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プロローグ:1895年4月17日

……◯……



白くて眩い光に包まれて体感時間で30分程だろうか、次第にぼんやりとだが意識がハッキリしてきた。

目を開けて、周りをゆっくりと眺めると何処かの家の和室で寝ているようだ。

…私は死んだのではないのか?

これが脳が最後に見せている夢なのか…それとも私が神様とやらが人生のやり直しをしたいと願った結果なのだろうか…確かに今、この瞬間を私は生きている。



身体も随分と軽いように感じるが、それでもまだ身体の怠さが抜けていない。

頭も激痛という程ではないが、ズキズキと痛んでいる。

これは…風邪の時の症状に似ているな、そう…インフルエンザを患ったときのような怠さといえば適切な表現として当てはまるだろう。



それにしてもここは一体どこなんだろうか?

天井に電球などの照明器具は吊り下げられていない上に、部屋は私の身体の上に覆いかぶさっている布団ぐらいで殆ど何もない部屋にいるのだ。

今時患者を和室に…それも布団の上に患者を寝かせておく病院なんてあるはずがない。

すると突然襖がガラガラと音を立てて開くと若い女性が部屋に入ってきた。

お盆には温かい粥が入っている茶碗とたくあんの漬物が盛った小皿が用意されており、粥を食べるように言ってきたのだ。



豊一郎とよいちろうかゆが出来たよ…風邪なんだからゆっくり休んでいなさい」



「あ、ああ…ありがとうございます」



この女性は私の()()なのだろうか?

母親だとしてもかなり若い、肌もスベスベだしまだ20代のように見える…いや、私の身体もかなり若いようだ。

シワなどがない綺麗な手をしている。

顔を触ってみても髭などは生えていないし、身長も縮んでいるように感じる。

もしや生まれ変わったのか…?それとも誰かの身体に憑依したのか…とにかく情報だ、情報が必要だ。



今日が何年なのか知りたい。

女性が仮に母親だとすれば、お母さんと言えばいいのだろうか…彼女に新聞を読みたいと伝えれば持ってきてくれるはずだ。

私は粥を持ってきてくれた女性に対してお母さんと呼んでから新聞を持ってきてほしいと伝えた。



「お母さん…すみませんが…本日の新聞を持ってきてくれないでしょうか?」



「新聞かい?ちょっと待ってなさい、すぐに持ってくるから…」



母さんが新聞を取りに行っている間に、粥を箸で口の中にゆっくりと含んでから食べている。

塩気があり、食欲があまり湧き出ていない私にとっては実に美味しく感じられた。

さらさらと喉の奥に入っていくので直ぐに満腹状態となる。

たくあんも程よい感じでシャキシャキしているので美味しい、街の食堂で出されているものよりもおいしく感じられた。

そういえば、母さんは私の名前をちゃんと豊一郎と呼んでくれていたな…。



やはり私は過去に戻っているのだろうか?

いや、彼女は私の知っている母さんではない。

それに、母さんや私が来ている服装も気になった。

和服…浴衣ではないのだが洋服ではない昔の人達が着用していた服装だといえばわかりやすいかもしれない。

下着もパンツではなくふんどしを履いているんだ…いままでふんどしを履いたことがないので、和服をめくってみて、思わず声を出してしまったものだ。

驚いているのも束の間、再び母さんが襖を開けて新聞を持ってきてくれた。



「豊一郎、これが今日の新聞だよ…おや、もう食べ終えたのかい?」



「はい、ごちそうさまでした。お粥美味しかったです」



「それは良かった良かった、とにかくゆっくり休んでいるんだよ。遊んでは駄目だからね、いいね?」



そういって母さんは私の食べ終えた食事を下げてくれた。

持ってきてくれた新聞…かなり古い字で書かれている…。

もしや…かなり昔の時代にタイムスリップしているんじゃないかという予感がしてきた。

電球すらない和室、和服…これだけでも時代が昭和以前だと思ってしまう。

そしてその予感は当たっていた。

新聞の一番上に書かれている発行日の年数と月日を見て驚愕した。



【明治二十八年四月十七日(水曜日)】



明治二十八年は西暦で換算すると…確か1895年だ。

1894年に日清戦争が勃発し、その時が明治27年…つまりそれから一年後の1895年となる。

新聞の見出しも日清戦争に関することが大々的に報じられていた。

その見出しもかなり古い字だったので読むのに苦労したが、辛うじて理解できた。



【清国との講和会議、馬関にて本日行われる】



馬関…確か下関市の昔の名称だったはず、そこで清国との休戦・講和会議である「下関条約」が結ばれた。

今日のこの見出しにある講和会議とやらは下関条約の事だろう。

中学や高校の時に学んだ歴史の授業の内容をなんとか思い出してみよう。

日清戦争では戦争に勝利した日本が清国に対して賠償金、朝鮮半島の独立、遼東りょうとう半島の割譲を求めたが、極東地域の実効支配を目論んでいたロシアがこれに反発してフランス・ドイツを引き連れて日本に干渉し、遼東半島の支配権の放棄を迫ったのだ。



列強三カ国による干渉…三国干渉によって日本はイギリスやアメリカに交渉を頼んだが、中立的立場を取られたので味方がおらず、止む無く遼東半島の支配権を放棄した。

このことが、当時の日本国民に対して反ロシア感情を産むきっかけとなり、後の日露戦争の直接的な原因になった。

そして日露戦争が起こるのは日清戦争から10年後の1904年…つまり現在からあと9年後にロシアとの戦争が開かれる。



まだ20世紀にもなっていない…1800年代、古ぼけた写真やイラストでしか見れない筈の世界が、今…私の目の前にある。

その証拠に襖を開けると外には長屋やら古い木造住宅がひしめき合っている光景が広がっていた。

この光景は現代では殆ど見られない光景だ、歴史文化遺産等で登録されて保存されているごく一部の古い街並みが、ここでは目の前に延々と続いているんだ。

どうやら私は…明治時代にタイムスリップ、いや正確に言えば私と同じ名前の少年に精神転移してしまったようだ。

どのような原理でそうなったのかは分からない。

これからどうしていくべきか…今後の予定を大まかに考えながら、ひとまずその日は身体が怠いこともあって部屋でゆっくりと休むことにしたのである。

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私による明治食事物語
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