雑穀煎餅:三浦
「親父…貿易商から借金していたって本当か?」
次郎は声を低くして草摩に尋ねた。
みるみるうちに草摩の顔は青ざめていく。
やはり借金を抱えていたようだ、それも少なくない多額の借金を…。
父親はこれ以上嘘を言うのは無理だと悟ったのか、少しずつ口を開いて借金を抱えた理由を話し始めた。
「…実は、一週間前にある有名な貿易商から元禄時代の陶芸の巨匠である三浦鵬茶摩先生の茶碗を預かっていたんだが…その茶碗が偽物ではないかと友人で両替商の赤坂喜三郎さんに言われたんだ。鵬茶摩先生の茶碗に彫られているはずの大鵬の模様が違うと…本物であれば大鵬の色は水色なのに、この大鵬は蒼い…もしかしたらこれは鵬茶摩先生の作品に非常に良く似せた偽物ではないかとね…そこで私が懇意にしている友人の骨董商の人に聞きに行こうとしたら…街角で待ち構えていた不良連中に襲われてね…身体は無事だったんだけど三浦鵬茶摩先生の茶碗が割れてしまってね…」
聞けば、今から約200年前の三浦鵬茶摩という陶芸家が作った茶碗を有名な貿易商から預かっていたが、両替商の赤坂さんに偽物ではないかと言われ、念のために骨董商の人に話を聞きに行こうとした矢先に不良連中に襲われて、貴重な茶碗を割ってしまったらしい。
食欲も無くてご飯をニ~三口入れて直ぐに食べ終えてしまっていたな…そうか、あの日にそんなことをやらかしていたのか。
だが、問題なのは茶碗の値段だ。
今度は馬鹿一郎が、草摩に対して幾らの茶碗だったのか尋ねた。
「まぁ…割っちまったもんはしょーがねーよな…でもよ親父………その……茶碗って本物なら幾らするんだ?200円ぐらいか?」
「さ……さ……3000円だ……」
「「「「3000円?!!!!」」」」
思わず草摩を除く家族全員が声を出してしまった。
3000円あれば自動車も買えるし、都心で土地を買って西洋建築の豪邸を建設する事だってできるぐらいの大金だ。
現代の通貨価値で換算すれば約3000万~5000万円前後…。
草摩が不良連中に襲われて国宝級のお宝をぶっ壊してしまったので、有名な貿易商がその分の支払いを迫ってきているとのことだ。
「その貿易商の人は最初は十分の一にあたる300円だけでもいいから用意しろと言われたから、家の押入れに入れっぱなしだった骨董品を全て売り払ったんだ。木村嘉麗先生の水墨画や田沢池諏彌先生の壺なんかを売り払った。それで800円ほどになった。だがまだあと2200円足りない…大事なものを壊して申し訳ないと言って最初にその800円を渡したんだが、800円を渡すとあと一週間でフランスに行かないといけない用事が出来たからそれまでに金を用意してくれと言われたんだ…自分なりに返す方法を探していたんだが見つからない、そんな時に赤坂さんが手を差し伸べてくれたんだよ。あの貿易商はあくどい方法で金をかき集めているから信用ならないと、割れた茶碗は偽物かもしれないから私が力になってやるって…昨日、赤坂さんと共に貿易商の元に行って話し合った後で、割れた茶碗を懇意にしている骨董商の元に見せてから示談するという形で手打ちにしたんだ。それから今日の午前8時に新橋で懇意にしている骨董商の元に訪れようと赤坂さんと家で待ち合わせをする予定だったんだ…。今朝家の前で撃たれたのが赤坂さん、その人だ…」
そういうことだったのか…。
有名な貿易商が事件に絡んでいた、短い場所でパズルの答えが埋まっていく。
出来れば埋まらなければいいのにな…。
つまり、草摩が割ってしまった茶碗は実は偽物で、それを暴こうとした赤坂喜三郎さんが今朝家の前で撃たれたってことか?
うーん…物騒すぎる話だ。
現代の価値で数千万円相当の金を得るために詐欺をしてでも奪おうとすれば話が合うな…。
現に800円を失い、家の財産も含めても1000円程度しかないそうだ。
このまま返済期限まで間に合わないと強引な取り立てに遭うのは各自、いや…下手をすれば殺しだってやりかねないな。
現に奴らは赤坂喜三郎さんを拳銃で撃っているわけだし。
今ある情報も元に整理すると…。
・父、草摩が一週間前に有名な貿易商から預かった骨董品の茶碗が突然不良連中に襲われて割れる。
・その茶碗の価値が3000円と言われ、そのうち800円分はすでに草摩が収集していた骨董品を売り払い賠償した。
・残りの2200円の返済をどうするか悩んでいると、懇意にしていた赤坂喜三郎さんが助け舟を出してくれて、赤坂喜三郎さんと共に有名な貿易商の元に行って交渉を持ちかける。
・交渉が成立し、懇意にしている骨董商の元に朝方行こうとした矢先に赤坂さんが撃たれる。
その上、赤坂さんが持っていた筈の茶碗が無くなっており、恐らく撃った犯人に盗まれたのではないかと草摩は語った…。
詰まる所、あくどい貿易商の食い物にされているということだ、それも現在進行形で…。
とてもじゃないが私で解決できる問題じゃない、馬鹿一郎も次郎も顔を青ざめており、母に至っては涙を流してどうにかならないのかと草摩に訴えている。
泣いて解決できれば人間苦労はしない。
そして、その強欲な貿易商の放った獰猛な牙が、我が家に迫りつつあった。




