2 アンバー姫、悔しがる
相変わらず無礼なハインリヒとにらみ合ったままお互いをののしり合っていると、いつの間にか王城についていた。
ハインリヒはさっさと自分だけ馬車から降りると、すたすたと歩いて行ってしまった。
「ちょっと!す巻きにして放置してんじゃないわよ!」
イモムシ状態なので、はって降りようとすると、御者のカエルが馬車の中へ入って来て私をお姫様抱っこで連れだしてくれた。
「あら、気が利くじゃない。でも、出来ればこのす巻き状態をどうにかしてほしかったんだけど。」
話しかけてみたけれど、カエルは無表情で無言のままだった。
時折、ホーコー、という謎の息遣いが聞こえてくるだけだ。
それにしても、このカエルはずいぶんと背が高いし、良いにおいがする。
どこかで嗅いだことがあるにおいだと、くんかくんかしていると、ハインリヒに追いついていた。
どこへいくのかと思えば、宰相であるハインリヒの執務室に連れていかれた。
初めて入ったけれど、その中は思わず白目をむいて気を失いそうなほどやばかった。
四方には全身がうつる大きな鏡が設置され、筋肉トレーニングのための器具が所狭しと置かれ、半裸のハインリヒの筋肉ムキムキの肖像画がいたるところに飾られており、それはどれもアドレナリン全開の良い笑顔だった。
先に入っていったハインリヒは来客用のソファに座って手鏡で髪を整えている。
顔を突き合せたくないのに、カエルは私をその向かいのソファにそっと下すと、ぐるぐるに巻かれていたヒモとゴザを丁寧に取り払ってくれた。
「ちょっと、一体どういうつもりなのよこの筋肉バカナルシスト!」
「うるさいぞカルシウム不足のヒステリー女。プロテインでも飲んで落ち着け。」
「落ち着いてられるかあああああーーーーーー!!!!」
筋肉ムキムキなマッスル召使が、並々とカップに注がれたプロテインを私にすっと出してきた。
それを一気にぐびぐびと飲み干してがんっとカップをテーブルに叩きつけたると、マッスル召使がおかわりを注いだ。
それを確認して、ハインリヒが斜め45度の決め顔をし、仮面に右手を添えながら話し出した。
「実はこのたび、私とグドトウキュ王国のチクワ姫との婚約が決まった。」
「へぇ興味ない。コングラッチュエーション。」
グドトウキュ王国といえば、我が国とは長年敵対関係にあったのだが、近年その関係修復がなされるようになった、北方の農業国だ。
「あら、でもチクワ姫はたしかもともとお兄様との婚約話があった方よね。」
「そうだ、本来ならば王子が政略的に結婚するはずだった。それがあの夢見がちなロマンチストが本当に愛する人と結婚したいとか言ってシンデレラと結婚してしまったから、その代わりとして私が選ばれたのだ、許さん。」
「なによ、いいじゃない。何が問題なのよ。むしろ相手は王族の方なんだからあんたにはもったいないくらいじゃない?」
「私は、私の顔と筋肉が一番大事なんだ!結婚なんかしたくない。」
「わがまま言ってないで公爵としての役割を果たしなさいよ。」
「チクワ姫は、とても毛深くてヒゲが生えているらしいんだ。」
「……。」
「ヒゲが、生えているらしいんだ!嫌だ!私は美しいものしか好きではないし見たくない!」
「まあ、そりゃあチクワ姫も色んな毛が生えてるだろうし、剛毛でも仕方がないじゃない。人間なんだもの。」
「なんで姫君が剛毛なんだ!100歩ゆずっても、結婚するなら美人で性格が良くて胸はDカップ以上の男を立てて3歩下がって後をついてくるようないつもニコニコしてる可愛げのある女じゃないと嫌だ。」
「よーし、歯ぁ食いしばれ!今から私が全女性に代わってお前を成敗してくれる!」
指をポキポキと鳴らして戦闘態勢に入ると、ハインリヒは
「顔だけはやめろ!」
と言って顔を両手で覆った。
殴りかかろうとしたらマッスル召使とカエルに両腕をおさえられ、どうどう、と落ち着かせられてしまい、結局ハインリヒを懲らしめてやることができなかった。
「ああ危なかった。実はチクワ姫は明日には王城に到着されるのだ。が、私は絶対に結婚したくないので、かのアンバー姫が恋人だといえば納得して国に帰ってくれるんじゃないかと思ってるんだ。お前は姿形だけは美しいからな。姿形だけは。」
「うるさい、あんただけには言われたくないわ!誰があんたなんかの恋人役をするもんですか。潔く国家のために殉じなさい。人は見た目じゃないのよ。」
「人のことをばかにしているが、お前だって人のことを見た目で判断しているじゃないか。今お前が熱を上げている、西方国境警備隊隊長のロバート・ロイ・フロストも相当の美男子なんだろう?」
「私はロバート様の顔だけが好きなわけじゃないのよ。体も声も匂いもすべてが好きなの!」
「姿形だけではないか。」
「もちろん、一番素晴らしいのはその強いお心なのよ。私がロバート様を好きになったのは、先だっての軍会議にお兄様の代わりに出席したときのことがきっかけなの。あの軍という組織の中にあって、上官に対しても自分の意見をしっかりと言われるところや、上からの圧力に屈せず、間違っていると思うことははっきりとおっしゃっている姿を見て、こんなに強い人がいるのかと衝撃を受けたの。私は今まで姫として周りの言われるがままに過ごしてきていたから、こんな人もいるのかと尊敬する気持ちが生まれたし、今までの流されるままの自分を恥ずかしいとも思ったもの。」
「ふうん、じゃあフロスト隊長がハゲでデブになっても好きでいると言えるんだな?」
「もちろんよ。べっとべとの脂汗をかいてハアハア言っててもこの熱い気持ちは決して変わらないわ。」
嘘偽りない気持ちをはっきりというと、なぜか後ろに控えていたカエルが私の顔をじっと覗き込んできた。
「だいたい、これはお兄様とあんたの問題でしょ。私を巻き込まないでちょうだい。」
「そもそも王子が予定通り剛毛ヒゲ姫と結婚すればよかったんだ。むかつくからこの前あいつの部屋にカメムシ300匹をお見舞いしてやった。」
「もしかして300匹自分で捕まえたの!?」
「もちろん。この近くの林で筋トレをしつつ10日ほどかけて捕まえた。おかげでいつもよりバルクアップできた。」
「陰湿すぎるわよ。というか、こんなのが宰相で大丈夫なのかしらこの国は。」
今更だけど不安を感じてしまう。
「王子はいままでちょっと甘やかしすぎたな。この前のレモーネなんとかって女を死刑にしようとしたのも、罪刑法定主義に反していた。それにお前にそんな権限はないぞと思ったもんだ。これからはどんどん厳しくしていかなくては。ああ、そういえばあの死刑囚も結局はお前が助け出したようなものだったな。」
「結果的にはね。あれはお兄様と言えどちょっとやり過ぎだと思ったし。私もこれからはお兄様の代理として下らない会議に出席するのはやめるわ。お兄様も、課題を全部各部署に持って帰って再検討という結果しかでない、やる意味がわからない会議に出てイライラを募らせる苦痛を味わえばいい!」
「新婚生活を邪魔するように1人でする公務を今の10倍ぐらい増やしてやろう。」
「そうしてちょうだい。と、いうわけで、私はたとえふりでもあんたの恋人役なんかやりたくないから、クグロフに戻るわ。」
立ち上がって部屋を出て行こうとすると、ハインリヒが立ちふさがった。
「待て!」
「いいかげんにしなさいよバカンリヒ!」
「私の筋肉を見ろおおーーーーー!!!!どうだ!!!!キレてるだろう!!!」
ハインリヒが上半身裸になってフロント・ダブルバイセップスのポーズで迫って来た。
「ええい、うっとおしい!おらあっ!!」
私はハインリヒの弱点である顔の右半分を覆う白い仮面を、べりいっとはいでやった。
「あああああーーーーー!!このアンバカ姫!顔が!顔が痛かゆい!!」
ハインリヒは顔の右半分が日光に当たるとすごくかゆくなる、ただし生命には関わらないほどのこと、というなんとも器用な持病を持っているのだ。
マッスル召使が慌ててカーテンを閉めると、症状がおさまったようで、急いで仮面をつけていた。
「はあ、はあ、はあ。ふん。そんなに私に逆らうような真似をして、いいと思っているのか?」
「当たり前でしょ。私は姫なのよ。あんたこそ自分の立場をわきまえなさい。」
「そんなことを言っていいのか?この前お前が勝手に公印を押していった結婚許可証だがな、あれは印鑑が偽物だ。公文書としての効力はない。こんなこともあろうかと印鑑をすり替えておいたのだ。」
「なんですって!」
結婚許可証を取り出して確認してみると、印影をよく見たら「筋肉本舗」と書いてあった。
「よってお前とフロスト隊長に結婚の許可は下りていない。ただし、私の恋人役を無事つとめれば、本物の公印を押してやろう。私は宰相だぞ、この国の行政のトップだぞ。恐れおののくがいい。」
「ぐぬぬぬぬぬぬぬぬ。」
「フハハハハハハハハハ!ビルドアップ!」
ハインリヒの高笑いがひびく中、私は悔しがることしかできなかった。
ありがとうございました。