第百七十五章 革騒動~第一幕~ 8.再びバンクス
少し長めです。
「……はぁ……軍務卿閣下が態々こちらへお出ましとは……」
「いや、代理なんだけどね。まぁ、それはいいとして……では、例の革は間違い無くノンヒュームから出たものだと?」
「あ、はい。その件は将軍閣下にもお知らせした筈ですが……?」
「あ、あぁ。聞いてはいるけど、一応確かめておく必要が、ね」
尤もらしい顔付きで誤魔化しはしたが、イェルマイア・ローバー卿は内心で弟の無頓着さを呪っていた。大方細かな話は気にも留めずに聞き流したか読み飛ばしたかしたしたんだろう。あの軍務馬鹿は……
自分も軍務卿代理という職にある事も忘れて、心中でローバー将軍に呪詛を放ったイェルマイア卿であったが、そんな事は無論おくびにも出さない。
「それで問題の革製品だが、他にもあるのかね?」
「あ、はい。幾つかは売れましたが……」
「売れた!?」
「は、はい……お陰様で……?」
ローバー将軍から住所を訊き出してすぐ、時間の無駄を省くために自らバンクスまで飛んで来た――比喩ではなく、実際に飛竜を使った――のであったが、時既に遅く幾つかは売れてしまったらしい。
となると……この革の事が世間に広まるのは防ぎ得なかったか……
「……どこに売ったのか教えてもらう訳には……」
「申し訳ありません。それは商人としてできかねます」
恐縮しつつもきっぱりとイェルマイア卿の要求を謝絶したパーリブの様子を見て、ローバー将軍からの情報が正しい事を確認する。一本芯の通った信頼できる商人だとの話であったが……こういう時くらい融通を利かせてくれてもいいのにとも思うイェルマイア卿であった。
「……うん、仕方が無いね。では、今後革の出所については口を噤んでもらいたい。非公式ではあるが、これは王国からの依頼だと考えてもらって結構。代わりと言っては何だけど、今店にある……その……アレの革は、すべて言い値で買い取ろう」
古酒騒動の再来を防ぐために最善の手を打とうとしたイェルマイア卿であったが、
「……その……次回以降の入荷分はどうなりますんで?」
「――次回!?」
その目論見は呆気無く、しかも予想外にして最悪の形で潰える事になった。
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ここで少しばかり時間を遡って、パーリブがクリムゾンバーンの革製品を暫定価格で買い取ってからイェルマイア卿が来店するまでの、事態の推移を明らかにしておこう。
購入の翌日、パーリブはクリムゾンバーンの名刺入れを王都のローバー将軍へと発送した。バンクスから王都までの便は、特別仕立ての特急馬車を使っても五日はかかる。飛竜便なら一日で済むが、まさかそんな出費はできない。と言う訳で、その間漫然と待つつもりなど無かったパーリブは、王都への便を送り出したその足でパートリッジ卿の屋敷を訪ねたのであった。
折良くというのか、丁度居合わせたルパまでもが、いつもなら興味を示さない筈の革細工に関心を示した。どうも「幻の革」と聞いて、クロウに見せびらかす魂胆らしい。パートリッジ卿は友人のハーコート卿の分まで購入したが、それを見ていたルパが父親と兄たちの分を確保しておくべきか悩み始める。贈るだけならともかく、ただでさえ他の貴族のやっかみが酷い父親に「幻の革」なぞ送り付けて良いものか。結局、次回以降の入荷は――その時点では――未定というパーリブの言葉を聞いて、取り敢えず確保だけはしておく事にしたようであった。
翌々日店を訪れたクンツに、パートリッジ卿たちとの商いで得た金額を参考にして未払い分を支払ったパーリブであったが、そこに事務局の意を受けたクンツが相談を持ちかけた。実は前回の会話の中で、パーリブがセルマインの知人である事が明かされていた。その情報に接して直ちにセルマインに確認を取った事務局は、セルマインからパーリブの為人について保証された事もあって、パーリブをクリムゾンバーンの革製品の販売窓口にしようと目論んでいたのである。……面倒事を押し付ける生贄に定めたとも言うが。
そんな裏事情を知らないパーリブは、クリムゾンバーンの革製品がもう少し――在庫の量を明かさない辺り、クンツも中々にあざとい――手に入ると聞き、素直に喜んで販売を受け持つ事を了承した。まぁ、次回分が入荷するのはまだ当分先の事なのであるが。
明けて翌日、どこからかクリムゾンバーンの革製品の事を聞き込んだらしき客数名がパーリブの店を訪れ、数点を購入していった。その中にはマナステラの人族商人もいたのだが、国際関係にまで首を突っ込むつもりの無いパーリブは頓着せずに売り捌いている。
その後もちらほらと訪れる客に革製品を売りつけていたパーリブであったが、自分用にと購入した蟇口の使い勝手が思いの外良かった事で、もう少し大きい鞄は作れないものかと考えていた。店を訪れたクンツにその旨相談したところ、職人に伝えるだけは伝えてみるという回答を得た。依頼を受けたダイムがクロウに相談した結果、クロウがハンドバッグの見本を都合する羽目になったりと、色々な事があったのだが……パーリブが王都のローバー将軍に名刺入れを発送してから十一日後、ローバー軍務卿代理がパーリブの店を訪れたのであった。
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「……つまり……次回以降もまだ、クリムゾンバーンの革製品が入荷する予定がある。しかし、その期日も量も現時点では不明だと?」
「そういう事になります」
ローバー卿は内心で呻き声を上げた。「幻の革」というからには、それほど大量に出回ってはいまいと考え、取るものも取りあえずに飛んで来たのだが……どうやら目算が甘かったらしい。
「……どれだけの量が入荷するのか、全く見当が付かないのかね?」
「申し訳ありませんが……何でも、入手した革のうちどれだけが無事なのか、職人にも能く判っていないそうでして……」
「無事……? ひょっとして、この革というのは……」
「はぁ。何でも沈没船から引き揚げたんだとか」
悪い予感が的中した。
この革が古酒と同じように難破船から引き揚げられたとするなら、海底で数十年、場合によっては百年以上も眠っていた事になる。革の品質が不明なのも道理である。
更に悪い事に、入手した革がそれほど古いものだとすると、クリムゾンバーンの革が「幻の革」になる以前のものである可能性が高い。……言い換えると、高価ではあるがそれなりの量が出廻っていた頃の。畢竟、ノンヒュームたちが入手した革の量も――過半が使用に耐えなくなっている可能性を差し引いても――それなりの量になっている可能性がある。
つまり――もはや一個人の財力でどうこうできる範囲を越えている。
「……判った。取り敢えず、いまある分は全てこちらで購入したい。それと、次の入荷があったら即座に……他の客に売る前にこちらへ連絡してほしい。そのための通信機はこちらで手配しよう。あと、この革の出所については、さっきも言ったように口を噤んでもらいたい。……色々と騒ぎになる可能性もあるのでね。王家はそのような騒動に巻き込まれるのを好まないんだ」
「騒動」だの「王家」だのという不穏な単語を聞かされて、思わず顔が強張るパーリブ。地道に真面目にコツコツと商いに励んできた自分が、どうしてこんな面倒事に巻き込まれねばならないのか。
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店の外で様子を窺っていた「鬱ぎ屋」クンツは、気付かれないようにそっと、しかし大急ぎで店を離れた。今店内に入れば、間違い無く厄介事に巻き込まれる。そんな面倒は願い下げだ。ともかく、この事は直ちに連絡会議に報告しておくとしよう。




