第百五十八章 ホルベック領献上品顛末 3.策動
今のままの状況が続けば、いずれは需要がエッジ村の供給能力を上回るのは明らかだ。型染めなどで増産を図っても、焼け石に水だろう。第一、村でやっているのは手軽な草木染めだ。様々な色合いを出す事はできても、大量の染料を確保するのには向いていない。日本産の合成染料を持ち込む手もあるが、妙な効果が付くのは目に見えている。
「そんなところへ代官殿が、こういう話を持って来られた訳です」
クロウにしてみれば、飛んで火に入る夏の虫と言いたいところであるが、この世界でその喩えが通用するかどうか。
「こう言っちゃ何だけんど、篝火に引き寄せられた虫っけらみてぇに、好ぇ按排だったでな」
……通じたようだ。
「好機と言えば好機ですね。領主への上奏は、気の毒な代官殿に押し付けてしまいましょう」
何やら奸計を巡らしているらしきクロウと村長であるが、
「で、これが献上品の候補という訳ですか?」
クロウの視線の先にあるのは、一揃いの染め物であった。
「んだ。前の会合ん時ぃ、殿様への献上品の話が出たべ? クロウさぁのいねぇ間に村の衆たちと語らって、万一っつう事があったら大変だって話になって、上物を準備しといただよ。けんど今回は、丸玉はちぃと危なっかしぃっつぅ話になったんと、殿様さぁ献上するんなら丸玉よか染め物の方が向いてんでねぇかと思ってよ」
奥方は丸玉の方を喜びやしないかと思ったクロウであったが、考えてみれば細工はともかく、肝心の丸玉は水晶に瑪瑙と翡翠、さほど高価とは言えないものばかり。贅沢品に慣れた貴族は目もくれないかと思い直した。それに第一、領主の心労を考えると、丸玉の献上は避けるべきだろう。
……実は、これはクロウの誤解である。
エッジ村の丸玉が注目を集めているのは、お手軽な価格に加えて、この世界では斬新な宝飾デザイン――クロウが持ち込んだもの――にある。有り体に言えば、石などはその構成要素の一つに過ぎず、高い安いは考慮の外なのであったが。
「まぁ、完全に奥方向けになりそうな丸玉よりは、染め物の方が用途は広そうですよね。しかし……能く準備できましたね」
衣服に使えそうなサイズの他に、ストールとハンカチくらいの布が、いずれも同じ柄に染め抜いてある。ちょっと見た感じは友禅染のようにも見えるが……
「色糊まで使ったんですか……型染めとは言え、これは手間だったでしょうに……」
「稽古になるから丁度好ぇって、ミルさぁは言ってたけんどな」
「車輪に……これは、朝顔……かな?」
一個の車輪に朝顔のような蔓が絡みつい構図であったが、朝顔ではなくてこの国の薬草らしい。長寿の薬効があると思われている上に次々と花を咲かせるので、繁栄の象徴のような扱いになっているそうだ。
「奥方様の家の家紋だで。車輪は殿様の家紋だでな」
「家紋……ですか?」
この世界では、ヨーロッパのように紋章が個人を示すものとして使われる事は無く、日本のように家を表す家紋が使われている。領主ホルベック卿の家では車輪を、奥方の実家は朝顔のような薬草を、それぞれモチーフにした家紋を用いているという。
「成る程……領主ご夫妻それぞれの家紋をあしらった訳ですか……」
「殿様ご夫妻は鴛鴦夫婦って評判だでな」
婦人の年齢を考慮してだろうか、朝顔は満開の構図ではない。車輪に絡みついた蔓に二個、上に延びた蔓に一個の花を着けているだけであるが、それが却って落ち着いた風合いとなっていた。
「クロウさぁが置いてってくれた見本帳を参考にして、柄を決めたって言ってたべ」
恐らく着物の柄に使われる「源氏車」と「朝顔」だろう。ウィリアム・モリスの図案も参考にしたようだ。
「ハンカチとスカーフの方は、少し単純化した柄なんですね」
「殿様がお使いになんだで、あまり派手なんは拙かっぺ?」
「えぇ、これくらいで丁度好いと思います」
この世界の衣服の柄は、同一の文様を反復して全面を埋めたようなものがほとんどで、江戸期の着物に見られるような絵画的な柄は皆無と言ってよい。エッジ村が今までに公開したものにもこのような柄は無かったため、人目を引く事は請け合いである。
「さて、これを見せて、代官殿はどんな反応を示すか……」
「んだなぁ」
クロウ「そう言えば……車輪の図案は他にもありましたよね? 「片輪車」……流水の波間から車輪が顔を出しているものが?」
村長「あれなぁ……荷車が沈んだようで縁起が悪いっつて、不採用になっただよ」




