第百五十九章 災い目覚める 2.テオドラム王城(その1)
交易隊の指揮官が機密保全を重視して、一日の距離まで移動した後に魔導通信機での緊急連絡を寄越したために、テオドラム国王府がその報せを受け取ったのは翌日の事になった。
言うまでも無く、国務会議は荒れた。
今までの紛糾など、子供の学級会かと思われるほどに。
「贋金というのはどういう訳だ!」
「体の良い難癖を付けて、我が国との取引を断ってきたのではないのか!?」
「落ち着け! 下手をすると国際問題にまでなりかねん難癖を、態々選ぶ理由が無いだろう。難癖なら他にいくらでも付けられる筈だ」
国務卿としてそれはどうなのかと言いたくなるような理由で、逆上した同僚を沈静化させようとする声が聞こえるが、各人の罵声と怒声が入り乱れて、もはや誰が何を言っているのかすら定かではない。
「兎に角! 何をおいても言いがかりが正しいかどうか確かめる必要がある。既に新金貨との交換は始まっているが、三ヵ所の鋳造所には一旦交換を中止して、在庫の金貨の品質を確認するよう指示してある。全てはその結果を待ってからだ」
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「……では……事実だと……我が国が送り出した金貨が……贋金にすり替えられていたと……そう言うのか?」
息も絶え絶えに問い質しているのはジルカ軍需卿、沈痛な表情で応えているのはファビク財務卿である。他の面々も眉間の縦皺を隠そうともしない。
「そういう事だ……何がどうなっているのか事情は解らんが……結論だけを言えばそういう事になる。ゲルトハイム鋳造所で造られた金貨の一部が、精巧な贋金にすり替えられていた」
「一部だけなんだな? ……それに、他の鋳造所では贋金は確認されていない?」
メルカ内務卿の問いに頷いて
「少なくとも今のところ、他の鋳造所では贋金は確認されておらん。幸いにして、まだ交換された枚数もそれほどではないからな。贋金が仕込まれたのはゲルトハイム鋳造所、しかもその一部だけ、そう考えて良いと思う」
被害の額を確認して、最悪の事態は避けられた事に、ほっと胸を撫で下ろす国務卿たちであったが、
「ご安心のところを悪いが、事態は諸君らが思っておる以上に深刻なのだ」
沈痛・憂鬱・憤りといった表情を――器用にも――ごた混ぜに浮かべながら、ファビク財務卿が釘を刺す。
「差し迫った問題として、沿岸諸国での買い付けの問題がある。今のところ贋金の件が露見したのはアムルファンだけだが、遠からずイスラファンにも情報が流れる筈だ。一旦不審を持たれた以上、これらの国が新金貨での決済に応じてくれるかどうかは甚だ疑わしい。仮に応じてくれたとしても、レートは極めて不利なものになる筈だ」
ファビク財務卿の発言に、ギョッとしたような表情を見せる国務卿たち。
実際にこの件は、当の商人から当日のうちにアムルファンの商業ギルドに報告されており、商業ギルドはまさに本日、この一件をギルドメンバーに告知したところであった。その事をテオドラムが知るのは、もう少し後の事になるのだが。
「新金貨での取引を拒むというのか? 品質を確認すれば済む事であろうが?」
「取引の都度、全ての金貨をかね? 我々が検査を行なうのでは、彼らは納得しまい。となると、彼らはその分余計な手間と時間を費やす事になる。嬉々としてその費用を上乗せしてくるであろうな。……それ以前に、取引そのものを拒む可能性も高いと思っているが」
「待て……そうすると……」
「取引は今までどおり外貨で決済する必要がある」
憮然とした表情で告げる財務卿の声にも力が無い。取引の全てを外貨で決済する煩わしさと情けなさから縁を切るために金貨の改鋳に踏み切ったのに、その目論見があえなく潰えたのだから無理もない。
「……で、ここからが本論だ」
再びギョッとしたような同僚たちの顔を見回して、ファビク財務卿は重々しく告げる。まだ話は始まってすらいないのだぞ。
「外貨で決済する必要があるからには、それ相応の量の外貨が必要になる。しかるにだ、現在の外貨の備蓄は、到底充分とは言い難い」
「……切迫しているのかね?」
「危険ラインに達してはおらん、今のところはまだな。だが、早急に外貨を獲得する必要があるのだが……」
ここに至って諸卿も財務卿が懸念している内容に思い当たった。
「……小麦とエール、そして砂糖か……」
「そう。小麦の方は未だ毒麦の悪評が消えておらず、買い控えされている状況だ。エールはエールでビールとやらの攻勢に遭って、急激に売れ行きが悪化している。それに加えて砂糖の方も、亜人どもの廉売攻勢のせいで、値下げせざるを得ない状況にある」
呻きと怨嗟の声が部屋に充ちる中、少しだけ前向きな意見を述べたのはトルランド外務卿であった。
「……何か他に売れるものは無いのかね?」
国務卿たちが互いに顔を見合わせるが、やがてその視線はラクスマン農務卿に集中する。八方からの視線を受けて、溜息を吐きつつ農務卿が言うには……
「残念だが我が国の農産物は、主食たる小麦の他はエールの原料である大麦、それに砂糖に特化しておってね。他の作物は国内の需要を賄える程度でしかない」
作物の種類を絞る事でそれらに国力を集中し、圧倒的な生産量を武器に国際的な食糧市場を牛耳ってきたテオドラム。その基盤に、小さな綻びが生じつつあった。




