第百六十四章 贋金貨の混迷 2.テオドラム王城(その1)
「……エメン?」
「どこかで聞いたような名前だな」
「もうお忘れかね? イラストリアが我が国に情報提供の依頼を寄越した際の、手配犯の名前だよ」
「あぁ……そう言えば……」
「あの時話に出てきた贋金造りか……」
「で、それが?」
「うむ。問題の贋金を詳しく調べてみたところ、地金の成分が、エメンとやらが使う贋地金と酷似していたらしい」
「何と……」
見過ごしにできない情報であった。
「という事は、此度の事は、そのエメンとやらの仕業か?」
「贋金を造ったのが誰かというのなら、そうだろうな。だが、黒幕が何者かという点は不明なままだ」
「……黒幕が存在すると考えているのだな?」
「当然だろう。イラストリアからの手配書によれば、エメンとやらは練達の贋金造りであると聞く。なら、碌に流通もせぬうちに露見するような、不手際な真似はせん筈だ」
メルカ内務卿の見解も、イラストリア国王府のそれと一致していた。
「しかし……だとするとその不手際な真似を、黒幕とやらが指図してやらせたという事にならんか?」
そして、トルランド外務卿の疑問もまた、イラストリアが抱いたものと同じであったのである。ただ、当事国であるテオドラムは、その答えに対する心当たりがあった。
「その辺りの事は、私から説明しよう」
疲れたような声で割って入ったのはファビク財務卿であった。
「新金貨の一部が贋金にすり替わっていた事で、我が国の貨幣に対する信用は急転直下に下落している。既に沿岸国以外の国からも、新金貨での取引を謝絶する者が現れている」
改鋳差益は確保できたが、肝心の新金貨での決済に暗雲が垂れ込めている。回収して新たに鋳直すという手はあるが……
「鋳直したものかどうかが明らかでないと、商人どもは承知せんだろう」
「馬鹿な、新金貨の全てを回収して新たな金貨を鋳造するなど、できる訳が無い」
「贋金なのは新金貨の一部だけだ。大半は真っ当なものだというのに……忌々しい話だ」
「一旦回収して、真贋を区別した刻印でも打つか?」
「その刻印が簡単に偽造できるようなものなら同じだ。それにその場合、全ての金貨に刻印を打つまでは流通させる事ができん」
「要するに……黒幕とやらは我が国の新金貨の流通を、ほぼ完全に阻んだ訳だ」
むぅ、と沈痛な表情を隠さない国務卿たち。そこへラクスマン農務卿が追い討ちをかける。
「注意しておきたいのは、この件で得をする者がどこにもいないという事だ。……少なくとも直接的には、な」
もの問いたげな視線が自分に集まるのを見て、農務卿は言葉を続ける。
「良いかね? 贋金が早々に露見した事、そしてその結果新金貨の信用が無くなった事で、エメンとやらがすり替えたであろう本物の新金貨も価値を失ったのだ。地金としての価値はあろうが、それだけのために態々こんな凝った真似をするとは思えん。イラストリアを始めとする他国も、この件では何の利益も得ておらぬ筈。沿岸国にしても、大口の顧客たる我が国との間柄がおかしくなっただけで、何ら得るものは無かった筈だ。つまりこの一件は――」
ここで農務卿は一旦言葉を切って一同を見回し――そうして言葉を続ける。居並ぶ面々に衝撃を与えるであろう、その言葉を。
「――収支を度外視して、我々に被害を与える事だけを目的として考えられた攻撃……そう判断せざるを得ない」




