第百五十八章 ホルベック領献上品顛末 4.結末
エッジ村の村長が献上品となる染め物一揃い――領主様への献上品なので、女物しか用意できない丸玉は控えたと言っていた――を恭しく運び込んできた時、代官は上機嫌であった。領主ホルベック男爵は、きっとこれらの品をお気に召すだろう。献上を進言した自分の事も、目に留めて下さるに違いない。できれば大々的なセレモニーで盛り上げたいものだが……
そんな白日夢も、村長が漏らした言葉で雲散霧消する事になる。
「仰せの通り持って来ましたけんど……」
「うむ。大儀であった。必ずや領主様の憶えも目出度くなる事であろう」
「へぇ……そうであれば好んでがすが……」
「何だ? 何ぞ問題でもあると申すのか?」
「へぇ……何しろ、今は時期が時期でごぜぇやすんで……」
遠慮しいしい訥々と語った村長の言葉は、代官の甘い夢を根底から吹っ飛ばした。
「……領主様の心労を助長する懸念があると……そう申すのか?」
「へぇ。先程も申しましたけんど、今は時期が悪ぅごぜぇますだ。エルフの衆が何やらの会所を開いた話はご存じでがんしょう? そのエルフの衆から、殿様に何やら珍しい酒が献上されたっつう話も?」
「う、うむ。聞いておる。それで?」
「こないだエルギンさぁ行ってみたんじゃが、そらぁもう、大層な賑わいでがんした。何でも、酒目当ての貴族様やら商人やらが大勢詰めかけてるそうで」
「うむ……」
「噂になってたエルフの衆の会所っつうものも見に行ったんでがんすが、生憎と閉まっておりやした。何でも、お貴族様方がひっきりなしに詰めかけるもんで、根を上げたとかで……」
「うむ……」
「――っつぅ事はでがす、他所の貴族様方は、エルフの衆に伝手を繋ぐ事も、その酒を手に入れる事もままなんねぇ訳でして。その両方を手になさった殿様への……やっかみっつぅか風当たりは大っきいんでねかと……その上に、おらが村の染め物を献上したって事が知れ渡ると……こらぁ……」
「むぅぅ……」
己の迂闊さを呪いたくなった代官であったが、村長がそこに追い討ちをかける。
「んで……万一殿様のご不興を買っても、村の方さとばっちりが来ねぇようにお願ぇしてんでがすが」
その場合、とばっちりはどこへ行くのか? 言わでも知れた事だ。
青くなった代官が献上品の受け取りを拒否しようとしたが、
「……まぁ、献上するしねぇに拘わらず、どうせ騒ぎになんべぇと思うども……」
「……なぜだ?」
「そりゃあ、近在の衆に言われて、五月祭にゃ店を出す事になりましたでね。ご存じなかったでがんすか?」
「…………」
「今、村の衆が総出で働いてやすけんど、五月祭に出す分が間に合うかどうか。足りねぇなんて事になって、腹ぁ立てた衆が狼藉に及ばねぇように、しっかりと目配りをお願ぇしたいんで」
今回の献上を見送ったとしても、五月祭で騒ぎが起きるのは確実だという。そんな事になれば、エッジ村とその近在を担当している自分の責任が追及されるのは、火を見るよりも明らかである。
逃げ場を失った代官の顔が紙のように白くなったところで、村長が怖ず怖ずといった体を装って、打開策を持ち出した。
「……染め物の技法を他の村に教えると言うのか?」
「どのみち今のままじゃ、作るのが間に合わねぇですだ。そんくれぇなら、他の村の衆にも作ってもらった方がマシでねかと」
「むぅ……しかし……エッジ村の代わりに他の村で、より多くの染め物が作られるのなら……領主様のご心痛は減らぬのではないか?」
「んでも、殿様のお膝元で火の手が上がるよか、なんぼか好かっぺぇと」
「むぅ……」
「つぅ事で、この話を殿様にお伝え願えればと。あ、ついでと言っちゃななんでがすが、こいつもお渡し願いてぇでがす」
と、献上品を代官に押し付ける。
「むぅ……」
「それと……今後はうちの村だけ荒稼ぎってぇ事ぁねぇ訳でがして……年貢の件はそこんとこを考えて、お目零しを願ぇてぇんで……」
村長はここまで丸玉の事はちらとも俎上に載せていない。その上で、素知らぬ顔をしてお目零し云々という要求を出してきた訳なのだが、気の毒なほど追い詰められた代官にはそれに気付くゆとりは無かった。
「……儂の一存で決められる事ではない。領主様のご決断を仰がねばならん」
「よろしくお願ぇしますだ」
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代官から事の顛末を聞いたホルベック卿は、思わず膝を叩いて快哉を叫んだという。
古酒だけで手一杯のところへ、エッジ村の染め物までもが各方面からの注目を集め始め、内心で戦々恐々としていたのだ。エッジ村の提案を受け容れれば、染め物はエルギン領の特産品に育つかもしれぬ。その結果エルギン領が注目を引く事になるかもしれぬが、染め物の生産量が増える事で稀少性を下げる事が期待できるし、何より、マロウ少年を匿っているここエルギンの町への注目を減らす事ができる。
更に先を見れば、染め物の技術を他の領に広めるかどうかは、他の領地貴族との交渉カードに使えるかもしれぬ。そうすれば、ここエルギン領だけが悪目立ちする事は避けられよう。
「……にしても、エッジ村の村長というのは、随分と心利きたる者のようじゃな……」
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斯くして、クロウたちの計画は一応の成功を見た。
……実際には、ファッションの発信地としてのエッジ村ブランドは既に確立しており、注目を浴びる事は避けられないという事実にクロウが気付くのは、もう少し先の事になる。




