくする必要があるので鉄板で焼くことにしたのだ。
鉄板はあまり大きくないので、焼けるのも精々小さい煎餅が10枚程度だけど、売れてきたらもっと大きいのを買えばいいんだ。
雑穀米だがソバなどをふるいにかけて混ぜ合わせ、それらをすり潰して粉末にしたものをベースに煎餅を作った方がいいな。
栄養があっても味がダメでは話にならない。
それぞれ何種類かの雑穀を購入して、組み合わせや調合量を確認したほうがよさそうだ。
色んな雑穀を購入する必要性が出てきたが、財布の中のお金はまだ3円もあるのでまだまだ余力がある。
それらを買っても財布には2円は確実に残るだろう、ううむ…会社に入った時のように頭で考えて分量や調合の組み合わせなどをメモに書かないと…。
家に帰ったら白紙に書いておくか。
色んな事を考えながら、街中を無作為にぶらぶらと歩いてていたこともあってか、時間がけっこう過ぎていたようだ。
お昼の時間ということもあってか、沢山の人がのれんを潜って飲食店の中に吸い込まれていくように入っていく。
客層の殆どは一般庶民だ、スーツを着ている人間は殆どいない。
2020年代であれば、洋服やスーツ、それに作業着を着た人などが昼時に飲食店を利用するが、今は明治時代…ラフな着物を着ている人の数のほうが圧倒的に多く、私も今着ている服装は外行の服も着物だ。
麻の葉で出来た着物なので通気性が良く、余り暑さを感じない。
「うむ、いい買い物もできたし…あとは腹の虫を抑えることにしようか」
先程からお腹がギュルルルルと派手に音を鳴らしてご飯を欲しがっている。
腹が減っては戦は出来ない。
しかしながら…どこの飲食店も人だかりが出来ているな。
店の前に一列に並んで順番待ちをしている所もあれば、全く人が来ないので店員が客引きをしている店まで様々だ。
私のいた時代では、繁華街で客引きをしている店は大抵がぼったくり商法をやっている違法店舗だったり、ヤクザや外国人犯罪組織のシノギとして使われているイメージが強いので、客引きに対しては私個人としてはあまり良い印象を受けない。
「そうだな、ぶらりと入ってみるのも悪くない…このお店にするか」
ぶらりと私が入ったお店は蕎麦屋だった。
入った理由だが、蕎麦の良い香りがしたからだといえばいい。
店内ではすでに数名が畳で敷かれた場所で蕎麦を啜っている。
ズルルル…と美味そうに蕎麦を食べている。
私もせっかくなので畳の上に座って注文表を眺める。
たぬきそばにきつねそば…冷ざるそばもあるのか。
温かい蕎麦と冷たいつけそば…。
温かい蕎麦は5銭…冷たいつけそばが7銭で注文できるようだ、さらに天ぷらや大根おろしなどのトッピングもオプションで付いてくるようだ。
うーむ、どちらも美味しそうなのだが、どれを注文するべきか悩んでいると、明るい女性の声が耳元で聞こえた。
振り向くと、ウェイトレスの袴姿の女性が温かい煎茶の入った湯呑を私の前に置いて注文を伺ってきた。
「ご注文はお決まりでございますか?宜しければお伺いいたします」
「ええ、では…きつねそばを一つお願いします」
「かしこまりました。きつねそばお一つ…ご注文でございます!!」
あれこれ悩んだが、きつねそばを食べることにした。
いつまでも待たせていてはウェイトレスにもお店側にも迷惑を掛けてしまうからね。
先程購入した道具を足元に置いて、煎茶を飲みながらきつねそばが出来上がるまで待つ。
待っている間に、私はこのお店からそば粉を幾つか購入できないかと思った。
そば粉が一キロ当たりの価格が不明であるので、今はまだ何とも言えないが…先程のウェイトレスの女性も悪い感じの人ではなさそうだ。
一キロ分のそば粉を購入したいと支払いの時に言えば問題はないだろう。
幾つか若干古めのそば粉なら格安で購入できるかもしれない。
煎餅を作る上で雑穀の風味を効かせるパンチ力がある粉になると思っている。
待つこと10分あまりできつねそばが出来上がった。
ウェイトレスが盆にきつねそばの入った丼を乗せて目の前に膳と共にゆっくりと置かれた。
「きつねそばです~熱いのでお気を付けてお食べください。ではこちらに注文書を置きますのでお会計の際はお呼びくださいませ」
ウェイトレスの女性はそう言って別のお客さんの注文を聞きに行くために去っていった。
目の前にあるのはふっくらとした油揚げが蕎麦を押しのけるように置かれており、さらにその周りにはネギとワカメ、かまぼこが色とりどりに乗せられていた。
見るだけでも美味しそうだが、箸を手に取ってゆっくりと油揚げを口元に近づけて、ふーっ、ふーっ、と息を吹きかけて冷ましてから口の中に放り込んだ。
そばつゆを染みこんだ油揚げは実に美味しい。
これだけでも素晴らしいが、さらに私はこの油揚げを少しだけ箸で正方形に切って蕎麦を包ませるようにして食べたのだ。
蕎麦の食感と油揚げの上手さが口の中で見事にマッチングしている。
うーむ、これは本当に旨い!!!
私は箸を休ませることなく、丼を持ち上げるように蕎麦を無我夢中で頬張った。
江戸っ子にも負けないぐらいの啜る音を出しながら蕎麦を食道に流し込んでいく。
そばつゆの温かい汁が胃の中の粘膜を守りながら蕎麦と油揚げ、さらにはネギ、ワカメ、かまぼこなどを噛みしめながら味わう。
この明治時代に来て、初めて…心の底から美味しいと思う食事を取った。
母さんは私のことをずっと育ててきた「阿南豊一郎」として扱っているが、食に関して言えば馬鹿一郎や次郎が文句を言わないように粗食でやり過ごさせてきているのもまた事実だ。
こっそりと握り飯などをくれるのは有難いが、あれだけ白米や麦飯ばかりだと本当に辛くなる。
蕎麦を食べ終えて、気が付けば私の丼をいっぱいに埋め尽くしていた油揚げや蕎麦、そして出汁は跡形もなく無くなっており、空になった丼だけが鎮座していたのであった。
蕎麦の中でも一番好きな蕎麦はおろしそばですね。
あと、小生が学生の頃はスーパーで塩分控えめの蕎麦を買って、丼に茹でた蕎麦を乗せて刻みネギ一パックをその上にぶち込んで、さらに天かすをまぶし、わさびチューブでぎゅっと一捻り出した上に、そばつゆをぶっかけた冷やしネギマシマシ天かす蕎麦というオリジナルメニューを作ってよく食べてました。
だいたい500円以内で出来上がるので安上がりで、美味しい蕎麦が出来上がるのは嬉しかったですね。