第百六十七章 困った客 4.王都イラストリア
マナステラ王国からの五月祭視察団がバンクスに到着してから九日後、マナステラからの特使はイラストリア国王との会見に臨もうとしていた。
元々今回の表敬訪問は、五月祭の視察団を送るに当たってイラストリアに一言の挨拶も無しでは拙かろうという理由によるものだ。言い換えると、特使としてはイラストリア王家に対して何の交渉も要求も釈明もする必要が無い。当たり障りの無い挨拶だけして引き下がればよかったのである。特使としては気楽な立場の筈であった。
……にも拘わらず、特使の表情は冴えない。その理由は、ここへ来る途中に立ち寄ったシアカスターの町にあった。
シアカスターは元々王都イラストリアの前哨という目的で建設された要塞都市である。王都の門番という位置にあるために古来から交通の要衝でもあり、商業的にも栄えている。ちなみに、シアカスターの名は古語で「猫の砦」を意味するが、初代城主がシアフォード侯爵であったからとも、侯爵夫人が猫好きで城内に猫が溢れていたからとも言われている。しかし、特使の表情を曇らせているのは猫ではない。
(……あの店は、遠目に見ただけでも大変な混雑ぶりであった。店に遣わした者の話では、マナダミアに開店した砂糖菓子店よりも心持ち広く、洗練されていたようだというが……)
特使の頭を占めているのは、つい最近シアカスターにお目見えしたというノンヒュームの砂糖菓子店の事である。
連絡会議事務所の設立・五月祭への出店・古酒と、立て続けにノンヒュームたちに袖にされてきたマナステラであったが、初の砂糖菓子店出店の地という栄誉はマナステラの王都マナダミアの上に輝いた。今年の新年祭ではマナダミアほか一ヵ所にも出店してもらえた事もあり、ノンヒュームたちに見限られたのではないかという懸念はどうにか払拭できた……と思っていた矢先、マナステラを出立する直前になって飛び込んできたのが、シアカスターに砂糖菓子店が開店したとの情報であった。ただしこの時点では伝聞情報に過ぎず、報告者も店を実見していなかった。
(……だが、実際にシアカスターの地を訪れて、開店の報は事実と知れた。マナステラが一号店開店の地という事実は揺るがぬにしても……いや……ひょっとしてエルフたちは、我が国とイラストリアを序列付けようなどという気は無いのか?)
ふと思い付いただけの考えではあったが、特使は救いを見つけたような気になった。それならそれで気は楽になるのだが……
(……だとしても、彼らがイラストリアに活動の重心を移している――別にそんなつもりはない――のは事実だ。イラストリアでの活動が密な事を見れば、我が国とこの国の何れを重視しているかは明白……。我が国を見限るつもりは無いとしても、我が国の国是が揺らいでいる事実には変わりは無い、か……)
実際のところは、テオドラムを敵と定めたノンヒュームたちが、テオドラムへの嫌がらせの場として、テオドラムに隣接するイラストリアで活動しているだけであり、テオドラムと国境を接していないマナステラはその舞台から外れているに過ぎないのだが。
尤も、ノンヒュームたちがマナステラ王国に何も相談しなかった――少なくとも、そうするべきかクロウにも進言しなかった――背景には、クリーヴァー公爵家の一件でマナステラ王国への不信感を募らせていたという事実があるので、特使の懸念はそう的外れなものでもなかったのだが。
・・・・・・・・
「……何やら顔色が悪いように見えなかったか? マナステラ特使殿は」
「確かにそう見えましたな」
マナステラ特使との会見を済ませて引き上げた国王と宰相の会話である。
「何か気に病む事でもあったのか? 我が国の者が礼を失した振る舞いをしたというなら糾弾せねばならぬが」
「いえ……護衛の者の話では、シアカスターに泊まった折に使いの者を出したとか。行く先は例の砂糖菓子店であった由」
その説明を聞いて腑に落ちた様子の国王。
「あれか。自分のところだけに砂糖菓子店ができたと喜んでいたら、我が国にも開店したので萎んだとか」
「恐らくは。彼の国とノンヒュームたちとの関係は、例の公爵家の一件以来、微妙なものになっておるようですからな」
「その事で何か探りを入れてくるかと思ったが……その気配は無かったな」
クリーヴァー公爵家の公子マールがエルギンの町に潜伏している事は、イラストリアの王家も掴んでいる。国として指示した事ではないが、突かれて楽しい話でもない。
「恐らくは、そこまで手が回っておらぬのではないでしょうかな」
「ふむ……だが、それはそれとして、ノンヒュームたちが原因で、隣国との仲が拗れるような事になっては困るのだが」
「生憎、ノンヒュームたちに公式な伝手はございませんからな。……学院に勤務するエルフやドワーフに、非公式な仲介を頼んでみますか」




