白熊の野望:南下
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西暦1898年(明治31年)11月4日
今朝の新聞には日本軍が香港を完全に奪取し、香港から上清帝国所属の仁義会の完全制圧に成功したニュースが飛び込んできている。
乃木中将は砲兵を巧みに利用した火力制圧作戦を展開し、沖合では大英帝国海軍と日本海軍が連携して地上への砲撃支援を積極的に行った結果、北区の市街地に立てこもりゲリラ戦を行っていた仁義会の最後の部隊が投降した事により、香港の安全は一先ず確保された。
また、イギリスの植民地であるインド軍が日本陸軍と現地で合流後、展開して香港から広州に向けて逆侵攻を開始している。
その侵攻理由は、仁義会メンバーの積極的な自供によって上清帝国が戦闘を仕掛けてきたことが挙げられる。
仁義会は反英感情に駆られた者たちによって、北区内に在住し仁義会から逃げ遅れたイギリス人に対して数々の狼藉行為を行ったこともイギリスを怒らせた。
住宅に押し入って現金や宝石を奪うのは序の口であり、女性に対する暴行や私的制裁を行い、ボロ雑巾のように僕殺されたイギリス人の死体を街頭に吊るし上げて、足や腕などをそぎ取るといった行為が各所で頻発したのだ。
それだけ反英感情を持っていた一般市民が仁義会の誘導によって暴発していったのだ。
アヘン戦争、それに続くアロー戦争等によって清国は列強諸国に敗北し、白人によって阿片売買すら役人が黙認するようになり、国民の大部分は国家に対して失望していたのだ。
その強い失望感を後押しするように日清戦争で日本に大敗した清国に見切りをつけて、白人達を追い出そうという外国人排斥運動が活発化していた。
その運動を支持していた仁義会には大勢の支持者がおり、それに民衆が賛同して兵士として香港に侵攻していったのだ。
さらに、仁義会は志願した市民に薬物を投与させて興奮状態で突撃させているのは日英両軍は知っていたが、その中には仁義会への参加を拒んだが無理やり薬物を投与されて突撃させられた者がいた事や、仁義会が未婚の女性に対して奉仕を強要し、これを拒んだ女性を上清帝国に忠誠を誓うことを拒んだ反逆者として殺害するという鬼畜行為に及んでいたことも自供で判明したのだ。
特に、イギリス大手新聞社のロンドン・ジャーナルタイムスの新聞記者による仁義会の狼藉の痕跡を示す写真が掲載されると、欧州各国は次々と上清帝国の行為を批難した。
また、香港侵攻を受けてイギリス議会は上清帝国の武装組織によって香港で大勢の市民や兵士が犠牲になったと非難し、圧倒的多数決によってイギリスは軍の派兵を決定、同時に上海に拠点を置く清国正統政府への軍事的支援を正式に表明した。
日本帝国も同様に、武装組織による卑劣な行為を議会で批難すると同時に在留日本人保護の名目で陸軍をさらに1個師団派兵することが決定した。
日本国内の反応は上清帝国討伐すべしの声が高まっている。
また、中華街にいる華僑の人々も上清帝国の仁義会による狼藉行為が明らかになると、上清帝国に見切りをつけて清国正統政府への支持を表明した。
これだけの事をされた上に、外交上マズイ事態になっているのであれば普通は講和ないし和睦を持ちかけるだろう。
しかし、上清帝国はそのようなことは一切しなかった。
逆に、仁義会の狼藉行為は偽装されたものであり、イギリス軍による自作自演行為であるとシラを切ったのだ。
イギリスや日本から侵攻を受けているのに、なぜここまで強気なんだと呆れていたのだが、新聞を読んでいると蒼龍が玄関で訪ねてきた范さんと会話しているのだが、その表情は良いものではなかった。
暗い顔をしてマズい事になったと言わんばかりに、少し震えていたのだ。
どうしたのかと尋ねると、蒼龍は衝撃的な言葉を発したのだ。
「大変じゃ阿南殿、白熊が南下を始めたそうじゃ…上清帝国はロシアを手を組んでロシアの軍隊で短期決着を付けようとしているようじゃ…」
”大本営より報告”
閣下、大本営より連絡がありました。
”私による近代日本改革記”
の作者にて動きがあった模様です。
”オーバーラップWEB小説大賞への応募”
に対して
”応募規定を満たしていたので、折角だから俺も応募してみる”
が発生したとの事です。




