阿南家:朝は思っているよりも大変だ
西暦1895年(明治28年)4月26日午前6時
…太陽が昇るのと同時に、私は身体を起こして井戸から水を汲み上げて、その水で洗顔を行う。
この時代は上下水道が本格的に作られていない…現代のように蛇口を捻って水が出るようになるのはまだ一部の富裕層や東京のごく一部だけだ。
基本的に水が飲みたい時は井戸で水を汲む。テレビで資料映像や時代劇でよく井戸から水を汲み上げる場面…あれは思っていたよりも大変だ。
釣瓶と呼ばれる桶を井戸に投げ込んで、それを滑車を使い引っ張って汲み上げる。
この桶に入ることができる水の量は大体4リットルが関の山だ。
料理や洗濯をするときは何度も桶を使わないといけないので、この作業だけで手が疲れる。
蛇口を一捻りするだけで水が出る現代の生活がどれだけ有難いが身をもって知った。
せめて手押しポンプ式の井戸であれば水をドバドバと出すことが出来るのだが…。
あれが日本で普及したのは第二次世界大戦後だったはずだ…。
井戸もそうだが100年前の生活というのは現代の感覚とは違い、非常に苦労するものだ。
私が個人的に日常生活でキツイと感じているのは、まだ水洗式のトイレがないということだ。
洋式便器も外国人居住区や政府の主要施設のみに設置されている…ので、私のような一般庶民が利用するのはオーソドックスな和式便所である。
それもただの便所ではない。
う●こをしたくなったら汲み取り式便所…(通称:ぼっとん便所)で力んでするのだ。
汲み取り式の便所は…文字通り、大便を出したらそのまま下に貯めこむスタイルの便所…なので大便が溜まってすごくアンモニアの臭いが鼻を突き刺すぐらいに臭いのだ。
洋式であれば姿勢も楽になるのだが、和式な上にウォシュレットもない。
だからお尻の糞切れが悪いときは、硬くて正方形に分けられた拭き紙でケツを念入りに拭かないといけない。
これがすこぶる痛い、本当に痛い。
ケツの出口が炎症を起こして痔にじゃないかと思うぐらいに痛いんだ。
だかといって拭くのを疎かにするとふんどしに…う●こが付着する恐れがある。
現代のトイレットペーパーはまさに神器といっても過言ではない柔らかさだった…もし現代の物を一つだけ取り寄せることが出来るのなら、私は日本製の柔らかい高級トイレットペーパーを希望したい。
そのくらいにキツイのだ。
よくタイムスリップものの小説で、主人公の人間がトイレに追求する場面が余りないのは何故だろうか?
本を読んでいる時に飲食をしていたら…ということを想定して作者が意図的に執筆するのを拒んでいるからだろう。
汚い話をしたくないからだろうか…特に読者が女性の場合はこういう下の話は嫌いに思うからだろうか。よく知り合った仲でもそういう話を不用意にしてしまうと嫌われる原因になる。
うむ…確かに汲み取り式便所は臭いし、これ以上あまり詳しいことは私も言いたくないので黙っておくことにしておこう。
洗顔を終えて、まず最初にやるべきことは朝の掃除だ。
廊下と商店の店内での清掃は手っ取り早く片付けるのが一番である。
あまり時間を掛けていると一郎がグチグチ文句を言いだすから箒で手っ取り早くサッサと埃を外に払う。
埃を払っていると、ドカドカと二階から誰かが五月蠅い足音を立てながら降りてくる。
おそらく一郎だろう。
彼は誰かが寝ていようがお構いなしに音を立てていくような奴だ。
さっさと掃除を終わらせて、母さんが作ってくれる朝飯を食べてしまおう。
埃を外に払い終えてから、朝食を食べる為に居間に向かうと既に私以外の家族は飯にありついていた。
今朝の朝食は、私を除いて白米と白身魚、ほうれん草のおひたしにネギの入った味噌汁だ。
一方の私はといえば、麦飯とネギの入った味噌汁のみだ。
ああ、できることなら揚げ豆腐を食べたい。
これに揚げ豆腐があればおひたしにピッタリな上に日本酒やウイスキーといったアルコール度数の高い酒にもぴったりな料理に変貌できるのだ、ああ…せめておひたしだけでももらえないだろうか。
私が座って食事を取り始めると、一郎が私に嫌味ったらしく話しかけてきた。
「豊一郎よう…最近のお前は以前にも増して生意気になっているそうじゃないか、親父に俺の事をグチグチ言い出したそうじゃないか…俺の事が気に食わないのか?」
「ええ、一郎兄さんは少々気が触れている部分が目立ちすぎます。いい加減直したらどうです?そんなことやっているから商店の切り盛りも私が殆ど一人でやっているではありませんか、貴方がいなくても商店は回ります。私が気にいらないのであれば商店のお仕事は一郎兄さんが全てやっていただいて下さい」
私も朝のささやかな時間に、嫌な奴と喋るのは大っ嫌いだ。
それに口を塞がずに開けたままべちゃくちゃ喋りだすからご飯粒が私の顔に掛かった事で、私の心にも火が付いた。
だから事実をぶちまけて一郎に啖呵を切ってやった。
正論をぶちかまされた一郎は、顔を真っ赤にして箸をちゃぶ台に叩き付けると私に怒鳴り始める。
「さっきから聞いていればごちゃごちゃ言いやがって!!お前は俺の指示を出さないと動けないじゃないか!!兄を侮辱するんじゃない!!!俺のお陰で商店をやっていけているのだろうが!!!」
「ほう…では朝から酒瓶に口を付けて呑んだくれて正常な判断が出来ない状態で、人の頭をぶん殴るような人が商店をやっていけるのでしょうか?昨日も商店にやってきた小学生に酔った状態で絡んでいたではありませんか。あんなことをすれば客が遠のいていくのは猿でもわかりますよ。そこまで一郎兄さんに商店を切り盛りする自信があるのであれば、今日は一郎兄さんに店番をお任せしますね。無論できますよね?一郎兄さんであれば出来ますよね?」
一郎に反撃の隙を与えない。
封じ込めと事実追求、そして今日の店番できるかな?と挑発してやったのだ。
一郎の両手には既に拳が握りしめている状態だ。
すると父親が出てきて、一郎を宥め始めた。
「一郎と豊一郎…そこまでだ、ここ最近豊一郎も仕事を真面目にやっている訳だし、たまには休みをやってもいいだろう。今日ぐらいは一郎が店番をやりなさい」
父親の介入によって一郎はブツブツ文句を言いながら承諾したようだ。
働き続けて一週間あまり、ようやく休日が取れたようなものだ。
明治時代の横浜の町を散策することが出来る、幸いというか私は母さんから1円紙幣が五枚入った
がま口財布を渡されて「これで好きなモノでも食べなさい」といって好きに使っていいと言われたいのだ。
私は上機嫌で服を外行のものに着替えてから外に出たのである。