第百九十八章 革騒動~第二幕~ 1.火口から火種へ(その1)
イラストリア王国軍務卿代理のイェルマイア・ローバー卿は、自分の軽はずみな行動を後悔していた。
「今更ぼやいたところで、どうにもならんでしょうが」
「勝手な事を言ってくれるね。抑の発端は君だろうに」
「革の事に気付かねぇままに、この騒ぎに巻き込まれた方が良かったとでも?」
クリムゾンバーンの「幻の革」を巡っての見苦しい兄弟喧嘩が勃発しそうになったが、
「まぁ、巡り合わせが悪かったというのはありますから」
独り部外者のような顔付きで、ウォーレン卿が仲裁に入った。
「……ウォーレン……自分だけ蚊帳の外を決め込もうってんなら、無駄な足掻きだから止めとけ」
「しかしですね、これはどう考えても第一大隊の管轄じゃないでしょう。巻き込まれたのは将軍の個人的な事情によるものであって」
「第一大隊にゃ関係無くても、お前にゃ関係あるんだよ。面倒な事は全て、儂らんとこに廻って来るもんと決まってるんだ」
「これに関しては弟に同意するね」
軍務トップの二人からの無慈悲な宣言を受けて、ガックリと項垂れるウォーレン卿。
「……他国との外交問題なんて、軍が関わっていいもんじゃないでしょう。……原因を作ったのが軍務の誰かさんであったとしても」
「その原因の大元が沈没船のサルベージ品で、サルベージ品について一家言ある誰かさんが第一大隊にいるわけだから。諦めろ」
「全く……マナステラが余計な嘴を突っ込んで来るから……」
彼らが嘆いている大元の原因はクリムゾンバーンの「幻の革」にあるのだが、そこへ更なる火種を呼び込んだ者がいた。誰あろう軍務卿代理のローバー卿なのだが、単なる火花を火種にまで育てた火口は、マナステラとイスラファンからそれぞれもたらされたものであった。
どういう事かと言うと……
・・・・・・・・
「古酒」に続いて国内に持ち込まれた「幻の革」。
そのせいでまたぞろ貴族たちが騒ぎ出したら面倒だとばかりに、クリムゾンバーンの革製品は国王府が独占的に購入する――と、ローバー卿が早手回しに動いた事は既に述べた。
些か独断専行のきらいはあるが、一々会議に諮って手遅れになった日には目も当てられない、それくらいなら自分が責任を取る。口さがない者たちが何と言おうと、王家の権威で貴族たちを押さえつけねばならない。さもなくば、古酒騒動の二の舞だ……
ローバー卿のこの判断自体は、強ち間違っているとは言い難い。
ただ、惜しむらくは既に手遅れであった事と……イラストリア王家の権威でどうこうできない相手というものを想定していなかったのが、手抜かりと言えば手抜かりであった。
後に火種を育む事になる最初の火口は、バンクスを訪れていたマナステラの人族商人が持ち帰った。この町で満足のうちに取引を終えた彼は、何か土産にできるものは無いものかと、偶々目に付いたパーリブの店にブラリと足を踏み入れたのである。
そこで目にしたクリムゾンバーンの革財布――クロウが持ち込んだ札入れタイプ――を見てすっかり惚れ込んだ彼は、滅多に入荷しない「幻の革」であるとのパーリブのセールストークが気に入った事もあって、それを購入したのであった。無論この世界には紙幣などは無いが、小切手や為替に似たようなものは存在している。それらを纏めて入れておくには重宝しそうだ。試しに使ってみて勝手が悪いようなら、適当なところで売っ払えばいい。
当初はその程度の認識であったのだが……使ってみるとこれが中々具合が好い。小銭を入れておくスペースもあるので、普通に財布としても使える――実際に財布なのだから当たり前――という事で、すっかり気に入ってしまった彼は、もはや手放すつもりなど無くなっていた。
そのせいで、帰路に立ち寄った町でも売りに出す事などせず、マナダミアに帰り着いた時点で仲間に見せびらかして……
〝クリムゾンバーンの革だと!?〟
〝あぁ、店主はそう言ってたな。この色合いといい柔らかさといい、何とも好い感じでなぁ……〟
〝既に製法も途絶え、幻の革とまで言われている代物だぞ!?〟
〝うん? ……そう言えば……店の親爺もそんな事を言ってたな〟
〝万金を積んでも手に入るかどうかというものを、そんな端金で手に入れたというのか!?〟
〝おぃおぃ、端金はないだろう。これでも結構な値段して……〟
〝バンクスで手に入れたと言ったな!? どこから出て来た代物だ!?〟
〝い……いや……店主も獣人が持ち込んだとだけしか……〟
〝獣人!? ノンヒュームか!!〟
――後はお解りだろう。
ノンヒュームとの融和共栄を標榜しながら、クリーヴァー公爵家の一件でミソを付けたマナステラにとって、「古酒」に続いて「幻の革」までもがノンヒュームの手によってイラストリアに持ち込まれた――という事は、マナステラ王国首脳部のみならず商人たちの沽券にかけても、到底容認し得ざる事態であった。
イラストリアに後れを取るなとばかりに、バンクス最寄りのマナステラ商人たちに、何が何でも「幻の革」を入手せよとの指令が下ったのである。
燃料を追加されたマナステラの商人たちが勢い込んでパーリブの店を訪れ……ローバー卿が遺していった鑽火がそれに引火する日は、目前に迫っていた。




