第百九十八章 革騒動~第二幕~ 10.イスラファン~国務会議~
ヤシュリクの町の一画で商人たちが論を争わせていた頃、イスラファン王城の一室では、国務卿たちが同じ問題で頭を痛めていた。
「……古酒に続いて幻の革か……」
「この調子で第三弾、第四弾などと、出してこられては堪らんぞ?」
彼らが話題にしているのも、やはりサルベージ品の事であった。
「事は我が国だけの問題ではない。貿易立国を標榜している沿岸諸国の国是を揺るがしかねん」
「そんな事は言われんでも解っておる。だが――一体何をどうすればいいと言うのだ?」
言うまでも無く、沿岸諸国は海運によって国の経済が成り立っている。過当競争を防ぐために、各国の間で政策や経済の調整を図り、一種の経済共同体を構成していたのである。それもこれも、大陸西部における海運をこれら各国が独占している事で可能となっていたのだが……
「……ここへ来て、その大前提が揺れている訳だがな」
現状は小規模な取引に収まっているので、国家権益の侵害だなどと目くじら立ててはいないが、神経を尖らせているのは事実なのであった。
しかも問題になっているのが、これまで見過ごされてきたサルベージ行為である。
「今までは航洋能力だけを問題にしていたからなぁ……」
「うむ。サルベージというのは盲点だった」
「広漠たる海の底に沈んでいる船を探し出すなど、夢物語を通り越して、寝言としか思えなかったからな……」
「一考する必要すら無かった訳だ」
ある意味で隙間産業的な部分があるサルベージについては、規制が届いていない……どころか、抑規制と言えるようなものが存在しない。のみならず、そのサルベージを行なっているのがノンヒュームであるらしい。彼らとの間には国家間のような対話の窓口が無い――少なくとも、沿岸国は伝手を持っていない――ため、現時点では交渉が可能かどうかすら不明である。
恐らくは魔術に長けたエルフ辺りが関わっているのだろうが、だとしても一人や二人でどうこうできるような事業ではあるまい。船だって然るべき規模と能力のものが必要となる筈で、何らかの組織が動いている節がある。今評判の「連絡会議」とやらが黒幕なのかもしれないが、自分たちはその「連絡会議」に連絡を取る手蔓を持たない……
「まぁ、マナステラ辺りは更に神経を尖らせていそうだが……」
「マナステラだけの話ではないぞ。我々だとて同じだ」
「いや……そこが不思議なんだが……その『連絡会議』とやらは、我々が気分を害するとは考えなかったのか?」
国務卿の一人が提示した問題は、居並ぶ一同の意表を衝いた。
「……確かに……言われてみれば奇妙に思える」
「国際関係というものに無頓着なだけではないのか?」
「そうとも取れるが……高々沈没船からの回収品ごとき、問題になるまいと思っているのかもしれんぞ?」
「実際に、規模としては小さいからなぁ……」
確かに規模だけ見れば小さいのだが、長年海底に沈んでいた事による付加価値の大きさが半端ではない。
「ただ……それは人間たちの間での話だからな……」
「うむ。エルフやドワーフ、獣人たちにとっては、単に酒であり素材であるだけなのかもしれん」
「革の方はともかく、古酒は一切市場に流れていないしな」
「ドワーフたちが粗方飲み尽くしてしまって、被害を免れた一部だけが人間社会に流れて来たという話だからな……」
「クリムゾンバーンの革にしたところで、正確な価値は解っていなかったようだ。店主が付けた値を、交渉もせずにそのまま受け容れたという話だ。……まぁ店主の方も、適正な値を付けていたようだが」
「抑、市場経済というものを考えていたかどうか……」
彼我の価値観の懸絶ぶりに、改めて問題意識と危機感と疲労感を覚える国務卿たち。
「……案外、彼らの方としては、偶々手に入ったからお裾分け――ぐらいのつもりかもしれんぞ?」
「悪意も打算も下心も無しか」
「ある意味で最も交渉に困る相手だな……」
砂糖とビールでテオドラムに嫌がらせをするだけだと思っていたノンヒュームたちが、今になって古酒だの革だのを持ち出してきた理由は何なのか? 人族全般に対して経済攪乱を仕掛けてきたのかと懸念していたが――
「……これはどうも……そうでない可能性の方が高いか?」
「だが、それとて希望的な憶測でしかない。確かめる事は必要だろう」
「そう、問題は交渉という一点にある。なのに我々は、遺憾ながら彼らノンヒュームに対する伝手を持っていない」
「確かにな。個人的な知り合いくらいならともかく、『連絡会議』という組織に対する伝手が無い。……人族の国家として、これは由々しき問題かもしれん」
「今後も……と言うか、今後ますます意思の疎通が必要になる相手だろうからな」
――といった次第で、可及的速やかにノンヒュームたちとの間に伝手を求める方針が決定される。
そしてそれだけに留まらず、沿岸諸国内におけるノンヒュームたちの動向についても、それとなく調べるという方針が採択された。
……この決定が新たな混迷の素となるのは、もう少し先の話であった。




