第百六十二章 マナダミア~砂糖菓子店~ 2.開店
こういうのは開店前にチラシとかで宣伝しておくのが現代日本の定番なのであるが、生憎こちらの世界では、紙というものはまだそれなりに高価である。少なくとも、不特定多数相手にばら撒くような使い方はできない。ではどうするのかというと……
「店の名を書いた板を掲げ、口上や楽器で人目を引いて、店の事を宣伝して廻るんですよ」
チンドン屋とかサンドイッチマンとかいうやつか。
「今回もその手でいく訳か?」
「いえ、今回の店は貴族などの上流階級を狙っていますから、そういう下世話な宣伝法は却って逆効果になりかねません」
「では、どうするつもりだ?」
「セルマインは、開店の挨拶代わりに何か贈るような事を言っていましたが……」
試供品というやつか……貴族相手に飴なんか贈っても様にならんしな。梅酒でも仕込んでおけば良かったか? それなら甘党でない貴族たちにもウケが良かったかもしれんが……蒸溜酒が普及していないらしいこの国にホワイトリカーを持ち込むのもなぁ……。
「まぁ、そのあたりはセルマインに任せよう」
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史上初のコンフィズリー・ショップという事で試行錯誤の部分もあったが、それでもどうにか開店に漕ぎ着ける事ができた。
クロウたちが密かに懸念していた万引きなどは、思ったよりも少なかった。どうやらリーロットでの〝不祥事により閉店〟騒ぎ、あれが想像以上に効果があったらしい。
それは好事と言ってよかったのだが、それ以外にも想定外の事態というのはあるもので……
「ワタガシは置いてないというのか?」
「あれは出来たてを食べるものでございますので、店に置いておくのは難しく……」
思った以上に綿菓子を所望する客が多かったのである。
何も無いように見えるところから、みるみる綿のようなものを引き出していく、その不思議な光景に見惚れ感心した者たちがあちこち触れて廻ったのだが、どう言辞を尽くしてもその光景を言い表す事ができず、それが却って綿菓子への興味を煽るという結果になっていた。
「何とかならないだろうか。坊っちゃまが殊の外気にしておいでなのだ」
「そう仰られても……半日と保ちませんから、この町以外ではお持ち帰りになるのも難しいかと……」
「うぬぬ……仕方がない。しかし、何とか方法が無いか、調べてはもらえないか?」
「心当たりに訊ねるくらいなら……確約は致しかねますが……」
「結構。よろしくお願いする」
他にも想定を外した事は色々とあった。
例えば、入店した客が出て行かずに滞留するというのがそれである。そういう事態はあるかもしれないと一応想定し、店内は広めに設計してあったのだが……その想定を超えて客が動かなかったのである。
尤も、更にそういう場合の事も想定しているのがクロウであったが。
「お客様、ご注文にお悩みでしたらこちらをお渡ししておきますので、一度お引き取りになられた上、ご自宅で改めて検討されては如何でしょうか?」
「……これは?」
「はい、当店で扱っているものの品書きでございます」
こんな事もあろうかと、クロウは予め商品のメニュー――美麗なカラーのイラストと詳しい説明付き――を用意しておいた。現代日本人であるクロウの感覚では宣伝用のチラシのようなものであり、来店者に無料で配って店の宣伝とすればいいと思っていたのだが……
〝いえ、これほど美麗なものを無料で配布するなどあり得ません〟
試作品のつもりで自宅のDTPソフトでささっと作ったメニューに、妙な方向での駄目出しをされて、彼我の認識の隔たりを再確認する事になった。
とは言えメニュー自体は有効なものと判断され、若干の手直しを経た後に、エルフの魔術と印刷技術を駆使して複製される事になった。
その一枚を、店員が長っ尻の客に差し出したのであった。
「おぉっ、ありがたい。……いや、主人から言いつかって買いに来たのはいいが、品物選びにすっかり戸惑ってしまい……頭を痛めていたところなのだ」
「それは差し上げますので、お屋敷でご検討の上、改めてお越し下さい」
中には店に居座ったままそのメニューを欲しがる欲張りもいたが、
「あくまで、ご自宅で検討なさるお客様のためのものでございますので」
言い換えると、一旦引き上げない限り、この美麗なメニューは手に入らないという事である。それと察した者たちがメニューを手に引き上げる事で、滞っていた客の流れがようやく動き出した。




