民主主義を守る戦い:開戦前夜1
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西暦1903年(明治36年)4月5日
【ロシア帝国海軍戦艦が亡命、ドイツ帝国海軍が攻撃し日本帝国艦隊が反撃せり】
【ロシア帝国・ドイツ帝国が日本帝国政府に批難声明を発表、亡命した戦艦と乗員の引き渡しを求める】
【日本帝国政府、レトヴィザンの引き渡しには同意する用意があるも、日本に亡命を希望している乗員の引き渡しは拒否】
日本の大手新聞各社は今回の海戦結果を客観的に見ているようだ。
大々的に我が国の海軍が列強の一国であるドイツ帝国海軍の駆逐艦隊を壊滅させたことに大々的に賛美するように報じているが、その攻撃方法が魚雷攻撃であることはまだ知らせていない。
そして、日本への亡命を希望しているレトヴィザンの戦艦の乗員のロシア帝国への引き渡しは拒否している。
現在レトヴィザンは第一艦隊の護衛を受けて長崎県の佐世保に停泊している。
九州、それに中国地方では陸海軍がロシア帝国が戦艦の奪還のために強襲してくることを警戒して警備を強化している。
「タカ派の新聞社ですら海戦に関しては第三国視点で語られていますね………国民をなるべく煽らないようにしろと言ったのが効いたかもしれないですね」
「史実では自称タカ派の新聞社がこぞって戦果を大々的に報道して煽ってましたからね、戦後になって報道の責任を放置して軍部に押し付けた無責任な連中ですよ。現に、史実の日露戦争では日本に有利な条件で講和条約を結べましたから………それが原因で明治から大正、そして昭和初期に日本軍全体で慢心的な領土拡張主義が生まれてきたんです」
戦果は大々的に伝えるのではなく、結果をしっかりと報道し、国民には戦争を煽るような行為を慎むべきであると総理に忠告したこともあってか、そうした扇動的で開戦を煽り立てる新聞社はかなり行動を控えるようになった。
扇動された結果、開戦に至ったのが太平洋戦争だったこともあり、その戦争の顛末を知っている明治天皇や総理は、絶対にそのようなことをしてはならないとして、扇動的な報道人や軍人の抑制に力を入れていた。
だが、向こうが戦争を仕掛けようとしている場合は徹底した防戦と攻勢限界を見極めたうえで、戦略を練るべきだ。
「では、仮にあと数か月以内に戦争が起こるとして………范さん、蒼龍はロシア帝国が戦争を仕掛けるとしたらどの場所を最初に攻撃すると思いますか?」
「私でしたら佐世保への奇襲攻撃ですかね………ロシア帝国にはレトヴィザン奪還の大義名分を得て極東艦隊を使って奇襲を仕掛けます。佐世保への奇襲攻撃が成功したあとは関門海峡に機雷を撒いて日本海軍の動きを封じ込めます。そうすれば呉にいる艦隊は九州をぐるっとまわるようにして迂回しなければ佐世保には到着できないでしょう………あとは朝鮮半島の漢城府周辺に陸軍を配備して南朝鮮から侵攻してきた日本軍を迎撃すれば日本軍の長期的な戦略を封じ込めることができるでしょう」
「余であれば、警戒が手薄な日本海側の新潟への奇襲上陸を行うかのう。北海道や九州は陸軍が多く配備されていて迂闊に上陸すれば蜂の巣にされるのは目に見えている。じゃが、新潟から群馬、埼玉を切り抜けば帝都東京まで一直線にいけるじゃろ?それができなくても新潟に上陸を許せば前線の部隊は混乱するじゃろうて、たとえ東京を占拠しなくても心理的な面でダメージを与えるのであれば余はそうするがの」
二人の考えていることはよくわかる。
そして、陸海軍の合同会議でも同様の指摘が挙げられていることだろう。
あと2時間後に私も合同会議への出席で呼ばれているからね、これらを対処できるようなプランを用意したうえで会議に望むとしよう。




