第百九十七章 泥炭騒動 1.災厄の岩窟
『クロウ様! テオドラムの馬鹿どもが、川底をブチ抜きました!』
ただならぬ様子のケルからただなならぬ内容の報告を受けて、クロウは思わず天を――現実には洞窟の天井を――仰いだ。
『……ケル……お前が言いたいのは、ひょっとして泥炭層の一件か?』
『はい……申し訳ありません。あの馬鹿どものやらかしが酷過ぎて、つい落ち着きを失いました』
『……どんな報告を聞かされるのか怖いんだが……報告しろ』
――ケルの報告した内容を紹介する前に、この話の前段とも言うべき事件について説明しておく必要があるだろう。
抑の切っ掛けとなったのは、雪解け後間も無い四月の末に、テオドラムの一兵士が泥炭を発見した事であった。
その辺りから事態を振り返って見る事にしよう。
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「燃える? この泥みたいなのがか?」
「はい。発見した兵士の言うには、乾かしたものなら燃料に使えるそうです。そこまで強い火力は得られないとも言っていましたが」
「それが事実なら……これは現場の判断でどうこうできるものではないな。すぐに確認を……あぁ、乾燥してないと燃えないか」
「はい。なので現状では確認がとれておりません」
副官からの報告を受けて、現場指揮官はふむ――と考え込んだ。
本来なら現場で確認を取った上で報告を上げるのが正式だが、テオドラムの燃料問題に関わる内容だとすると、これは早急に報告を上げるべきか。抑自分たちに課せられた任務は、「石炭」とかいう燃える石の発見だ。今回のこれは少し違うようだが、放置しておけるような内容でもない。……やはり、報告を急いだために確認する暇が無かったと断って、急ぎ報告を上げた方が良いだろう。
そう判断して副官に指示したところが――
「……大至急で報告ですか?」
困惑したような表情を浮かべる副官に、今度は自分が困惑させられる事になった。
「……何か問題でもあるのか?」
「いえ……問題と言うか……あまり慌てて動くと、マーカスの連中に気取られるのではと思いまして」
「あぁ……そっちがあったか……」
マーカスとは現状友好的な――少なくとも、過度には敵対的でない――状況での対峙が続いている。とは言え、こちらが重要な発見をした事を気取られるというのも面白くはない。もしも兵卒の話が本当で、これが燃料として使えるのなら、事と次第によってはテオドラムの国情を一変させる可能性がある。もしもその事を気取られたら、マーカスがどのような行動に出るか……予断の許されない事態である。
……と、ここまで考えて、現場指揮官は自分には抑採れる手段が限られている事に思い当たる。
最速というなら飛竜だが、そんなものここには置いてない。ゆえに、徒歩か馬かの二択しか無いのだ……ここには。
「……定期報告の便に紛れ込ませるという手はあるが、それだと向こうに着くまでに半月かかる。報告はできるだけ急ぐべきだ。同じものをマーカスが発見していないとも限らんからな」
指揮官の懸念を聞かされた副官は思わず絶句するが、
「……急ぎというなら、ニコーラムから飛竜を飛ばすのが最速かと」
「マーカスの目を誤魔化すというならグレゴーラムの方が良いだろうが、距離が倍近くかかるからな。……ニコーラムの飛竜は使えるのか?」
「多分問題は無いかと。少なくともこちらには、何の連絡も来ていません」
「万一問題があったら、それは向こうがどうにかするだろう。……よし、少なくともここにできる最善手は、ニコーラムに押し付……協力を仰ぐ事だな」
「付け加えるならもう一つ。彼の地にはアインベッカー教授がおられます。意見を伺う事もできようかと」
「益々好都合だ。……となると問題は、ニコーラムまでどうやって行かせるべきかだな」
「マーカスの目を欺く事を考えるなら、早馬は下策かと。闇に紛れて密使を送るのが一番ですが……」
「その場合は徒歩になるか……どれくらいかかる?」
「馬なら五日、徒歩だと……急がせても八日はかかります。ちなみにグレゴーラムまでだと、馬で八日、歩きで十三から十四日というところでしょうか」
「……その点だけでもグレゴーラムは論外だな。やはりニコーラムまで歩きで行かせるしかないか」
「運が好ければ、途中で馬車を拾う事もできるかもしれませんが……」
「当てにはできん。今夜中に出せるか?」
「色々と手配もありますし、難しいかと。……こんな時、噂に聞く遠話の魔道具があれば便利なんでしょうが……」
「無いものの事をぼやいても始まらん。あるものを使って本分を尽くすのが軍人の仕事だ」
一応は副官を窘めるが、内心ではその意見に同調せざるを得ない。……報告書に現場の意見として追記しておくべきだろうか。
「……解りました。兵士たちはどうさせます?」
「普段のとおりに振る舞うように言っておけ。……それと、明日からは泥炭の採掘を中心……いや、その前に、どれだけの範囲に分布しているのかの確認を先行させろ」
「解りました」
「あぁ待て。……報告には、部隊の増援が必要になる可能性についても触れておけ」
「それは……はい、承知しました」




