1-62.逃げの一手
ジャッシタリアの南西にはふたつの門があり、上手にある一際広い門は南イシュタニア大陸の約半分を横断する”ハイウェイ”の乗り降り口だ。その下手にあるのが所謂下道に出る為の門で、設置された合流口からしか入れず安いとは言えない程度の通行料も必要なハイウェイを避ける地元民などはもっぱらこちらを使う。厄介な冒険者パーティから逃れたい一行がこの門から街を出たのは、ジャッシタリアから南部の立地故の選択だった。
ハイウェイの乗り降り口たるこの街は、領都では無いにしろそれだけでも相当な価値のある都市と言える。それはこの街の周囲に生い茂る森林を見ても明らかだ。
”緑化推進植林業”。それは南北大陸を跨ぐこの広大なイシュタニア王導国の根幹を成す事業だ。遥か昔、神々が収めたこの地は竜神の怒りに拠って壊滅した。その傷跡が今尚色濃く残るこの大陸には、世界に満ちたるべき魔素が足りていないのだ。
魔素とは命の源。草木を育て、土を潤わせる。水は清らかに流れ、空気は淀みない。かつてはそれが当たり前だった時代があった。当然、魔素の潰えた大地には命が根付かず、ただ生きて行く事すら困難だった。
王導国の祖、この国の最初の王たる男は木こりだった。その男は魔素の源泉が生きた土地から土を持ち帰り、少しずつ、少しずつ荒れた大地を耕した。それはやがて村程の森になり、やがて国程に広がった。男が耕した土は魔素がなくとも生きた土になったのだ。
男はやがて小さな国の王になり、王は諸国を平定しこの”植林”を大陸全土へ広げて行った。世代を重ね、遂には全ての国を平らげた。そうして出来たのが王導国であった。
しかしながら、王導国が興って1000年以上が経過した今も、南北大陸の半分以上は未だ廃土、魔力枯渇地帯であった。
故に源泉が死んでいるにも関わらず森が豊かであると言う事は、それだけで裕福、成功の象徴でもあるのだ。
南北に長いグリッジ伯爵領の領都は領内の北側に位置し、領都には小さいながらも生きた源泉がある。どの領地でも都などの重要拠点は源泉のある場所が選ばれる。当然、その周囲から緑化が始まり、都から離れれば植林業の恩恵も当然届かない。ジャッシタリア周辺もそんな枯渇地帯の内であったが、その便の良さからハイウェイの終着地に選ばれ、当時の領主は慌ててジャッシタリア周辺の緑化を初めたのだった。そんな事の弊害か、未だジャッシタリアから南部は手付かずの廃土が広がる魔窟であった。土地は隆起し、血に飢えた獣や魔素に飢えた魔獣が跋扈する危険地帯と言える。とは言え、基本的に魔素不足の魔獣は常にグロッキーの様なもので、源泉近くに生息する魔獣の危険度に比べれば幾分もマシではあるのだが。だからこそ、そう言う場所にもヒトは住めるし、一際貧しい者達はそう言った土地にしか住む事が適わない事も珍しい世界ではないのだ。
一行がそんな枯渇地帯を進むのは、起伏の激しい地形やヒトが好んで進まない治安の悪さに紛れての移動が自身らに有利に働く可能性に賭けたからだ。実際、門を出て少し進むだけで緑は鳴りを潜め、痩けた大地が目立つ意匠の馬車ごと姿を隠してくれた。
ジャッシタリアの立地は、ダリア公爵領方面からのどのルートを通ってもなだらかな上り坂の上に聳えている。街からではわからないが、その地下にはアルヴィエール大森林を囲むうずたかい山々、アルヴァトリオン竜山から流れ出る大河の分流が流れ込んでいた。ジャッシタリアからその河を沿って傾斜を下り、河の流れから見れば上る事になるが、シャルドネリオン伯爵領の北端を経由してダリア伯爵領へ戻って、大河の南側を上って進みアルヴィエールへ戻る算段であった。
仮にケイベイン率いる”荒ぶる拳”が追いかけて来たとしても、この悪路を数の多い集団で速度を出せるとも思えない。頭数も少なく、二頭の豪脚馬に牽引させている自分達が簡単に追いつかれる筈が無かった。
子供達の緊張感を和らげる為にそう説明したおかげか、既に半日程走った荷馬車の荷台からは五つの姦しい声が響いていた。周囲の景色は既に灰色と赤茶けた土を混ぜた様な地面に覆われた不毛の大地で、楽しげな雰囲気はどこか場違いにも思える。
「親方さん、いいヒトだったね。」
「顔はいかついけど、わたし達の為に怒ってくれるヒトだったしね。」
「……シロ様を貶めたのは許せませんが、確かに良くしてくれました。わたしだけ装備を一新して頂きましたし……なんだか申し訳ありません。」
「お、大きさが合わなかったから。」
「だぼだぼだめ。あかん。」
「あっ!い、今のシロ様みたいだったね。」
「シロさまにおしえてもらった。」
それを聞いてユーライカが目を尖らせる。
「こらっ、不敬ですよ。シロ様を真似するなんて。」
「ふけいじゃないもん。シロさま、いいっていったもん。」
「で、でも。」
「シロ様が許可してるんなら、目くじら立て無くてもいいじゃない。」
「ぐ、ぐぬぬ……。シロ様がお許しならば、仕方がありませんね。」
「いいなぁ……。ぼくもおねがいしてみようかなぁ。」
「シロ様の訛りって不思議だけど、ちょっと可愛いよね。」
アリーの仲介に引き下がったユーライカだが、まだどこか複雑そうにしていた。とは言え彼女にとって主の言葉は絶対だ。引き下がる他はない。
その後も主の話題で盛り上がり、キリの良い所で別の話題にシフトした。
「親方の足はダンジョンで失ったそうだ。昔は冒険者だったと聞いた事がある。」
「そこそこは出世したらしいですが、20を過ぎた当たりで魔獣に片足を食われて引退。その後今の工房の先々代に弟子入りしてそっちの道で一廉になったそうです。」
「途中で職人になるなんて、凄いヒトだったんですね。」
「まあ、高位の魔獣素材なんかは加工するにも一筋縄じゃ行かないらしいから、運良く引退出来た冒険者が職人を目指すなんてのは珍しい事ではないけれどな。」
「そうなんですね。」
「運良く……?一度冒険者になったら簡単に抜けられない決まりでもあるんですか?」
「うん?ああ、いや。そう言う事ではなく……。」
「大抵の冒険者は依頼中かダンジョンに潜ってる途中で死ぬので、引退出来るのはそれまで運良く生き延びた連中って話しですよ。」
「あっ、そうか……。」
「……まあ、そう言う事だ。」
「もちろんそんな決まりは無いし、いつでも辞めれるです。まあ、戦力低下を惜しむギルド側に引き止められるような、名うての冒険者も居るですがね!ここに!」
「おいおい……。」
「へー!」
「やっぱりお二人は凄い冒険者なんですね!」
「もっと褒め称えるがいいです!」
荷台から飛ぶ子供達の黄色い声に気を良くしたルーリエが、御者台に立ち上がって子供達を煽る。リリアナの「立つな。危ない。」と言う力無い一言もなんのそので、ルーリエの高笑いが廃土の荒野を木霊した。
すっかり日も暮れ、夜の帳に頼りになるのは夜空に瞬く星々と一行が囲む焚き火だけ。
日が暮れる前に本日の停留地を道から外れ、隆起した地形の隙間に決めて手早く野営の準備を済ませた。ジャッシタリアから伸びる道は既に幾度か分岐して、簡単には辿れはしないだろうが用心に越した事はない。身を隠すのは必須と言えた。来た道の逆側は大きく裂け切り立った崖になっており、その下には竜山から流れる大河の分流が走っている。流れも急で、飲まれれば無事では居られないだろう。このまま進めば河と並行する高度まで下がり、やがて大河の本流に沿って進む事が出来るだろう。
本音を言えば、先を急ぐ為に夜通し走りたい。荷馬車を牽引する豪脚馬にはそれが可能だが、なにぶんの悪路だ。陽も落ち、危険度は更に跳ね上がる。せめてこの下りを終え、平地に到達出来ていればそれも叶っただろうが、そこまでは進めなかったのだから仕方がない。一行を率いる冒険者二人は内心嫌な汗を滲ませていたが、それを守るべき子供達に悟らせるような事はしなかった。
焚き火の前、簡単な食事を取りながら、アリーが呟いた。
「森を出て三日、四日?……そろそろ、お風呂が恋しいなぁ。」
「……気持ちはわかります。わかりますが、無いものを求めても仕方がありません。そもそも、わたし達には過ぎた贅沢品だったのです。」
「わかってるけどさ……あの気持ちよさを知っちゃったら、水浴びや湯浴みじゃ物足りないよ。わたし、お風呂を知っちゃってから自分の匂いが気になってしかたないんだよね。前はどれだけ臭くても我慢できたのに……ユーライカもそうじゃないの?」
「そ、それは……。でも、贅沢品なのは事実で……。」
「どうするの?帰った時シロ様に臭いなって思われたら。」
「なっ!?」
「わたしは嫌だなぁ。シロ様、臭い女は嫌いかもしれないよ?お風呂もシロ様の発案だし、案外きれい好きだよね。」
「く、臭くなんてありません!そ、そんなには……臭くない、はず……?臭くないですよね?」
お風呂好きな癖に素直に認めないユーライカに、アリーが煽るようにからかった。すっかり術中に嵌ったユーライカは焦った風にくんくん、と自らの身体を嗅いでいる。ここまでの道中で水浴びは欠かさなかったとは言え、服は水場で洗って乾かしてて居ても二着を着回している状態だし装備品には予備など無い。完全に臭わないなどは無理な話だし、本日に至っては野営地の付近に水場は無い為、水浴びすらお預けなのだ。世間的にはヒトはある程度臭くて当たり前で、風呂と言えば水浴び湯浴みを指す。湯船に入るなんて贅沢は貴族や富豪の様な裕福な者にのみ許される。それを平民の、それも元奴隷がほぼ毎日利用出来ている現状こそが非常識なのだ。
常識の範囲で言えばユーライカの主張は至極真っ当な物だった。しかし彼女らは一際危険な森の奥で魔獣に庇護される元奴隷。とても一般的とは言い難い。平民としては一般的な常識観を持っているユーライカと言えど、そんな非常識な環境に身を置き、分不相応な快楽を日常的に謳歌してしまえば、その甘美な誘惑に抗う事は非常に難しいだろう。ましてや自身が盲目的なまでに信仰している対象がもし、自分の放つ芳しい香りに不快感を覚えたと知ってしまったら。それはあくまで想像の、妄想の粋を出ない被害意識だったが、万が一現実に起こった場合、彼女を襲う羞恥と絶望は如何程のものだろうか。考えるだに恐ろしい。敬愛する主が自分の腋の匂いに顔を背けたりなんかした日には。もう。
自身の匂いを確認させようと、自失気味のユーライカがアリーに詰め寄るのを見てリリアナが吹き出した。
「あはは。まあ確かに、あの湯船を一度味わってしまうとなぁ。垢にまみれるのも慣れたはずだったけど、つい夢想してしまう。気持ちはわかるよ。」
「冒険者に臭い体臭なんて付き物ですしね。一週間以上水浴び出来ないなんてざらです。」
「そうなんですか?やっぱり冒険者って過酷なお仕事なんですね。……けほ、けほっ。」
「ルーデリア大丈夫?」
「うん、大丈夫。」
二人の冒険者事情に驚きつつも、どこか目を輝かせてルーデリアが言う。冒険者に憧れがあるのだろうか。興奮したのか咳き込んだで、アリーに心配無用と返して少し落ち着いた様子だ。
「過酷なのは違いないですが、毎日垢を落とすなんて平民だってしないでしょう?どこでも湯船と大量のお湯を用意できるあのヒトが非常識なんですよ。」
ルーリエから平民だって普通は毎日水浴びしないだろう?と問われた子供達は揃って首を捻った。ユーライカが「わたしは基本的に毎日水浴びしていました。」と言うと「ぼ、ぼくもそうです。」とエトが続き、ルーデリアとアリーが「僕は元が貴族の出なので……。」「わたしも。」と揃って応える。最後に「クロは当時の主の屋敷で奴隷の子として生まれたので、家令の指示もあって毎日水浴びさせていました。」とユーライカが締めくくった。なるほどこの中には一般的な平民が一人も居なかったのである。そりゃあ首も傾げると言うものだ。
冒険者二人は非常に返しにくい答えを聞いて押し黙らずには居られない。つい忘れがちになるが、この子達は全員元奴隷だ。奴隷としては比較的まともな扱いを受けていたらしいが、それでも奴隷になる前の生活を奪われた悲惨な過去を持っているのには違いなかった。子供達の過去については、彼らの主人である地竜シロですら深く掘り下げていないと聞いている。良く言えば食客である自分達が勝手に根掘り葉掘り聞くのは以前から憚れていたのだ。
場にはなんとも言えない空気が満ちて、慌てて話題を別に反らせたのはリリアナだった。
「そ、そう言えば、エト。親方に体術を薦められていたが、どうするんだ?」
「え?は、はい……でも、ぼく、ヒトを叩くなんて、なんだかやっぱり、恐くて……。」
咄嗟に話を振られたエトが耳をぺたんとたれて俯いた。生来、エトは荒事が苦手で可能な限り避けようとして来た。生まれ育った環境が図らずもそれを加速させたのだが、今はそれは良い。自身が奴隷に落ちた後、絶望を引きずったままでもなるべく目をつけられないようにと生きて来た。獣人だった為力仕事に駆り出される事は多かったが、同僚の歳の近い奴隷仲間に虐められた時も大抵は庇ってくれるユーライカのお陰でなんとかなっていたのだ。今の境遇が始まった時も、主が魔獣になって、機嫌を損ねて食べられないように、嫌で仕方がなかったが剣を手に取ってがむしゃらに戦った。次第にこんな自分でもそれなりの仕事が出来るようになって、怖い魔獣の主が実は優しいヒトなんじゃないかと思うようにもなった。だから、そんな自分に新たに示された可能性に、一番驚いているのは彼自身なのだ。
「で、でも、あの時、自分でもちょっと、き、気持ち、良かったかなって……。」
「ああ、正直あの威力には目を見張ったよ。レベル由来のもあるが、もしかしたらそっちの才能があるのかもしれないぞ?本業ではないが、少しならわたしも教えられる事があるかもしれん。」
「ほ、ほんとですか?」
「今少しやって見るか。ほら立って。」
「は、はいっ。」
「エト、がんばれー。」
皆の声援を受けてやや照れくさそうなエトは、少し離れた所へリリアナと連れ立った。リリアナからは両手を前に出す構えや腰を落とす事など、格闘戦における注意事項などを聞かされている。
「いいかエト。身体を動かす時は回転を意識するんだ。剣術における体捌きの時にも教えたが――。」
それからしばらくの間、身振り手振りを交えた格闘講義が続いた。
興味深げにそれを見学していた他の子達もうつらうつらと船を漕ぎ始めている。夜風の冷たさに身震いを覚えたユーライカが、率先して寝支度を始めた。それを見たリリアナがエトの講義の終わりを告げ、皆で片付けを行う。森を出てから始まった一日の終りのルーティーンだった。そうなる筈だった。
ユーライカがクロを抱き上げようとしたその時、クロが耳をそばだて眠そうだった瞼を大きく開いて「だれかきた。」と言った。
「ひ、ひずめの音がします!」
「全員今すぐ荷馬車へ乗れ。」
エトが叫ぶように言うと同時にリリアナが声を荒らげず指示を飛ばす。間髪入れずに残った荷物を荷台に放り込んだユーライカが「ほら、早く。」と子供達を促し、ルーリエが荷馬車へ馬を繋ぎ直しに走った。子供達を荷台に押し込めたユーライカと、焚き火に砂をかけて消して駆け寄ったリリアナも協力して、物の数分で馬を繋ぎ終えた。荷台にリリアナが陣取り荷台の後部からルーリエが身を乗り出して耳を澄ませる。
「……遠くにそれなりの魔力持ちが何人か居ますね。」
「エト、クロ。お前達の耳でどのくらいわかりますか?」
「え、えっと……いっぱいのお馬さんが走ってるのは、わかりますけど……あっちのほうです。」
「こっちにきてる。」
焚き火を消して当たり一面星以外の光源が無くなった暗闇の荒野に、一行のやり取りだけが静かに響く。
追手かそうでないか、判断するのは難しい。だが一行を先導する冒険者達は、最早そこには頓着していなかった。相手が追手であると既に仮定して、このままこの入り組んだ隆起した大地の隙間で闇夜に紛れるべきか、追手が来るだろう道から一本隣に走っている道に出てゆっくり進み始めるべきか、その二択の間で葛藤していたのだ。相手が耳の良い獣人を擁していた場合、隠れていようと馬の吐息を聞きつけてここを見つけるかもしれない。道を変えて逃げたとしても、その道にも追手を放っていないとは限らない。そもそもこんな場所で野営をしたのだって、夜闇で不慣れな道の行軍、その危険さを考慮したからであって現状、その危険は何一つ解消されていない。予期せぬ所で魔獣に襲われ、最悪追手に挟み撃ちされるかもしれない。
極限の中、二人は咄嗟に正確な判断を導き出さねばならないのだ。その焦りや不安はユーライカも感じ、子供達もそれを敏感に察知していた。ヒト一倍怖がりなエトも、恐怖にぶるぶると震える身体を抱えながら、それでも耳をそばだて続けている。
ルーリエの頬を冷たい汗が一筋流れた。
「リリアナ、やはりそちらに出てゆっくり進み――。」
「そいつぁ困るな。」
「!?」
頭上。
声のした方へ反射的に振り返った一行は視線の先、荷馬車よりヒト二人分程高い所まで伸びた隆起した廃土の頂点で器用にしゃがみこんている男を認めた。いや、星明りに照らされたその姿は一見して性別を見分けるのが難しい。声質に拠る推測だ。
「無駄に逃げられちゃあうちのボスが待ちくたびれちまう。」
読んで頂きありがとうございますm(_ _)m
お待たせしました。
毎度のことながらいつも行きたいところまで進めめられません。未熟。
書きたいことを詰め込んだらこんなことに……これでも削ってはいるのですが、ままならぬ。
一行の考えは甘かったようです。敵の追手に追いつかれてしまいました。
一行は無事ここから逃げ出せるのか!まだ一人だけだし大丈夫かな!?
まて次回!
評価などなどお待ちしてます。




