変則商社:深夜の来客
21時になってようやく帳簿の記載が終わったので、店の鍵をしっかり閉めてから私は借家まで小走りをしながら帰宅しようとしている。
まだガス灯のオレンジ色の明かりが街中を照らしているが、営業をしている店は少ない。
この時間で営業している場所といえば居酒屋か遊郭あたりぐらいだろう。
羽織りを被って首元が冷えないようにマフラーをくるんと巻いて手袋をしてはいるが、それでも12月特有の冷たい風が身体を冷やしていく。
「うーっ、寒い寒い…こんな日は熱燗でキューっと一杯やりたい気分だ」
だがまだ未成年故に酒は飲めない。
居酒屋にいけば飲めないこともないが…酒に酔って暴れたりしたら馬鹿一郎の二の舞になってしまう。
そんなことはしたくない。
酒は嗜む程度、そしてお酒は二十歳になってからだ。
でもせめて暖かい夜食を食べたい気分だ。
どんな夜食がいいか?
現代であれば、24時間営業のコンビニエンスストアに立ち寄って暖かいおでんや肉まんをカウンターで頼むこともできるし、そばやうどんを電子レンジで30秒程温めればその場で食べられる商品も出回っているからな。
冬場の夜食の醍醐味は電気こたつで温度を「中」に設定してから携帯式のガスコンロを持ってきて熱々の鍋料理を楽しむことだろう。
ネギ・しらたき・牛肉・豆腐・白菜などを入れて鍋料理にすればそれだけで私は幸せになれる自信がある。すき焼きにしたりキムチ鍋にしたり…鍋料理にすれば身も心も暖かくなる。
そして鍋料理の〆にはうどんやご飯を入れて食べるのがいい、晩酌としてホットウイスキーなどで嗜みながら温かい場所で食べる鍋料理は最高に美味しいものだ。
改めて、こうした寒い日に現代技術のありがたみを身をもって知ることになる。
これから現代まではいかなくても技術を発展させていけば近づくことは出来るはず、そうすればコタツもガスコンロも出来上がるかもしれない。
現代に比べて明治時代現在の東京の冬はかなり寒い、おおよそ気温が3度前後違うと言われているので、本当に寒いのだ。
身体を冷やす前に早く家に着かないと…。
白い吐息を出しながら、私が借家の前に着くと帽子を被ったスーツ姿の老紳士の男性が、この寒い中借家の前で待っていたのだ。
…◇…
老紳士の男性は身体を震わせる様子もなく、ドンと構えたように直立不動のまま家の前に待っていた。
軍の関係者だろうか…だとしたら大事な要件かもしれないし、そうであれば待たせたことを詫びないといけない。
私は老紳士に近づいて声を掛けた。
「あの…この家に何か御用でございましょうか?」
「ええ、この家にお住まいの阿南豊一郎様をお待ちしているのですが…」
「あ、申し訳ございません。私が阿南豊一郎です、えっと…どちら様でしょうか?」
「これはこれは…こちらこそ、とんだご無礼をいたしました、誠に申し訳ございません…改めまして、私は清国長安より来ました范・梓豪と申します。阿南様にはお忙しいところ恐縮ですが、是非ともご相談したいことがございます故、こちらにやってきた所存でございます」
清国長安…、そんな遠くからわざわざ来たと…しかし清国は数か月前に日本帝国との戦争で敗北して、いまや清国は欧米列強諸国の陣取りゲームの真っ最中という悲惨な状況となっている。
眠れぬ獅子と恐れられた清国は、文明開化して僅か30年足らずの日本に破れたのだ。
アジアの小国に敗北したというニュースは欧米列強の露骨な経済・利権支配を行うには十分すぎる材料であった。
史実では1912年の辛亥革命によって清国は滅亡したものの、それから一世紀近くの間で各地で軍閥による地方統治や日本の大陸侵攻、国共内戦、そして文化大革命という自国民の大粛清を行い、私が明治時代に来る直前には、台湾海峡沖で台湾海軍の駆逐艦と中華人民共和国の原子力潜水艦との間で武力衝突が起こっており、一触即発の状態が続いていた。
経済発展とは裏腹に中国大陸は長期に渡り混迷の時代を歩んできた。
そんな清国からやってきた范さんは一体どんな目的でやってきたのだろうか?
私がその事を聞こうとした矢先に、彼の口からとんでもない爆弾発言が飛び出したのである。
「阿南様、私が貴方にご相談したい事というのは、貴方をこの時代に招きいれた竜の事なのですよ…」




