第百六十八章 五月祭(初日) 1.バンクス
五月祭の初日、バンクスに出店した亜人の「ビアホール」は、昨年と変わらぬ混雑に見舞われていた。
「どうせこんな事になると思ってたんだ……」
開き直ったような口調で呟くのは、獣人の若い男。そろそろ汗ばみ始める季節とあって冷やしたビールは大好評であり……早い話が、店は殺人的な忙しさに見舞われていたのである。
「今年は王都で冷蔵箱がお披露目されるから、そっちへ流れる客も多いんじゃないかと言われてたが……」
「冷蔵箱の御利益は無しか……」
昨年末に突貫工事で造り上げた王都の氷室は問題無く機能し、冷蔵箱の実働試験も済ませてある。後はある程度の規模の試験運用だけという事で、酒造ギルドが主宰する冷やしたエールの試験販売を五月祭で行なう事が決定された。この布告には多くの国民が関心を示したため、来る五月祭においては相応の人数が王都イラストリアに流れ、ノンヒュームたちの出店における過密状態は緩和される……などという甘い期待を抱いた者は、ほとんどいなかった。
過去の五月祭と新年祭では、人手不足解消のための増員を謳いながら、蓋を開けてみれば前回以上の客に毎回圧倒……いや、蹂躙されかけた苦い経験があるのだ。今回だってきっとそうなるに決まっている。
「……それでも、大幅な人員増のお蔭で、去年ほどの混雑でないのが救いだな……」
「スタンピードみたいだったからなぁ……去年は」
「魔獣討伐よりも苛酷な任務があるって、初めて知ったよ、俺……」
ノンヒュームたちが出店した「ビアホール」に、相も変わらず呑兵衛たちが集まっている理由は、既に常連となりつつあるドワーフの二人連れの会話を聞けば判るであろう。
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「ぷはぁ~……美味い! 冷えたビールちゅうもんは、こんなに美味いもんじゃったか!」
ゴッゴッゴッと擬音が聞こえてきそうな勢いでジョッキを空けたドワーフのボックが、感に堪えぬという様子で呑み友達のギブソンに声をかけた。
「善いもんじゃろう、ボック。是非ともお主に呑んでもらいたかったんじゃ」
「うむ……お主が口癖のように〝冷えたビール、冷えたビール〟と言うておったから気にはなっとったんじゃが……これは無理もないわい!」
「単に〝冷えた〟というだけなら、王都でも今年から冷蔵箱が解禁になるそうじゃが……あっちにはビールは無いでのぅ……」
「そうじゃな。冷えた『エール』なら王都に行けば呑む機会もあるじゃろうが、冷えた『ビール』が飲める機会は、恐らく今しか無いからのぅ……」
「うむ。ビール自体は今年も売ってもらえそうじゃが……ここバンクスに冷蔵箱が出回るのは当分先じゃろうし、王都にビールが出回るのもまだ先じゃろうからな」
ドランの村がビールを卸しているのは現状バンクスだけだが、バンクスには冷蔵箱は出回っていない。バンクスからは酒造ギルドが各地へ流通・販売を受け持つ事になっているが、ドワーフへの販売は人族に遅れる事二週間と決められている。そして、待ち焦がれたビールを手に入れたドワーフが、更にそれを――冷蔵箱のある――王都へ運ぶまで我慢できるかというと……その可能性は限り無く低いと見られていた。
結果として、ドワーフたちが「冷えたビール」を確実に呑めるのは、五月祭のこの時を措いてより無いという事になるのである。
「……開発中のアレが上手くできればいいんじゃが……」
「シッ! ……ギブソン、それは禁句じゃ」
ドワーフの二人が声を――ドワーフ基準で――低めて話しているのは、彼らドワーフがクロウから教えられて開発中の、硝石による冷却技術の事である。硝石が水に溶ける時の吸熱反応を利用した冷却法については、既に亜人連絡会議を通じてドワーフたちに入れ知恵してある。それを知ったドワーフたちは恐るべき執念を発揮して硝石の鉱脈を発見、秘密裡に採掘を始めていた。硝石の精製がある程度進み、できたそれらを用いて吸熱溶解を確認したところ……確かに冷却効果がある事が確認された。現在は具体的な利用法と設計について検討されている段階である。
「まぁ……仮にそれができたとしても、ビールを樽ごと冷やしておく事まではできんようじゃから、どうあっても冷蔵箱が必須という事になるんじゃが……」
「上の連中も色々と運動しておるようじゃが……少なくとも王都で運用成績を挙げてからという事になるじゃろうな」
「それまではアレ頼みという事になるが……そうすると、効率的に冷やすための容器が必要かのぅ……」
「成る程……樽という訳にはいかんからのぅ」
「これも上の方に提案しておくべきかのぅ」
「冷えたビール」に対するドワーフたちの執念は、「ビール瓶」の開発というところにまで進みそうな気配であった。




