第百八十章 王都イラストリア 3.王都イラストリア
氷室の稼働を一ヶ月後に控えた王都イラストリアでは、関係各部署が各様の混乱に見舞われていた。
何しろ、戦争以外では久々となる、国を挙げての大プロジェクトである。当然ながら、主管する酒造ギルドだけではなく、王国の各部署も多忙を極めていた。……文字どおり殺人的な勢いで。
「……商務に自分の同期がいるんですが、先日久しぶりに会ったらアンデッドみたいになってましたよ……」
「内務は特別補正予算で人員を増やしたと聞いたんだが……それでもなのか……」
冗談ではなく、クロウ配下のアンデッドの方がまだ健康的かもしれない。
「あそこはなぁ……氷室の稼働に伴って、生鮮食料品の価格の見直しとか税率の変更とか、果ては流通関連の仕事まで押し付けられてるからなぁ……」
「流通? 道路関連は内務の管轄だろう? 商務が出張ってくるのは筋違いじゃないのか?」
「道路そのものはな。しかし、今回は道路自体ではなく流通……具体的には運送費の見直しやら何やらで忙しいみたいだ」
「あぁ……車載型の冷蔵箱を使えば、より遠くの産地から食品を運んで来られるから……」
「そう、従来の調達体系は見直しを迫られている訳だ。何しろ氷室と冷蔵箱の導入は、それらを悉く、しかも一気にひっくり返す。商務部が主導して調達可能な距離やら期限、運送費などを決めてやらんと、大混乱になるのは必至」
「商務の連中も大変だな……」
「いや、大変なのは商務だけじゃないぞ? 生鮮食料品の消費期限が変わる訳だが、混乱した市民たちの間で食中毒が発生する可能性がある。……という事で、医療関係者も大車輪らしい」
「今回は試験的な販売に留まると聞いたんだが?」
さすがに生鮮食料品の販売を野放しにするのは危険過ぎるとして、王国はまず試験的に一~二ヵ所で生鮮野菜の販売を実施し、その結果を検討した上で、次回は肉類の試験販売という具合にスケジュールを立てていた。
「逆に、試験だからやる事が多いんだ。まず、どこの誰が何を買ったのか記録するらしい」
「……面倒がるやつも多そうだな」
「そんなやつには売らんのだろうよ。でだ、購入者の居留する地域に通達して、監視と警戒を要請するそうだ。食中毒対策だな」
「……どちらかと言うと人体実験みたいに聞こえるが?」
「食料品の試験販売なんだから、必然的にそういう側面を持つだろうな」
・・・・・・・・
王国所属の官僚団が天手古舞いをしている頃、王都の商業ギルドでも大混乱が発生していた。
「物件は押さえられたのか!?」
「駄目です! どこもかしこも満杯で……空き家なんかありません!」
「くそっ……王国商務部は何と言っている!?」
「あっちはあっちで大騒ぎの真っ最中です。対応している暇など無いと、けんもほろろに追い返されました。それに商務部としても、万一に備えて宿舎は確保しておきたいので、こっちに廻すゆとりは無いそうです」
「――! ギルド保有の物件……宿舎じゃない、空き倉庫の類をリストアップしろ。それと、お偉方とそのOBに連絡して、何とか部屋の用意をしてもらえ! 急げっ!!」
「はいっ!」
彼らが何を焦っているのかというと……一言で云えば宿舎が足りていないのだ。
事の起こりは少し前、氷室と冷蔵箱の導入によって生鮮食料品の調達圏と保存期間が変わると聞いた農畜産家の代表たちが、農業ギルドを介して長期の視察を申し込んできたのである。ちなみに、農業ギルドが対応していないのは簡単な理由で、農地が存在しない王都には事務局以外の組織が存在していないからである。
さて、取引のある農畜産家が相手だけに商業ギルドも無下にはできず、滞在の手配を――軽はずみにも――請け負ったのだが……その後になって宿泊施設の不足、正確に言えば空き部屋の不足という事態に直面したのであった。
「……くそぅ……ドワーフどもめが余計な真似をしたばっかりに……」
氷室と冷蔵箱の御目見得に際して、冷えたエールの試験販売がなされると聞いたドワーフたちが、大挙して王都イラストリアへ押しかけたのであった。
「酒造ギルドも悲鳴を上げていました。まぁドワーフたちは、エールの試験販売に間に合いさえすれば、馬小屋の床にごろ寝でも文句は言わないそうですが」
「こっちの相手はそうはいかん。農畜産家のお偉方だけに、年配の方が多いからな」
「……最悪、倉庫に泊まってもらうとしても……それなりの寝具とかは必要ですよねぇ……」
「その件ですが……」
「何かあるのか?」
「一部の市民が民泊とでもいうようなものを計画しているようです」
「民泊?」
「……金を払って個人の家に泊めてもらうという事か?」
「はい。色々とややこしい事になりそうなので、本来ならば望ましくはないのですが……」
「……今は事情が事情か……」
「えぇ、どうしたものかと……」
「……ここで判断するには話が大き過ぎる。急いで簡単な報告書をでっち上げろ。上の指示を請う必要がある。必要ならば法務も巻き込め!」
「はいっ!」
・・・・・・・・
「確認するが、冷却材としては氷室の氷を優先するんだな?」
「あぁ。今回は試験という事もあって、用意した氷だけでどこまでやれるのかを調べておきたいらしい」
「氷魔術は最後の手段って訳か……」
「お偉方としては、魔法頼みになるのを避けたいらしい。まぁ、無理もない話だな」
「王都の氷室にある氷だけで大丈夫なのか?」
「大丈夫な訳が無い。不足する分は、山に造った氷室から運び込む。溶けるのを防ぐために、搬送は夜間になるな」
「夜間に山から王都まで氷の輸送か……前例の無い計画になるな」




