第二章 外へ 1.精霊樹
いよいよ主人公が洞窟を出ます……が、相変わらず人間は登場しません。
従魔たちのステータスも大分上がったある日、洞窟――ダンジョンって感じじゃないしな――の入口を開いて外に出ようという事になった。キーンなんかは猪を狩るぐらいだから、外で魔物に出くわしてもなんとかやれるだろう。
『ハイファ、出口周辺に敵対的な存在は?』
『大丈夫……です。出口付近に……危険な……生きものは……いません』
ハイファは洞窟外にも菌糸を伸ばしてくれているので、それを通じて外界の様子がわかる。引き籠もり気味の俺たちの優秀な耳目というわけだ。
「それでは、はい、ゲート、オープン」
ってわざわざ言うほどの事もないんだけど、まぁ気分だ気分。
適当に唱えただけなのに、入口の岩壁はイメージ通りに変形して出口を開けてくれた。いやぁ~、ダンジョン魔法って優秀だね、ほんと。
初めて見た異世界は緑豊かで瑞々しく、どこまでも青い空は高く澄み切って、空気は美味しく……要するに古き良き日本の田舎そのものだった。そりゃ、初っ端からドラゴンだのスケルトンだのに出くわしたいわけじゃないが、もう少し異世界らしい出会いってものを期待したのは贅沢なのか。
季節は春という感じだろうか。まだ少し冷たさの残る空気と、暖かな日射しが心地よい。こっちの季節は日本と同期してるんだろうか? 衣服の準備なんかの点では便利だが。
しばらく立ち止まって深呼吸する。特に体の変調は感じられない。危険な生きものの気配も感じないが、警戒は怠らない。一番やばいのがこちらの住民に見つかる事だ。この世界の住民の身体的特徴や服装、言語などは判っていない。今の俺の恰好がこの世界にマッチしているのか、それとも不自然に浮いているのか、そのそも会話が成立するのか、判らない以上住民との接触は避けたい。ご近所さんが人間じゃない可能性だってあるしな。ゴブリンとの友好的な付き合い方なんて知らんぞ。
当面は身を隠して、遠くからの観察に徹しよう。デジカメ、ビデオカメラ、望遠鏡と、そのための機材も準備してきた。
『あ、マスター、こっちに道がありますよ~』
いや、キーン、お前今までの話を聞いてたか。人通りの多い道なんか通りたくないんだが。
『ご主人様……人の気配は……ありません。それよりも……この道の先……精霊の気配がします……』
……精霊?
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草に埋もれかけた山道を辿った先にあったのは、日本ならご神木とあがめられそうな巨樹だった。見上げるような梢のあちこちに、何か小さなものの気配がある。あれが精霊なのか?
『見慣れぬ客人よ。いずこから来られたか』
頭の奥に響いてくるような念話を受信したが、この巨木からか?
『ご主人様……これは……精霊樹からの……念話です』
それならちゃんと挨拶しないとな。
『偉大なる先達よ。我は遥か彼方の世界から、虚無を渡ってこの地に参りし者。貴殿に害意も邪心も抱くものではない。この世界との友誼を望む』
いや~ぁ、中二病全開の台詞だね。言ってて恥ずかしいけど、この世界にはこ~ゆ~芝居じみた台詞が似合うだろう。
『異世界より来られし旅人よ。我はこの地に長らく根付く者。心より歓迎させて貰おう。できれば貴殿もこの地を愛されん事を願う』
これが、その後も長い付き合いとなる精霊樹との出会いだった。
・・・・・・・・
『では、クロウが異世界より持ち込んだ物を食べた結果が、そこにいる非常識な連中という事か?』
精霊樹の「爺さま」との最初の出会いからかれこれ十日。二、三日おきにこちらに来ては付近を偵察し、簡単な地図を作るといった作業を進めている。爺さまとも大分打ち解ける事ができて、こっちの事情も話している。あ、「クロウ」ってのは俺の事ね。苗字が烏丸だから、烏の英名でcrow。
『まあ、そういうこったな。元々が大きくならない種族だったせいか、身体は小さいままに魔力だけが強くなったわけだ。そういう意味では規格外といえるだろうな』
『まったく……見かけは小動物で中身は魔物とは、敵に回したら厄介な事この上ないのう』
『しかし所詮は小兵。圧倒的な巨体を相手にした場合は、踏みつぶされて一巻の終わりだ。だからこそ、ただのトカゲやスライム、スレイターの振りをしなきゃならん』
『それと同時に、より強い魔力を持つように、か』
『魔力を隠すための偽装スキルもな』
『ところでものは相談なんじゃが、この老骨も最近息切れがするようになってのぅ。お主の振る舞いにあずかる事ができれば幸いなんじゃが……』
『息切れって……。まぁいい、肥料とか水か? 別にいいぞ。今は手持ちがないが、今度来る時に持って来よう』
『むぅ、それも楽しみと言えば楽しみなんじゃが、できれば今、お主の持っておる甘露を戴けんかのう』
『甘露?』
『それ、ゆまりじゃよ、ゆまり』
『ゆまりって……尿か?』
この日から、俺は爺さまの根元に立ち小便をするよう義務づけられた。正直、不敬な感じが山盛りなんだが、爺さまからすれば「ご褒美」らしい。双方の感覚の食い違いというか、異文化交流というのは難しいもんだ。