雑穀煎餅:ハナビ
まだ夜が明けていない。
薄暗い部屋の中で私は目を覚ます。
竜の目的が分からないまま、私は現実に引き返してきたのだ。
両手で顔を叩いてパチパチと音を鳴らす。
うん、現実だ。
そしてあの夢も現実のように感じる。
私が明治時代で生きているという事そのものが夢のような話だ。
背伸びをしてから、私は洗顔の為に草履を履き、井戸で水を汲んで顔を洗うことにしたのだ。
「一体あの夢は何なんだ…なぜ、私にあの夢を見させたんだ?」
竜は一体何をしたくて夢の中に現れたのか?
定期観察…それとも私が人の役に立ちたいという事を望んだことをしているかどうか監視しているのか…。
床に敷き詰めるように書き込まれた文字は漢字の筈…となればあの竜は今、この世界の何処かにいるのだろうか?
寝起きの頭に水を掛けて冷やし、頭を覚まそうとしても竜の考えは分からない。
気まぐれか…それとも…。
考え事をしていると突然、その思考を吹っ飛ばすほどの大声が前方から発せられた。
「赤坂!!!覚悟ッ!!!」
次の瞬間、バン、バン、と西部劇の映画で聞いた事のある乾いた発砲音が住宅街で二発響いた。
銃声がすると、すぐにドサッ…と何かが崩れ落ちる音が聞こえる。
木で作られた塀の向こう側で人が撃たれたのだ。
直ぐに誰かが走り去っていく、恐らく銃を撃った者だろう。
勝手口の扉を開いて、そっと覗いてみると…袴を着ていた男性が血を流して倒れていた。
この男性がどういった人間なのかは定かではないが、撃たれている時点で相当何かやらかしたのだろう。
あまり関わりたくはないが、発砲事件が家の前で起こっている上に、家の塀に男性の返り血が飛び散っている。
恐る恐る私は男性に近づいて「大丈夫ですか?」と、声を掛けた。
すると男性は撃たれた場所を手で押さえつけながら「大丈夫だ」と言葉を返してきた。
銃声で目を覚ました父親や近所の人達が集まってきて、周囲は騒然とした状況となっている。
近所の人がお巡りさんと医者を呼んできてくれたので、撃たれた人は医者の所に…私はお巡りさんから事情聴取を受けることになった。
………………
………
…
「ほぉ~ん、そんで君は撃った奴の姿ば見てねぇのけ?」
「はい、顔を洗っている時に…叫び声と共に銃声が二発聞こえたんです。私が勝手口の扉を開けると撃たれた人が倒れていたんです」
「すっと、いきなり撃ったちゅう事だけは分かるって事けぇ?」
「ええ、直ぐに走り去ってしまいましたので姿も確認できませんでした…申し訳ございません」
「ええがねええがね、最近拳銃持った奴がウロチョロしておるみたいだし、そういう奴ば何すっか分からん、無理して撃たれたなんてことになれば…それこそいけんがね。とにかく、また事情を聞きに来るかもしれんがええか?」
「ええ、私はここの阿南商店で働いております故、何時でもお越しください」
若干イントネーションが方言のお巡りさんから聴取を受けたが、その聴取の中で…ここ最近横浜で拳銃を使用した犯罪が多発しているとの事だ。それも連続銃殺人事件としてだ。
お巡りさん曰く、今月だけで横浜市内で5件も発生しており、そのいずれの発砲事件でも夜中から朝方にかけて、犯人の男が被害者の名前を叫んでから”覚悟”だったり”天誅”と叫んで背後から拳銃で発砲するというスタイルを取っているらしい。
被害にあっているのはいずれも男性で、職業や身分もバラツキがあるそうだ。
最初に撃たれたのは市内で建設業を営んでいる建設会社の組長、その次が郵便局員、運送業の社長、運搬船の船員、洋食屋の店員…5人とも頭部や心臓を撃ち抜かれて即死したり、大量出血を起こして全員が翌日までに死亡している。
私も連続銃殺人事件の記事を新聞で読んだことはあるが、まさか家の目の前で発生し、その事件の目撃者になるとは思わなかった。
警察は総力を挙げて事件の首謀者を追っているようだが、これまでに有力な手掛かりは得られていない。
というのも、私みたいに発砲音が聞こえて駆け付けた時には既に犯人が逃走していたり、暗闇に近い夜道で撃たれたりしたせいで、誰が撃ったのか分からないので手配書の似顔絵も描けないそうだ。
姿なき殺し屋…切り裂きジャックのような単なるサイコキラーなのか、それとも思想や組織に対する裏切り者だったので殺したのだろうか?
後者だとしたら私は非常にマズイ現場に居合わせてしまったのではないだろうか…過激思想派か犯罪組織の犯行現場を目撃したとなれば…組織にとって目撃者がいるのは非常に厄介だ。
つまるところ、こうした事件の後にやってくるのは目撃者の始末。
そんな不安が頭を過る。
いや、私は犯人の姿を見ていないんだ。そう映画みたいに堂々と暗殺者を送り込んでくるものか。
お巡りさんにも、そのように伝えているんだ…問題ない筈だ。
とにかく、今は味噌味煎餅を作ろう…気分を強引にでも変えてやらないと滅入ってしまう。
私は全てを忘れるように、煎餅作りに没頭して嫌な出来事を記憶の片隅へと忘れようとしていた。




