雑穀煎餅:狂犬阿南
「おい、豊一郎!!!俺の金が足りないじゃねーか!!」
集計が終わると同時に、馬鹿一郎が私に絡んでくる。
左手には焼酎が入った一升瓶を握っており、酒に酔った勢いで私を殴りかかってくるかもしれない。
今の私には自衛用の武器や道具すらない、なので殴られそうになったら突き飛ばしてやろうと心の中で決めて、私は馬鹿一郎の戯言に反論した。
「一郎兄さん、さっき今日の分の給料をお渡ししましたよね?一郎兄さんは店の見張りのみをしているので50銭だけだと…三日前に私の方から言いましたよね?」
「何言ってんだ、俺の金が50銭だけではないだろうが、もうあと50銭分足りねぇじゃねーか!!!この店を悪い奴らから守っているのは俺だぞ!!!俺がいなかったら誰がこの店の見張りをするんだ?!」
「一郎兄さんがいなくなったら、私なら学校に行っていない子供を雇いますよ。というか、煎餅を買いに来るのは殆どが子供です。例え悪さをしたとしても、対処できますよ」
客層は子供、たまに子供のおやつにと奥さんとかが買いにくるが、それでも悪さをするような人はいない。
むしろ、店の片隅で酒飲みながら用心棒をしているこいつが一番人を襲いそうで、会計や販売をしている私がひやひやするぐらいだ。
私自身の手で作り上げた煎餅が目の前で売れるのは凄く嬉しいのだが、馬鹿一郎という存在のせいで…私は心身共に疲れ始めている。
馬鹿一郎は、瓶に口づけしながら焼酎を一杯飲むと、自分がいかにこの店に必要な存在かを私にPRしてきた。
「けっ、そうやって言うけどよォ…横浜じゃあ党派を組んだ不良共がウロチョロしているんだ。お前みたいなひよっこが目をつけられたら褌すら身ぐるみ剥がされるのがオチだ。そうならないようにするのが俺の役目ってわけよ、分かるか?」
「いや、不良連中にこの店が襲われるという理由が分かりませんな。強盗目的の窃盗団が深夜に盗みに来るのであれば、まだ分かるのですがね…」
「お前は何も判っちゃいねぇ…いいか、俺だって1年前まで喧嘩に明け暮れていたんだ。”狂犬阿南”のあだ名は伊達じゃないぞ…」
「なんですか”狂犬阿南”って…一郎兄さんどれだけ暴れていたんですか?」
「あ?そりゃおめー、この町で知らない奴はいないぐらいには暴れていたぜ…話聞くか?」
「はぁ…じゃあ、お願いします…」
馬鹿一郎はそれからずかずかと話を始めた。
自分自身の誇りにもならないような武勇伝を語り始める。
多少の誇張も含まれるだろうが、馬鹿一郎や次郎が暴れまくっていたという話は聞いているので、恐らく本当のことも言っていると思う上に、金銭の話を逸らすチャンスなので、私は我慢しながら渋々馬鹿一郎の話を聞くことにした。
話によれば、馬鹿一郎が喧嘩に明け暮れるようになったのは今から5年ほど前ぐらいから、喧嘩ばかりするようになったという。
常に重い下駄を履いて喧嘩になった時に、相手の足を踏みつけて爪などを叩き割ってから胸部や顔面を殴るスタイルの喧嘩をしていたようだ。
昔の不良漫画の主人公でも、いきなり相手の足の爪を叩き割るような行為はしないだろう。
むしろそんなことをするのは主人公の敵役のヤンキーや不良の番長あたりがやりそうなことだが…。
武勇伝はこれだけに留まらない。
馬鹿一郎は弟の次郎と共に学校一の荒くれものとして有名になり、喧嘩を売られるたびに上級生や他校の生徒との喧嘩をひたすらに続けていた。
多いときには10人以上と相手をしていたらしい。
この時に、狂犬阿南のあだ名が付いたのだそうだ。
殴る蹴るの無礼講な喧嘩を続けていたある日、喧嘩に負けた相手が腹いせに家から日本刀を取り出してきて馬鹿一郎に襲い掛かったという。
できればそのままトドメを刺してもらいたかったのだが、そう上手くいかず日本刀は馬鹿一郎の右腹部を掠った程度で済んでしまい、逆に斬りつけてきた奴を弟と共に袋叩きにしたそうだ。
その時に馬鹿一郎は二度と逆らわないように相手の右耳を強引に引きちぎったのだが、それが原因で学校を一年間停学処分を受けたそうだ。
理由としては、相手が襲いかかってきたとはいえ、無抵抗の相手を必要以上に怪我を負わせた事と、その相手が市議会議員の息子だったらしい。
大勢の人に見られている息子の不祥事ということもあり、その市議会議員は事件を公にしてほしくないということで、馬鹿一郎の行った行為については刑事罰にはしないが、耳を引きちぎるのはやり過ぎているとして学校を一年間停学するようにと学校に圧力を掛けてきたそうだ。
結果的にいえば馬鹿一郎に刑事処分は下されず一年間の停学処分という甘い処罰で済んだのだが、次第に喧嘩をしなくなり、酒を飲んで暴れるのを止めるようになったという。
そして、馬鹿一郎は話しをしてスッキリしたのか、上機嫌になって自室に戻って行った。
だけど、今は逆にアル中になって私に暴力を振るうことがあるので、どの道こいつは碌な人間にならないと私は思っている。




