成長戦略:航空理論
それでも変則商社はまだ国内の大手財閥企業から見ればひよっこに過ぎない。
前世の記憶で私の知っている限りでは日本三大財閥の三菱、三井、住友の三社は、おそらく一般でも名前を知っているぐらいには有名だろう。
戦前から日本を支えていた国内でも大企業として名高く、日本の経済を支えた主力企業である。
戦後日本を占領したGHQによる財閥解体後も、財閥から独立した企業がグループ提携などを通じて財閥の名前を残しており、戦後の日本の高度経済成長期からバブル経済期にかけて世界中に自動車などの製品が輸出された。
そして転生する直前まで、その企業の名前を知らない人はいないほどに有名だ。
現在、これらの大手財閥は鉄鋼や製鉄所…炭鉱や港を保有しており、民間の中では最大の財閥を築き上げている。日本国内においてはこれらの三大財閥の力が圧倒的である。
だが、まだこれらの企業が着手していない産業がある。
それは航空関連の産業である。
1903年にライト兄弟が飛行機で空を飛んでから、制空権の重要性を認識している者は軍人の中でもごく限られた人物のみであった。
空を制するものは陸海をも制す…それが躊躇になったのは第二次世界大戦だ。
第二次世界大戦時に日本軍は戦争終盤になると石油や資源の枯渇によって稼働率が低下し、制海権のみならず制空権を掌握した米軍の長距離爆撃機B-29によって一方的に都市部に焼夷弾を投下して我が物顔に日本を焼き尽くした。
そして戦争のトドメに広島と長崎に原子爆弾を投下して日本の空を完全に手中に収めたことを日本の軍部に見せつけたのだ。
だが、当時の日本軍もただ黙って街が破壊されるのを見ていたわけではない。
高高度を飛行するB-29爆撃機を撃墜するべく、局地迎撃戦闘機「震電」やジェットエンジンを搭載した「火龍」「橘花」などを開発していた。
しかし、これらの機体は試作段階もしくは完成間際で終戦を迎えた為、実戦を迎えることなく米軍から日本の空を守ることが出来ないままになってしまった。
しかし、日本軍は連合軍が予想だにしていない攻撃方法を編み出して彼らを苦しめた。
それが神風攻撃…表向きは国家存続の危機を救うべく、自発的に行われた攻撃であったが、戦局が絶望的になった1945年からは集団部隊による神風攻撃を軍部が主導して推し進めた。
この攻撃方法は十分に訓練を受けていない新兵でも行える上に、その行動は自殺を嫌厭していたキリスト教中心とするアメリカから見れば、自ら死ぬことを前提とした攻撃方法は狂気の沙汰としか思えず、特攻戦術は物量作戦を展開して太平洋から侵攻してくる米軍に対抗できる唯一の攻撃方法であった。
特攻隊に参加した彼らパイロットの多くは愛する家族や恋人を守る為に、生まれて間もない自分の子供を守る為に、そして生き残った者に希望を託して対空砲火の弾幕を潜り抜けて敵艦への自殺攻撃を行ったのだ。
これらの特攻作戦に関しては近年の研究で、米軍に多大な損害を被っていたことが判り、本土決戦となれば数千機もの特攻機を繰り出す予定であったともされている。
そして神風特攻隊のパイロットが遺族に宛てた手紙の多くに、自分の家族に対してそれぞれの想いを綴った文章が今日博物館などに残されている、
これらの事実を踏まえた上で、第二次世界大戦は第一次世界大戦以上に空の戦いで戦局が大きく左右される戦いとなった。
特に太平洋戦争においては真珠湾攻撃や日本の戦局の転換期となったミッドウェー海戦を踏まえても、航空機による戦術は陸や海の作戦に大きく左右されることを示すものだ。
地上や海上からではなく、全てを見渡せる空からの攻撃は絶大だ。
空を制するものは全てを制する。
兵士の命を一人でも多く守る事を軍に理解させないといけないのだ。
そして、私は来年までには陸海軍に協力を呼びかけて「日本空軍」を設立することを本年度の目標としているのだ。




