第百七十九章 湖の秘密 7.王都イラストリア
「災厄の岩窟」から少し離れた位置に出現した謎の湖――一部では「誘いの湖」などと呼ばれ始めているらしい――の事は、間を置かずにマーカスおよびテオドラムから各国に通達された。国境問題に関しては日頃から内政干渉だと突っぱねて憚らないテオドラムであったが、今回の件はさすがに予想外であったらしい。単なる国境問題の枠には収まりそうにないとの前置きとともに、各方面に――テオドラムにしては――詳細な情報を流していた。
そしてそれらの情報を受けて、早朝からいつもの四人が額を寄せ集めて討議に至っているのであった。
「……ウォーレン、アレを造ったのはⅩに間違ぇ無ぇとしてだ……ありゃ、ダンジョンなのか?」
眉間に皺を寄せて質問の口火を切ったのは、ローバー将軍であった。先だって無思慮にも〝もう一つくらいダンジョンができれば〟などと口走った事もあってか、どうにも気になっているらしい。
「問題はそこです。Ⅹが一夜にして造り上げた事からするとダンジョンのようにも思われますが……既知のダンジョンと違い過ぎます」
ウォーレン卿がこれに答える。……同じような失言を先日口走った事など、おくびにも出さないで。
「違い過ぎる――とはどういう事かの? これまでに湖水型のダンジョンが無かった訳ではないと思うが?」
不審そうに聞き返した宰相であったが、それに答えてウォーレン卿が言うには、
「えぇ。問題なのは湖水という事ではなく、周囲を岩塊が取り囲んでいるという事です。――まるで人間の立ち入りを拒むように」
「む、そっちか」
「成る程……言われてみりゃあ……」
そもダンジョンとは、自らの領域内に獲物を誘い込んで殺すか、あるいはダンジョンモンスターに殺させる事によって、魔素や魔力を回収する仕組みである。獲物の侵入を拒むような構造をとる筈が無い。ダンジョンマスターがデザインに関わっていたとしても、本質的な問題は変わらない。獲物であれ敵であれ、内部への誘い込みを前提としていないダンジョンなど、その存在意義が揺らいでくるではないか。そんなものがあろう筈が無い……クロウの「ダンジョン」を除いては。
「……けどよウォーレン、だとしたら一体全体何のために、Ⅹはあんなもんを造りやがったんだ?」
「現状では不明です。という事はつまり、あの湖はⅩの遠大な計画の第一歩であると考えられます」
「……始めの一歩だから、そこから計画の全貌を見通す事ができねぇって訳か」
――違う。
遠大な計画も何も、精霊たちの移動の便宜を考えて、人間たちに邪魔されない精霊門の設置場所を用意しただけだ。
精霊門が開設された時点で目的は果たせたため、クロウとしてはこれ以上「湖」に手を入れるつもりは無い。況して将来の計画などあるものか。
「恐らくは。何しろあのⅩの事です。途方も無い計画を練っているに違いありません」
違うと言うのに……
「うむ……ウォーレン卿、Ⅹめの計画とやらの片鱗でも予測はできぬか?」
国王の質問に、ウォーレン卿はしばしの逡巡を見せた。
「……おぃウォーレン、何か考えがあるってんなら、洗い浚いぶちまけろ」
「確信も無くこのような憶測を申し上げるのは、忸怩たる思いを禁じ得ませんが……」
「いいからとっとと話せ」
「……敢えて想像を逞しゅうすれば、水源を餌にしてテオドラムの兵を誘き寄せ、殲滅を図るという可能性があるかと」
「殲滅だぁ?」
「……待て。という事は……ウォーレン卿、彼の湖は単なる湖ではないと?」
「恐らくは強大な防衛能力を持っているのではないかと。ダンジョンであると聞かされても小官は驚きません」
大阪城の真田丸のようなものを想像したらしい。考え過ぎにも程がある。
「……ありそうな話に聞こえるな……」
――違う。
大事な事なので繰り返すが……全く違う。
「ただ……この策を成すためには、水源としての彼の湖の価値が重要になっている事が必要です。言い換えるならば、他の水源地の価値を下げる事、すなわち渇水を引き起こす事が必要になります」
「……おぃ……」
「干天を引き起こすほどの力がⅩにあるのかどうかは判りませんが、彼の湖がテオドラムの水源となっている河川の上流にある事を考えると、毒を流すとかの手段も不可能ではないでしょう」
ウォーレン卿の不吉な想定に、居合わせた一同は声も無い。
「ただ……そこまで苛酷な行動に、あのⅩが出るかどうか。……これまでのⅩの方針にそぐわない気がするんですよ」
Ⅹことクロウが最も警戒しているのは、テオドラム国民の難民化である。そのクロウがそんな馬鹿な真似をする訳が無い。
そこまでの裏事情は知らない一同にも、これまでのクロウの方針に合致しないという事は何となく察せられた。
「ふむ……確かに、これまでⅩが見せた仁徳とは相容れぬ気もするの」
仁徳どころか、テオドラムの侵攻部隊――二個大隊四千名弱。ダンジョンマスターが一度に殺した数としては恐らく屈指――を殲滅しているのだが。
「もう一つの可能性としては……テオドラムとマーカスが争いを始めるのを牽制するためとも考えられますが……」
「実際にそんな兆候でもあんのか?」
「いえ……ですからこれも説得力が無い訳で」
「ふむ……迂遠のようではあるが、このまま事態の推移を見守るのが一番か」




