第百六十八章 五月祭(初日) 2.王都イラストリア(その1)
晴れて冷蔵箱が解禁された今年の王都イラストリア。
酒造ギルドが気合いを入れて出店したビアホールならぬ「エールホール」は、ギルドの思惑以上に賑わっていた。
しかし、そこで交わされる会話の端々は、必ずしもギルド員たちが満足できるものではなかったのである。
「ふむ……王都の酒造ギルドが満を持して売り出したっちゅうから、どんなもんかと思っていたんじゃが……正直言ってビールには今一つ及ばんのう」
難しい顔付きで講釈を垂れているのは、イラストリア王国王立講学院――通称、学院――に勤務するドワーフであった。
「そうなのか? 自分にはこれで充分に美味いと思えるんだが」
「これより美味いってのか? そのビールとやらは」
そしてそれに応じたのは、王国軍第一大隊に籍を置く二人、ご存じダールとクルシャンクであった。
「うむ。儂は偶々昨年バンクスに出かけておってビールを飲む機会を得たんじゃが……アレは善いもんじゃった。酒精は少し弱いんじゃが泡立ちが良うて、口に含むと、こう……何とも言えん爽やかな苦みがあってのぅ……キリッとした喉越しも、キューッと胃の腑が冷えるような冷たさも……まぁ、冷たさはコレも及第点なんじゃがな」
「……そんなに違うのか」
「おりゃ、冷やしたエールってなぁこんなに美味いのかと思ったんだが……」
「うむ。ビールっちゅうのは、エールに似てはおるが別物じゃな。同じように冷やしてみると、その違いが際立つわい。……温めて飲む分には、エールも中々悪くない……ちゅうか、エールの方に軍配が上がったんじゃがな」
「……そんなものを、いつ、どこで飲んだ?」
「偶々今年、バンクスの新年祭に出かける機会があってのう」
「偶々が随分が多いな、おぃ」
「偶々じゃ、偶々」
ダールとクルシャンクのジト眼を、どこ吹く風と受け流すドワーフの男。埒が明かぬと見たか、クルシャンクが話題を変える。
「しかしよ、冷蔵箱はこの後一般にも出回るってぇじゃねぇか。てぇ事は、この夏はずっと冷えたエールが楽しめるんだろ? 五月祭だけのビールってやつより、こっちの方がありがてぇじゃねぇか」
「いやいや、五月祭で冷えたビールを飲み、その後は王都で冷えたエールを飲む。これが一番じゃろう」
「まぁ……そりゃそうかもしんねぇけどよ」
「現実問題として、自分たちは王都を離れられん訳だ。王都でこれを飲む機会が得られた事を喜ぶべきだろう」
この日、同じような会話がところどころで交わされたのであった。
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「で? 兄上のお眼鏡にゃ適いましたかい?」
「ビールというのを飲んだ事が無いから、そちらの優劣は判らないよ。ただ、従来の常温のエールと較べると、この時期は冷やした方が美味しいのは確かなようだね」
酒造ギルドが出した「エールホール」の一角で、冷えたエール片手に話し込んでいるのはローバー兄弟。供の一人も連れずに示し合わせて抜け出した王国軍第一大隊指揮官のイシャライア・ローバー将軍と、その兄で軍務卿代理の地位にあるイェルマイア・ローバー卿の二人である。
ビールの生産自体は既にドランの独占ではなく、各地各国のノンヒュームたちにも公開されている。ただしそれらはまだ試作の域を出ず、需要に較べて生産量が圧倒的に不足しているのが実情である。
「冷蔵箱の方は順調に進んでるんで?」
「一応進んではいるんだけどね……」




