第二百六章 革騒動~第三幕~ 1.バンクス
さて、時系列を少し遡って――
行き掛かり上からクリムゾンバーンの鞣し革という大層な代物を手がける事になったダイムである。
今一使い勝手の判らない「幻の革」という事もあって、最初に手がけたのは小物類であったが、ダイムの本業は革鎧などを専門とする防具職人である。小物作りで手慣らしを済ませた以上は、本業に回帰して革鎧など作ってみたいのは山々であるが、それを手がけるに当たっては障害となるものがあった。肝心要の「幻の革」である。
何しろ長の年月に亘って沈没船の中にあっただけに、鞣し革はあちこちに腐蝕が見られ、所謂虫喰い状態になっていた。小物入れ程度ならいざ知らず、革鎧のように纏まった面積の革を採るのは難しい状態である。
通常ならここで涙を呑んで断念するのであろうが、幸か不幸かダイムの上司――に、なるんだよな? 一応――たるクロウは、「通常」とはかけ離れた存在であった。
〝纏まった面積が採れないのなら纏めてしまえ〟――とばかりに、虫喰い状態の革を寄せ集めて、巨大な一枚ものの「革」を創ってしまったのである。
……それが通常の大きさのワイバーン――クリムゾンバーンはワイバーンの色彩変異――からはどう足掻いても採れないような面積である事など、今更気にしてはいけない。
雑念を追い払った――このところ重要なスキルになりつつある――ダイムが存分に腕を振るったそれは、革鎧というよりも革製のジャケットのように見えたのだが、これは甚くクロウの気に入った。
どうせこちらの世界で使うと目立ち過ぎるという事で、日本に持ち帰って普段使いにしたのである。当然ながら、異界渡りの効果で妙な力を備えるようになっているが……クロウが気付く筈も無ければ、仮に気付いたところで気にする事も無いのであった。
さて、そんな感じに安閑とした日々を送っていたダイムであったが、その頃イラストリアの国内ではどうなっていたかというと……
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現時点でクリムゾンバーンの革を加工できる唯一の職人であるダイムが革小物の加工を中断しており、パーリブの店に卸された革製品は全てローバー軍務卿代理が接収した。
これらの必然的な帰結として、イラストリア国内に姿を現した「幻の革」製品は、短時間その姿を見せつけただけで、再び「幻」と化していたのである。
さてそうなると、稀少性の高まった「幻の革」を入手したいと考える者たちが陸続と出てくるのは当然であり、そんな者たちがどこを訪れるのかというと……
「……ですから、店に在庫はございませんし、次回の入荷分も全て、お上がお買い上げになる事に決まっておりますんで……」
その筆頭に挙げられるのが、件の「幻の革」が入荷したパーリブの店なのであった。
何しろパーリブ本人が――まだ詳しい事情を知らない頃に――得意客に案内を送ったりして盛んに宣伝したものだから、取り扱い先を特定されるのは時間の問題であった。事実そうやってパーリブの店を探り出した客が詰めかけるようになり、店の在庫をほぼ接収されたパーリブが、ローバー卿の名を持ちだして謝絶を続けているのであった。
とは言え、そこはパーリブも商売人であるからして、上得意にこっそり融通する分は別に取り置きしてあった。これらは謂わば予約分であるのだから、勘定に入れなくても問題は無い筈だ――と、自分に言い聞かせて。そして、そういう商品の流れを抜け目無く嗅ぎ付けた者たちが引っ切り無しに店を訪れているのだから、或る意味でパーリブの自業自得である。
ただ、それら取り置き分も全て引き渡しを終えた現在でも、
「そこを何とか。入荷直後、いや、直前にでも報せてくれれば、何を措いても直ぐ駆け付けるので。無論、相応の代金は払おう」
――と、諦めの悪い客が取引を要求してくるのだが、
「申し訳ございませんが、お上に睨まれるような真似をしては、この国を追われる事にもなりかねませんので……どうかご勘弁を」
パーリブとて無い袖は振れないのであった。
(はぁ……この国の貴族様が押し掛ける事は判っていたが、まさかマナステラや沿岸国からも客がやって来るとは……)
己の身に降りかかった災難を思って、一介の小商人に過ぎぬパーリブは溜め息を吐くばかりであった。




