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阿南家:さっそく家庭の問題が浮上した…

西暦1895年(明治28年)4月25日 



ここは横浜…。まだ近代的な高層ビル群が生えていない、いや、コンクリート建築の建物すら稀だ。

明治時代の同姓同名の少年の身体に精神転移とやらをしてしまった私こと、阿南豊一郎は転移して一週間足らずで早速家庭環境の問題に直面した。

明治時代(こっち)に来て早々の家庭環境の問題…それは、私がこの家の中で母親を除いて孤立しているという致命的な問題である。

というのも、母さん…こと「阿南きよ」と今の私の父親である「阿南草摩(そうま)」は互いに夫と妻を流行り病で失い、その結果お見合いをして再婚した間柄なのだ。

両家ともに苗字が阿南で元々武士の家系だったこともあり、親族への面子メンツも効くので再婚は難なくいったようだが…私が家族の中で孤立した原因は父親の子供が主な要因だった。



父親の草摩には子供が二人いて、それぞれ「阿南一郎」「阿南次郎」という名前だ。

この二人は私よりも3つから5つほど年が上で、今年になって二人とも旧制中学校を卒業し、一郎は草摩の家仕事である商店の手伝いを担い、次郎は横浜に移住したイギリス人が設立した貿易会社に新入社員として入社したのだ。

ここまで聞けば二人とも、特に次男は新興企業の中でも高給取りの会社に入れたので世間体で見れば真っ当な…いや、エリートだと思われるが実際はそうではない。



この一郎と次郎という人間は、元々喧嘩ばかり明け暮れていた不良であり、一郎に至っては喧嘩が原因で相手の左耳に大怪我を負わせてしまい、学校を一年間停学処分された身でもあるのだ。

さらに勉学も殆ど出来なかったので更に一年間留年し、卒業が二年も遅れて次郎と一緒に卒業したのだという。

一郎は他に行くところもなかったので父親の草摩の手伝いを名目上はやっているが、実際彼は真面目に手伝いの手の字もやってはいない。

正直言っていないほうがマシである。



なぜ、そんなことを言いきれるのかと言うと、私にばかり商店の仕事を押し付けてくるからだ。

倉庫の在庫確認、商店の陳列整理、呼び込み、会計等々…大学生時代にコンビニのアルバイトをしていた頃よりも大変だった。

なにせ、コンビニであればまだ他のアルバイトとの交代の時間があったり、アルバイト社員割引で消費期限の近い飲み物や産廃予定の弁当を貰って飲食したり、冷暖房の効いた場所で作業を行えるから外で作業工事などをするよりは楽な仕事かもしれない。



しかし、それは一郎が手伝いをしていたらという前提条件がある訳であって、当の一郎は手伝いもせずに昼間から冷酒やら焼酎やらを飲んだくれているアル中な上に、ちょっとでも気に食わないことがあればすぐに私に八つ当たりをしてくるのだ。

その理由の殆どはどうでもいい理由からだ。

特に酷かったのは一昨日おとといの昼頃に、一郎が酔いながら商品の陳列が2ミリほどズレていると指摘し、指摘したかと思ったらいきなり大声で怒鳴り散らして右の頬を拳でぶん殴ってきたのだ。



殴られた時に、私はどうすればそんなくだらないことで人を殴るのかと、殴られたことに対する怒りよりも一郎の人間性が壊滅的に滅茶苦茶な事に驚いた

そして父親はその光景を見ていても一郎に何も注意しないのだ。

父親が注意しないのを見ていると、日頃からあまりにも衝動的に怒るので慣れてしまっているのだろう。

それを察するにきっと一郎は元から頭がおかしいのだ。

怒りすら制御できない頭が非常に残念な上に可哀想な奴だと思うようにして、私は一郎への怒りを鎮めているのだ。



次郎はそんな一郎よりは少しはマシな人間だ。

いきなり殴るような奴ではないし、まだ一郎よりは話が通じる。

しかし一郎も次郎に負けず劣らずの人間性を持っているのだ。

というのも、この次郎という奴が入っているイギリス人の新興企業「YOKOHAMA日英国際貿易会社」…この会社のオフィスは横浜の港の一角にある三階建ての雑居ビルと倉庫を所有しているようで、夕方から深夜にかけて企業間との会合や取引などに使っているそうだ。

表向きはイギリスからの機械の輸入などを請け負っている会社のようだ。



しかし、その会社が所有する倉庫では夜になると刺青いれずみを施した怖い人達を雇って見張りなどをしているらしく、近所の人の噂に聞いた話では阿片あへんや拳銃などを売りさばいているのではないかと言われている。

次郎も両腕に鯉の刺青を入れているので、ほぼ間違いなく次郎がしている仕事は見張りかヤクザまがいの仕事だろう。

企業にとって不適切な人間、密告者などを裏切り者を私刑リンチした上に海に沈めるだけの簡単なお仕事…。

実際に次郎は夕食の時に、兄である一郎に「気に入らない奴を容赦なくぶっ飛ばせることが出来る会社に入らないか?」と夕食時に上機嫌で誘っていることがあった。

兄弟そろってヤクザもんになるのは勘弁してほしいと思ったが、幸か不幸か一郎は乗る気ではなかったようなので、その時は会社に入るのを断っていた。



そんな一郎や次郎とも会話に馴染むことはできず、父親である草摩との仲もあまりよろしくはない。

草摩は、これといって隔てた才能もない上に、商店を切り盛りしているとはいえ、商店の雑務ばかりを私にばかり押し付けてくる。

一度、それに対して一郎をもっと叱れないのかと尋ねたが、一郎が怒るのはお前の為だと思って怒るのだと言って聞く耳すら持っていない。

妻の連れ子には教育など不要、商店の手伝いとして雇われたようなものだとつくづく思った。

つまり、父親やその子供にとって私という人間は使いとしての役割に過ぎないというわけだ。

食事も差別されている。



草摩、一郎、次郎の食べる食事はおかずの量も多く、白米や肉、魚などの美味い部分が盛り合わせているのに対して、私の飯といえば麦飯と漬物程度だ。

たまには肉を食わせろと言いたくなったほどだ。

しかし前世ではスーパーに行けば気軽に購入できた輸入牛肉も、ここではそうはいかない。

冷凍技術がまだ発展途上であり国産牛肉しか持ち運べない時代に、牛肉を食べるという事は相当の贅沢なことであった。

昨日、私一人だけが留守を任されて商店の切り盛りをしていると、父や兄たちは牛鍋屋に言ってきたと自慢気に話してきたので心の中で『ふざけやがって、牛肉食べれたぐらいでいい気になっているんじゃないぞ』と愚痴を吐いた。



それでも私を憐れだと思ったのか、母親のきよが漬物の量を多くしてくれているだけ、まだ気持ちはマシになる…しかし家の中でこういう露骨な差別をされると良い気分ではない。

何しろ、学校にも行かせてくれないのは非常につらいものだ。

だからこっそりと、寝る前に一郎が学校に通っていた時の教科書を取り出して蝋燭の灯りを頼りに必死に勉強に励むことになった。

蝋燭の灯りは暗闇の中ではかなり明るく感じるので、無駄遣いしないように文字を舐めまわす勢いでこの時代にあわせた勉強を自主的に学ぶことにしたのだ。



一応前世では高等学校までの教育を受けてきた私だが、この時代の教育の難易度はかなり高いように感じる。

ゆとり教育だの色々あって簡易化された問題ではなく、和算や古文の難問が次々と出てくるので、明治時代の学問を学ぶという難易度はかなり高い。

だが、そんな難しい問題でさえ、一郎の暴力などに比べれば屁でもなく、勉強をすることの大切さに気付くことができる。

夜を通して問題を解く事をゲーム感覚で解いていくと不思議と嫌な気持ちは吹き飛んでいく、日頃のささやかな楽しみとして夜の遅くに勉強をすることが私の中で定着していったのであった。

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私による明治食事物語
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