第百六十九章 五月祭(中日) 6.エルギン(その4)
エッジ村の草木染めとアクセサリーに執心していたのは、何も貴族たちばかりではない。お手軽に買える値段という事で、寧ろ貴族以外の者たちの意気込みが凄かった。ホルベック卿のカミングアウト――瞬く間に会場中に知れ渡った――によってエッジ染めへの圧力はほんの僅か下がったものの、アクセサリーの稀少性はそのままである。故に何人かの客が染め物からアクセサリーに並び直した事もあって、アクセサリー売り場に押し寄せる熱気は凄まじいものになっていた。
ちなみに、転売での利益を目論んでいた商人たちは、早々にその計画を捨てている。下手に買い占めなどした日には、その場で袋叩きにされそうな気配であったのだ。
そして――エッジ村販売所に並ぶ者の中には、ここエルギンの町ならではの客筋もあった。すなわち、エルフを始めとするノンヒュームの女性たちである。
「……ねぇミナ、本当に確かな話なのよね?」
「間違い無いわよサニア。前に草木染めの事で知り合った人間の娘が着けてたのを、確かにこの目で見たんだから」
「あんたを疑う訳じゃないけど……でも、本当にカラムの実でそんなものが作れるなんて……聞いた事も無いわよ?」
「あたしだって驚いたわよ。何でも、土の中に埋めておいたカラムの実って、少し色が濃くなるそうなのよね。けど、色が変わってるのは殻の表面だけだから、少し彫ってやると元々の色が現れてくるんだって」
「へぇ……説明を聞いた限りだと筋は通ってるみたいだけど……その現物、本当にここで手に入るのよね? 新作の染め物を諦めてまで、朝からこっちに並んでるんだから……」
「ここで売るのは確からしいわ。さっき話に出てきた娘から聞いたんだから。ただ……問題は、あたしたちが手に入れる前に売り切れた場合なのよね……」
少しだけ暗い顔になって不吉な懸念を口にするミナ。これを聞いて慌てたのが、サニアと呼ばれていた彼女の友人である。
「ちょ、ちょっとミナ、今更そんな事を言わないでよ!」
「だ、大丈夫よサニア。仮に目当ての細工物――カメオっていうらしいんだけど――が手に入らなくっても、エッジ村のアクセサリーだもの。何を買っても損はしないわよ」
「……言われてみれば、そうね。細工だけならエルフたちだってそう捨てたもんじゃないと思うんだけど……あそこのはデザインが良いのよねぇ……」
エッジ村の加工品の価値を高からしめているのは、一にかかってその洗練されたデザインにあった。その元ネタは、例によってクロウが深く考えずに提供した、アール・ヌーボーやアール・デコ、浮世絵などのデザイン画である。
勿論村人たちにしても、それらのデザインをそのまま真似ている訳ではない。最初期の頃はまだしもそれなりに手慣れた作業となった今は、それらのデザインを自分たちなりに咀嚼して、文字どおりエッジ村風の新たなデザインを生み出していた。
ただ――そのデザインが旧来のものとは一線を画しているのもまた事実であり、その先進的でかつ洗練されたデザインは、イラストリア王国の民衆だけでなく、エルフや獣人といったノンヒュームの女性たちをすら虜にしていた。自ら丸玉の加工者をもって任じているシルヴァの森のエルフにしても、エッジ村のデザインの秀逸さには一目置かざるを得なかったのである。
話を先に進めると、結局この二人は望んでいたカラムの実の細工――ウッドカメオとかナットカメオとか言うべきだろうか――を手に入れる事ができた。そしてその歓声と嬌声は、行列に並んでいない者の関心を引くのにも充分であったのだ。
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「……おい、あそこで歓声を上げているのは……」
「あぁ、エルフの女たちだな。他にも並んでいる者がいるようだが……」
「エルフだけじゃないぞ。人族の女たちも……いや、並んでいるのは女ばかりか?」
「……さっき、別の場所で似たような行列を見かけたんだが……そっちには、貴族らしき男たちもならんでいたな」
「……ちょっと待て。貴族が自分で並んでいたのか? ……使用人を並ばせているんじゃなくて?」
「自分で、並んでいたな」
困惑した様子で話し込んでいるのは、隣国マナステラからここエルギンの五月祭を視察にやって来た一行である。連絡会議事務局との伝手を結ぶという至上目標は叶わなかったが、それでもここエルギンを実地に訪れた事で、マナステラにいたのでは得られないような貴重な情報のアレコレを掴む事ができた。特に、ノンヒュームたちの間に反テオドラムの空気が広がっているという情報は重要なものと目され、一刻も早く祖国に持ち帰るべきと考えていたのだが……
「エッジ村とかいう寒村の産物らしい。染め物とか細工物とか言っていたな」
「そんな小村の細工物に、貴族やノンヒュームが執心しているのか?」
「ノンヒュームの女たちはともかく……貴族までが並んでいるというのは……」
行列の順番取りにこそ使用人を並ばせたが、肝心の品物選びは使用人に任せておけぬ――と言うか、使用人の側が涙目で辞退した――という理由から貴族の女性陣が直々に並び、夫人や令嬢を一人で並ばせる訳にいかなかった夫や父親がこれに――憮然として――同伴する羽目になっているのである。
「……ここでこうしていても仕方がない。実際に確認するしか無いだろう」
「確認って……」
「……あそこに並ぶのか?」
「行列ではなく、実際にエッジ村とやらに出向く手もあるが……」
貴族はともかく、ノンヒュームの女性陣がああまで執着しているエッジ村の装飾品。その本山たるエッジ村に突撃する?
「……その村で、万一下手をやらかした日には……」
「……袋叩きで済めば幸運だろうな」
「ノンヒュームだけでなく、この国の女性陣を決定的に敵に廻しかねんぞ」
結論としては――
「……やはり、危険は冒すべきでは無いだろう。大人しく行列に並んで、前後の者たちの話に耳を傾けるとしよう」
斯くして、隣国マナステラにまでエッジ村の事が知れ渡るという、クロウとしてはあまり歓迎したくない結果をもたらして、怒濤のようなエルギンの五月祭中日が終わったのであった。




