第百七十章 五月祭(楽日) 3.マナダミア
明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
五月祭での混雑が想定の範囲内に収まり、出店の関係者たちが多忙な中にも胸を撫で下ろしていた頃、想定外の混雑に悲鳴を上げている部署があった。どこあろう、マナダミアに開店したばかりの菓子店「コンフィズリー クリスタル」である。
「……あれじゃないか?」
「おぉ……結構賑わってんな……」
「けど……何か、あたしたちみたいな庶民が多くないかい?」
「セレブ御用達の店だって話だったけど……」
「みんな物見遊山気分で押しかけたみたいだな……他人の事は言えんが……」
「あ、でも、門前払いって事は無いみたいな……」
「どうする?」
「折角来たんだし……そぅそぅ来る機会も無いだろうし……」
「入るだけ入ってみるか」
五月祭の出店を訪れた客の中に、ここマナダミアには砂糖菓子の常設店があると聞いて興味を引かれ、来店する者が多かったのである。
普段の彼らなら、こういう高級感溢れる店に入るのは二の足を踏んだであろう。しかし、今は五月祭。「褻」――日常――の日ではなく「晴れ」の日である。いつもなら入らぬ店に入るのもありだという事で、おっかなびっくり入ってみる者も多かったのだ。しかも、店の中に置いてある商品が、これまた非日常的なものであり……
「うわ……高っ!」
「でも、買えない額じゃないわよ」
「試しに買ってみる?」
「まぁ……ちょっと他所では見られない代物ではあるしな……」
「すみませ~ん、この……メロンの砂糖漬け、下さ~い」
(「……嘘でしょう……あれが売れたの?」)
(「精霊術師様はネタ商品だろうって仰ってたらしいけど……」)
(「あ……貴族っぽいお客さんが負けん気を起こしたみたいよ」)
「すまぬ! そのメロンの砂糖漬けとやらをこちらにも!」
「――はい、少々お待ち下さい」
更に、店を訪れた庶民たちの話から、五月祭に出店した駄菓子屋の品揃えに興味を抱くセレブもいて……
「綿菓子というのは、こちらには置いておらぬのか?」
「あ~……済みません、あれは祭りの出店の方で扱っておりまして……」
「なんと……然様なれば致し方無い。菫と薔薇の砂糖漬けを一つづつと……こちらの飴を貰おうか」
「はい。お買い上げありがとうございます」
(「菫の砂糖漬け……?」)
(「あ、ほら、あれみたいよ。……うわ……本当に菫の花だ……」)
(「どうする? 買っちゃう?」)
(「マナダミアにもそうそうは来れないしねぇ……土産に買って帰るかね」)
(「王都の人たちはこんなの食べてるんだ――って、土産話のネタにはなるわよね」)
更にそのセレブたちの会話や行動から、店に並んでいる商品に関心を引かれる庶民たちがいて……一言で云えば所謂相乗効果のスパイラルによって、購買件数が想定以上に伸びていたのである。尤も、それはここだけの話ではなく……
(「あ……さっきのお客さん、五月祭の店舗の方にも廻るみたい……」)
(「結構多いよね」)
(「他所の心配してる暇があったら、手を動かして!」)
五月祭の出店の方にも相応の客が廻ったりしていたが、こちらは最初から客の殺到を予想して準備万端整えていたため、想定以上の被害は発生しなかった。
寧ろ問題だったのは常設店である「コンフィズリー クリスタル」の方で、五月祭との相乗効果など想定していなかったために、完全なオーバーワークに陥ろうとしていた。
「店長っ! 私たちだけじゃお客さんを捌き切れません!」
「仕方がない……研修生たちを投入しよう。お客さんの案内くらいならできるだろう」
「それだけでも助かります」
幸いにして、ここ「コンフィズリー クリスタル」は店員の訓練所を兼ねていた。
その経緯について述べておくと、接客経験のあるノンヒュームの女性たちが常設店の方に動員されたために、当初は五月祭での人手不足が懸念されたのである。しかし、常時接客に当たるという常設店の強みを生かして新人たちを早急に戦力化する事ができたため、五月祭に動員できる人数は却って――少しだけだが――増加するという予想外の好結果をもたらしていた。これに味を占めた連絡会議は、砂糖菓子の常設店を接客の訓練所として位置付けたため、「コンフィズリー クリスタル」にはまだ研修を終えていない研修生たちが数名配属されていたのである。本来なら業務に就かせられるような段階ではないのだが、今の状態を考えるに、半人前と雖も戦力化しないと間に合いそうにない。
多くは年端もいかない少女たちであったが、それでも彼女たちの奮戦もあって、「コンフィズリー クリスタル」はどうにか五月祭を乗り切る事ができた。
――この話には後日談がある。
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『……駄菓子屋の常設店だと?』
魔道通信機を介してクロウと話しているのはホルンである。
『はぁ……意外にも、常連の方々からも声が多くて。店舗の面積的にも売り場の拡張は難しいし、客層も違ってくるだろうして、別店舗として開店しないのかという問い合わせが多く……』
駄菓子に目覚めたセレブたちと、日常的に駄菓子を購入したい庶民たちから、常設の駄菓子屋を開店してほしいとの声が上がったのである。
確かに常設店があれば、五月祭での混雑は緩和されよう。いや、場合によっては出店しなくていい可能性もあるか――と、寸刻考えたクロウであったが、多分それは無いなと思い直す。と言うか、五月祭のあの群衆が一店舗に殺到する事になれば、破綻するのは目に見えている。
『解らないでもないが……その場合、駄菓子の生産力は大丈夫なのか?』
「コンフィズリー クリスタル」に置くセレブ向けの砂糖菓子に加えて、五月祭向けの駄菓子を生産するだけでも大事だったのだ。これで駄菓子の常時販売という事になると、生産力の方が心配である。
『それだけじゃない。手間暇のかかるセレブ向け砂糖菓子はともかく、比較的手軽に作れそうな駄菓子の販売を常態化した場合、砂糖の需要が高まる可能性がある。これで俺たちが砂糖を供給しないと、テオドラムの精糖産業を利する可能性も捨て切れんぞ』
『その件については連絡会議の方でも検討しましたが……既に砂糖の需要は高まっている状態です。寧ろ完成品を供給する事で、砂糖を用いて自作しようとする動きを抑える事ができるのではないかとの意見もあり……』
『むぅ……その可能性もあるか。……そうなると、問題はお前たちの生産能力という事になるが?』
砂糖自体は既にそこそこ以上の量がオドラントに蓄えられている。一店舗で販売する砂糖菓子に使うくらいなら、何とかなる。
『……正直、今は余裕がありません。「クリスタル」の側でもそう説明して、すぐの開店は無理だと答えたそうですが……』
『……砂糖生産の本格化を考える時期にきているのかもしれんな……』




