第百七十二章 密偵受難曲~導入部~ 2.誤解と早合点のフーガ
ところ変わってこちらは王都イラストリア、困惑した様子でひそひそ話をしているのはテオドラムの密偵たちである。
(「どうする?」)
(「どうするもこうするも……どうしろってんだ?」)
(「初っ端から見込みが大きく外れたからなぁ……」)
イラストリアが秘密裡に軍事拠点を造っているのではないか――その疑問を確かめるべく送り込まれて来た彼らであったが、五月祭の混雑で宿泊や通行に難儀する羽目になり、ようやく王都イラストリアに到着したのは五月祭終了後の事であった。
町の様子を見る限り、開戦準備にひた走っているような気配は無かったが、ともあれそれとなく――註.当人たち基準――聞き込みをかけてみたところ、案に相違して懸念されたような軍事拠点などは出てこなかった。
代わりに出てきたのは氷室の話である。それも去年の秋に落成済み、数日前の五月祭でお披露目済みの。
(「これってやっぱり……?」)
(「お偉方の勘違いだろうなぁ……」)
(「だがな、この話をそのまま持ち帰る訳にはいかんぞ?」)
(「正確には、この話だけを――だろう?」)
(「……氷室の話を目眩ましにして、どこかに本物の軍事施設を構築している可能性、か……」)
(「あり得るのか?」)
(「話としてはあり得るし、少なくともそれについて何も調べずに戻ったら、間違いなく懲罰の対象だぞ」)
(「だよなぁ……」)
(「それに、他にも調べるよう言われた事はあるしな」)
(「贋金造りとダンジョンか……」)
しばし考え込んでいた密偵たちであったが……
(「ここでこうしていても始まらん。取り敢えず今まで判った事を報告して、そのついでに指示を仰ごう。……魔導通信機越しなら、頂戴するお小言も軽いだろう」)
・・・・・・・・
報告を受けた本国の方も困惑した。軍事拠点でなく氷室だというのは解ったが、なぜまた氷室なのだ? 積雪前に完成している必要があるから、秋口に大急ぎで建てる必要があった。……筋が通っているようで通っていない。
なぜ、そうまでして氷室の完成を急ぐ必要があった? 雪解け後にゆっくりと建てればいいではないか。それに、秘密にする必要がどこにある?
秘密裡に事を進めたのは、有り体に言って地上げ対策なのだが……そんな事情があったなどとはテオドラムの方では判らない。取り敢えず氷室について調査を進めるよう指示を出して……密偵たちがその情報を釣り上げた。
「冷蔵箱だと!?」
「食材を新鮮なままに保存しておけるというのか!」
確かにそういう効果もあるが、どちらかといえばそれは副次的な効果であり、イラストリア側の主たる目的は、ただただ冷えたビールを、それが無理なら冷えたエールを飲みたいというのが、最も強い動機なのだが。
「酒造ギルドはカモフラージュか」
「ぬぅ……イラストリアめ、小細工を弄しおって……」
……小細工ではない。元々酒造ギルドが中心になって進めてきたプログラムである。
「しかもだ、訊き込みを続けたところ、氷魔術師の養成を強化している疑いがある」
「氷魔術師だと?」
「冷蔵箱の運用のためか……」
冷蔵箱が原因なのは確かだが、イラストリアが国として養成を強化している訳ではない。どちらかと言えばその逆で、魔術師が氷魔術の修得に走るのを抑えようと躍起になっているのが実情である。
「それはつまり……」
「イラストリアは兵站能力の底上げを図っているということか……」
「なぜかというのは愚問だな」
「うむ、近い将来我が国と一戦交える事を想定しての準備だろう」
……違うと言うのに。
「それだけではないぞ。どうもイラストリアめは、例の遺跡要塞を稼働させる準備に入ったという噂もある。……まだ裏は取れておらんのだがな」
「イラストリアの開戦準備は着々と進んでいるという訳か……」
重苦しい雰囲気が会議室を覆っていた。




