第百七十九章 湖の秘密 1.クロウ(その1)
「洞窟」のマスタールームで、ダンジョンロードたるクロウは考えていた。
五月祭は何とか大過無くやり過ごしたものの、その後に巡察隊の派遣やらクリムゾンバーンの革やら「還らずの迷宮」への侵入者やら土地取引の証文やら……色々と面倒な案件が重なった。正直言って少々疲れ気味ではあるが、やるべき事はまだまだ山積みになっている。従魔たちと心安らかにひっそりと生きる筈だったのが、何がどうしてこうなったのか……
(……ぼやいたところでどうにもならんな。今はとにかく溜まった仕事を片付けるか……)
独り大きく溜息を吐きつつ、クロウは懸案になっている問題に意識を向ける。
(急ぐ必要があるのは精霊門か。取り敢えず三ヵ所ほどは開設できたが……精霊たちの交流の正常化を目指すんなら、まだまだ門の数を増やすべきだろうな)
次なる精霊門の候補地としてクロウが目を付けているのが「災厄の岩窟」、正確に言えばその近辺であった。
国境線上のダンジョンという特殊な条件のせいで、「岩窟」にはテオドラムとマーカスの兵士が昼夜を分かたず入り浸っている。そんな場所に精霊門を開くなど、無茶を通り越して無謀である。――であれば、〝ダンジョンのせい〟という理由が通じる程度に近くであり、なおかつ兵士たちが立ち入れない場所に門を設置するのが良い。唯一問題があるとすれば、〝そんな都合の好い場所は無い〟という事ぐらいだろうが……何、無いのなら造ってしまえばいいだけだ。
(精霊が好みそうな環境と言えば森林だろうが……鬱蒼とした原生林なんか、いくら俺でも簡単には造れんからなぁ……)
岩山や洞窟などの無機構造物ならまだしも、調和の取れた森林生態系など、一朝一夕に出来上がるものではない。木魔法使いの眷属たちに任せれば、樹木を生長させる事ぐらいなら――それでも一朝一夕という訳にはいかないだろうが――できるかもしれない。しかしそれでは、単に間延びした樹木が並んでいるだけだ。それで森林生態系を名告るなど、烏滸がましいにも程があるだろう。
(土壌は土魔法ででっちあげるとしても、林内に生育する生き物たちを誘致できないとなぁ……少なくとも、五年十年五十年という年月がかかるよなぁ……)
そんなには、待てない。
(とすると……湖とか湿地とかが狙い目か? 「岩窟」の様子を見る限りじゃ、地下水には不足しないみたいだしな。周囲に草や低木を生やしてやれば、即席だがビオトープっぽくはなるだろう)
「クレヴァス」のダンジョンを整備した時の経験から、その手のビオトープの創出に関するノウハウの蓄積はある。眷属たちの意見も参考になるだろう。
(まぁ、ちょっとばかり規模は大きくなるが、造った後のフォローとかは、あまり考えなくていいだろうからな。なら、さっさと造ってしまうのが一番か。生き物を誘致する事も視野に入れているから、活動期である今を逃すと、生物相の回復が遅れそうな気がするしな)
――という、クロウ視点では至極妥当な論理によって、「災厄の岩窟」近傍に湖を造る事が決定したのであった。
……ちょっとした国家事業のスケールだという事など、今更気にしてはいけないのである。




