第百九十三章 思惑と誤解 2.クロウ(その2)
クレヴァスの現状から、「誘いの湖」が及ぼすであろう影響に、そしてそれに対してテオドラムが採ったであろう対策に思い至ったクロウは、慌てて眷属会議を招集した。「誘いの湖」造成に伴う周辺環境の緑化によって、害虫害獣の類が大発生し、テオドラムの農業などが攪乱される可能性、その結果難民や流民が発生する可能性を懸念していたのだが……
『……すると何か? 当面はその心配は無いというのか?』
『皆無とは言えませんが、そこまで差し迫った状況ではないと思います』
クロウに答弁しているのは、元・テオドラムの将軍であり、現在は元・テオドラム兵士のアンデッド二個大隊を束ねる、ペーター・ミュンヒハウゼンであった。
『抑あの湖は、荒れ地の中に突如現れた「島」のようなものです。生物の供給源となる場所からは相応に離れていますから、動植物が「湖」に辿り着くのは時間がかかる筈です』
――言われてみればそのとおりである。テオドラムの反応が妙に迅速だったため、釣られてこちらも慌ててしまったが……大発生も何も、まず生物が彼の場所へ辿り着かなくては話にならない。
最近隣の供給源となるとテオドラムの農地だろうが、「誘いの湖」はそこからも結構な距離がある。
『バッタぐらいなら空を飛んで来る事も考えられますが……』
『……肝心の、バッタの繁殖に適した草地が無い――か』
『はい。なので当面は然程に心配する必要は無いかと』
『だが――その可能性が無い訳ではないんだな?』
地球世界においては、トノサマバッタの仲間が草地で大増殖した挙げ句、飛行に適したタイプが出現して、遠く離れた場所まで移動しては作物や植物を食い荒らす事が、古くから飛蝗の名で知られていた。或いはネズミが大発生して作物を荒らす事も度々あり、生物の大発生が国をも揺るがす事は珍しくなかった。今回のケースでも、その可能性が無いとは言えないのだが……
『はい。ただし先程申し上げましたように、差し迫った状況ではありません。こちらから予防策を採る事も、できなくはないかと』
『……確かにそうだな。しかしそうなると――』
『はい。テオドラムの反応が過敏です』
実のところテオドラムは、謎のダンジョンマスター――クロウの事――が、害虫害獣の大発生を引き起こすために湖を造った可能性まで想定しており、それが過敏とも言える対応に繋がったのだが……当のクロウたちはそんな事情など知る由も無い。
――なので、こういう勘繰りも出て来るわけで……
『……つまりあれか? 害虫や害獣の大発生への備えをお題目として、その裏で兵糧の備蓄を進めている可能性も……』
『はい。遺憾ながら否定はできません』
う~んと考え込むクロウたち。
これが開戦の準備を進めているというような話であれば、四面楚歌のテオドラムが、そこまでするかという疑念も湧くのだが……
『食糧の備蓄というだけなら、開戦の準備だと決め付ける事もできんしな……』
『はい。正しく大発生への備えである可能性もありますし』
それでなくとも、緊急時への備えであると言われれば、難癖も付けにくい。
『ソレイマンのビール攻勢説も捨てがたいし……「誘いの湖」の造成は、テオドラムの選択肢を増やす結果に終わったか……』




