第百六十九章 五月祭(中日) 5.エルギン(その3)
「妾たちにも、ホルベックの奥様がお持ちになっているのと同じ……いいえ、絵柄は妾たちの家紋に合わせて変えて戴きたいですけど、同じようなエッジ染めを譲って戴きたいの」
あぁ、やはりそんな事かと周囲で聞き耳を立てていた者たち――大半は貴族とその関係者――は、続くエグムンド男爵夫人の言葉と村長の返答にざわめく事になった。
「拝見しましたところ、今回はあの染め……ユージン染めでしたかしら? あれはお持ちになってはいないようですのね?」
「は、はぁ……あらぁ随分と……そのぉ……手がかかりますもんで……」
店頭に並べていない? 手のかかる? ……すなわち、稀少価値の高い逸品?
見栄と体面を何より重視する貴族としては、到底聞き捨てにできない内容を耳にして色めき立つ……と言うよりも逸り立つ貴族たち。
そして、それを目の端で捉えて、ここで押し切られては拙いと本能的に察知する村長。なので、ここで村長は乾坤一擲の大勝負に出る事にした。仮にも貴族の奥方の希望を謝絶するなど、領民にとっては心臓に悪いのだが、ここは毅然として断らねば、エッジ村が過重労働で崩壊しかねない。
「……申しわけ無ぇですが、こんただ染めは村の者が片手間にやっとるだけで、量産つぅのは中々に難しいもんがごぜぇまして……特に、ホルベック様に献上した友禅染めつぅんは、村でもまだ試験的に始めたばかりでがんして……染めができる者も、一人か二人しかいねぇもんで……」
村長は友禅染めの大変さを訴えているつもりなのだが、エグムンド男爵夫人を始めとする貴族たちには、友禅染めの稀少価値を宣伝しているようにしか聞こえない。村長がその事に気付いていないのが不憫である。
「……奥様が仰るような受注生産つぅ事になりますと、柄を決め色を決めてから染料を探して、好ぇ按排に染める方法を調べんといけませねぇで、その分どうしても時間がかかりますんで。来年渡せるかどうかも判んねぇですだで、この場でおいそれとお答えすんは……」
時間がかかるという事を聞いて残念そうな、しかしどこかほっとしたような表情を浮かべたのは男性ばかり。その一方で女性陣は、どういう順番で注文を出すかを思案しているようで……その顔色を見れば、一向に断念する気が無いのは明らかである。
ここに至って、最早自分一人では戦線を支えきれないと悟った村長は、救いを求めるような視線をホルベック卿へと向ける。それを受けた卿は黙して小さく頷くと、予て村長と打ち合わせ済みのカミングアウトに踏み切った。――曰く、エッジ染めについてはエッジ村から技術指導を受けて、今後は他の村ででも生産を行なう予定であると。
「お兄様! それは本当ですの!?」
「どうして仰って下さらなかったのですか!?」
「い、いや……何分にもまだ腹案の段階でな。細かな詰めは済んでおらんのだよ。だからな――」
「そんな言い訳はどうでもよろしゅうございます! いつになったら手に入りますの!?」
ある意味で周りの貴族たちが一番聞きたい事を、単刀直入に問い詰めるエグムンド男爵夫人。さすがに実の兄妹だけあって、その口調には遠慮も容赦も無い。
「う、うむ……それはだな……」
攻守ところを変えて、今度はホルベック卿が視線で村長に救援を求める。
「……ただ染めるだけっつぅんなら、他の村でもできる者は……まぁ、今年中にも一人や二人は出てくるでがんしょう。けんど、それを売り物にまでもっていくんは、道具や材料も揃えねばなんねぇんで、もうちっとかかんべぇと。どんだけの村が手を貸してくれるかにもよるでがすが……簡単な染めなら来年には何とかなるんでねぇかと。……こらぁ、殿様の肝煎りがあっての事でがすが」
おぉっとどよめく貴族たち。その視線から察するに、ホルベック卿の株は大いに上がったようである。
だが、それだけでは納得しない者もいる訳で……
「ユージン染めは? ユージン染めはどうですの!?」
「は、はぁ……ご注文戴いてから図案を決めて、それに合わせて染料を探して、染め方を調べてとなりやすと……しばらくの間は他の村に手伝いに行かねばなんねぇんで……それを考えると、少なくとも二~三年はかかるとみて戴ければと……」
「二年後……二年後にはあのユージン染めが手に入りますのね?」
「い、いえ……だから、少なくとも……」
「楽しみにしていますわ!」
聞く耳持たない様子のエグムンド男爵夫人に、せめてホルベック卿の親戚だけに留めてくれるよう納得させ得たのは、村長の大殊勲であったろう。




