東京入居:軍医総監
今、私の目の前には日本海軍の重鎮が二人を座り込んでいる。
一人は現役海軍軍医総監の加賀美光賢で、もう一人は脚気撲滅を掲げて食の改善を尽くし、ビタミンB1に関する資料の中でも名前が出ているほどの有名な高木兼寛…。
高木兼寛は名前は知っているが、加賀美光賢に関しては全く知らない。
どんな人物だったのかすら私は聞いた事が無い。
仏頂面で軍服を着ているので、かなり威圧感が出ている。
戦前の…軍人、武士というものにおける威を示しているみたいだ。
一先ず二階の休憩室は応接室にもなっているので、早速食べていた蕎麦を片付けてお二人を部屋にお通しした。
お通しにと、気を利かせてくれた従業員の人が緑茶と雑穀煎餅を出したものの…挨拶を済ませたらなんと話を切り出したらいいのか迷っていたら、先に話を切り出したのは雑穀煎餅をまじまじと見つめていた高木であった。
「ふむ…これが君が作った雑穀煎餅か…早速食べてもいいかな?」
「ええ、どうぞどうぞ!!!出来立ての雑穀煎餅です!!!」
高木が雑穀煎餅を一枚手に取ると、それをゆっくりと口の中に入れる。
パリッと雑穀煎餅が割れて口の中で砕けていく。
硬すぎたら歯が欠けてしまう恐れがあるので、今生産している雑穀煎餅は生地を薄くして割りやすいようにしているので、噛んでいる時の音が部屋に響き渡る。
ゴクッと雑穀煎餅を食べ終えると、高木は三回ほど顔を頷いて言った。
「美味いな…この雑穀煎餅の原料は何を使っているんだ?」
「はっ、そちらの雑穀煎餅には稗・粟・蕎麦粉…それに片栗粉を使用しております。米は入れておりません」
「ふむ…脚気対策の雑穀煎餅と大々的に宣伝しているようだが…君は脚気の原因が何で起こるか知っているのか?」
先程よりも目が鋭く私を見つめている。
これが軍服ではなくダウンジャケットのような服であればかなり威圧感が無くなるのだが…いや、それは相手に失礼な考えだ。
今の考えは無しだ。
脚気の原因はビタミンB1の不足だが…まだこの時代はビタミンという概念は無かった筈。
下手にビタミンB1を摂取しないからと答えれば、そのビタミンB1とやらは一体なんだ?という話になり兼ねない。
私は言葉を選びながら高木に伝えた。
「私個人としての意見になりますが…精米された白米を多く取り、野菜や副食などを食べない人ほど脚気になりやすいものであると考えております。白米は精米されたものは美味しいですが、それだけでは食事の栄養の均等性が崩れてしまいます。雑穀類を白米にある程度混ぜたり、西洋食であるパンや麦飯などを食せば脚気の改善につながると私は考えております」
白米だけをバクバク食べていた江戸時代から江戸では脚気患者が増えたので、江戸患いと呼ばれたぐらいだ。
それを改善できるのは麦飯だったりワカメなどの海藻類にたっぷり入っている食物繊維を摂取すれば、脚気の原因となるビタミン不足を解消し、殆どの場合は症状の緩和改善に繋がるというわけだ。
私の話を二人の軍人はうんうんと頷きながら聞いていた。
すると、今度は加賀美軍医総監が口を開いた。
「脚気について、かなり詳しいように思うが…君が独学で調べたのか?」
「ええ、横浜にいた時に…私なりに調べました。都市部にいる人ほど食費を抑えるために白米ばかり食べる傾向にあるので…それが脚気を起こす一因になっているのではないかと思ったからです」
「なるほど…では、この雑穀煎餅には脚気の改善に繋がる自信がある…そう考えているのかね?」
「はい、その雑穀煎餅に使われている稗や粟…そして蕎麦粉は安価で、かつ栄養が白米の数倍あります。この雑穀煎餅を取りながら、野菜や肉や魚などを均等に食せば脚気の治療に役立ちます」
それから数十分ほど、二人の軍人と脚気に関する会話を行った。
二人とも軍医のトップだけあってか脚気やそれに関連する病気などに非常に詳しかった。
なるべくボロを出さないように、知っている知識に関しては詳しく説明し、知らないことに関しては存じておりませんと正直に話した。
そんなこんなで私が二人から解放されたのが午後3時であった。
最終的に軍医総監が研究用として雑穀煎餅を海軍がこれから毎日500枚購入したいと申し出た事により、結果的に海軍との契約を結ぶことになった。
二人は店の前で停車していた馬車に乗り込む際に、結果が出たらいずれまた来ると私に言って去っていった。
私の昼食時間が無くなってしまったのは残念だが、海軍との繋がりができたのは大きい。
明治時代末期から昭和初期にかけて日本軍は国内及びアジア地域において大きな影響力を持っていた。
特に、日本海軍は日露戦争の際にロシア帝国のバルチック艦隊を完膚なきまでに叩きのめしたことにより、アジア人が白人を打ち負かしたという西洋諸国が経験したことがない衝撃を見せつけ、その後の太平洋戦争においてもその強大な軍事力と国家神道による自己犠牲精神を兵器として運用転換した神風特攻隊が連合軍に猛威を奮い、敗戦後は軍は解体されて経済復興に全力を注ぎ、限定的防衛力として創設された海上自衛隊の海上戦闘能力はアジアでも優位に立っていた。
だが、まだ日露戦争は起こっていない上に、日露戦争においては日本陸軍内部での脚気患者による戦病死者が多かったと聞く。
それに太平洋戦争時におけるガダルカナル島及びインパール作戦における兵站構築失敗による兵士の飢餓は凄惨な状況であったし、太平洋戦争末期に軍部上層部が行った自己犠牲精神論による神風特攻隊をはじめとする一般将兵の運命は悲惨なものであった。
現代日本でも過労死やパワーハラスメントなどの会社による社員に対する精神論は、こうした戦争から受け継いでしまった負の遺産だ。
そうした負の遺産は早急に無くしたほうがいい、無くすためならば軍部に早いうちからそうしたものを無くしていけば…そうした兵士の人命軽視を前提とする作戦を減らせるかもしれない…。
私がこうして軍部との接点を持ったことによって、一人でも多くの兵士の命が救われたならば…歴史は大きく変わるだろう。




