第百五十五章 ヴィンシュタット 2.異世界トレーニング事情
単行本二巻のカラー口絵、フレイのイラストを見て思い付いた話です。
ジョギングで汗を流したせいか、はたまたカイトにストレスをぶつけたせいなのか、ともあれ妙にすっきりした様子のマリアと、対照的に気息奄々とした様子のカイト。二人を交えた関係各位が、改めてヴィンシュタットの会議室――代わりの食堂――に勢揃いする。議題はマリアのダイエット……ではなく、ヴィンシュタット組から以前に提出された運動不足と体力低下の問題である……表向きは。
クロウが先程までカイトと話していた内容を――あくまで一般論として――改めて説明する。摂取カロリーが消費カロリーを上回る事への対策として食事制限の話が出たのだが……さり気無く視線を逸らせているあたり、マリアにも自覚はあるらしい。
ともあれ、身体が鈍るのを回避したいのに、食事制限などして体力の低下を招くのは本末転倒であろうという事なり、改めてトレーニングによる健康――と体型――の維持という方針が確認される。
『基本的なトレーニングメニューは一応調べてきたが、抑どこを鍛えたいかによって、メニューは変わってくるからな』
当たり前の事とばかりに軽く流したクロウだったが、言われた側が妙に戸惑った様子なのを見て、今度はクロウが困惑を見せる。……何かおかしな事を言っただろうか?
互いに当惑の表情で見合っているのを見て、咳払いとともにペーターが問いを発する。
『あの……ご主人様、どこを鍛える――というのは?』
『うん? ……そりゃ……例えば、短距離を走るのと長距離を走るのとでは、トレーニングの方法は全く違ってくるだろう?』
クロウとしては当たり前の事を言ったつもりであったが、こちらの事情は些か違っていたらしい。
『まさか……筋肉の超回復とトレーニング内容の関係が理解されていないのか?』
『つか……ご主人様、走り方にそんな違いがあるんすか?』
『おい……そのレベルなのか……?』
唖然とするクロウであったが、実はこれには魔法の存在が関与している。早い話が、魔法で身体能力を上げる方法が知られていたため、フィジカルトレーニングについての研究が疎かになっていた一面があるのだ。解剖学的な知識自体はそれなりの蓄積を持つものの、それがトレーニングという分野にフィードバックされていないのがこちらの世界の実情なのであった。
そういった裏事情はともかくとして、望みの部位、望みの筋力だけを鍛える事ができるというので、関係各位の食い付きは凄かった。
『見せて戴いた資料などから薄々は察しておりましたが……そこまで綿密な知識が蓄積されておりましたか……』
『つまり……兵士を育成する上で、効果的な訓練が可能という事ですか?』
『概ねその理解で間違っていない。ただ、俺にしてもトレーニングの専門家じゃないし、そこまで詳しくはないけどな』
寧ろ、クロウは根っからのインドア派である。引き籠もり時代に親に言われてバードウォッチングなどに参加した黒歴史――本人的に――はあるが、それを楽しんだかと言われると否である。
『あぁ、それから、ハクとシュクはトレーニングには参加させるなよ? 子供の頃から不適切なトレーニングをやった場合、成長に悪影響が出る事があるからな』
用心のためという感じでハンクたちに念を押すクロウであったが、この時ピクリ、とフレイが身動ぎしたのには気付かなかった。
『へ? 訓練で成長が止まっちまうなんて事があるんすか?』
(――ピクピクッ)
『そこまで極端な訳じゃないが……身体ができていない子供に無理をさせると、いろいろと拙い事が出てくるんでな』
『あぁ……そういう風に言われると……』
『何となく解りますね』
『例えばだな……子供のうちは良く眠る事が大事なんだ。身体の成長を促す物質は、眠っている間に分泌されるからな』
『へぇ……って事は、ガキの頃から夜更かしだの早起きだのしてると……』
『成長には良くないな。少なくとも、俺の世界の知識では』
『ハクとシュクを早く寝かせるようにと仰っていたのは、そういう訳でしたか』
『あぁ。他にも、過度に重いものを担がせるとか、無闇に走らせるとか、ヘトヘトになるまで運動させるとかも、あまりお奨めはできんな。……まぁ、こっちの世界には魔法とやらがあるから、少しは事情が違うだろうが』
『大人と同じ訓練をさせるのは、逆効果な訳ですね……』
『そういう事だな』
(――ピクピクピクッ)
『あ……ひょっとしてご主人様、逆に身長を伸ばすトレーニングなんてのも……』
『あるんですかっ!?』
カイトの言葉尻を奪うように食い付いたのは、先程から不審な挙動を垣間見せていたフレイである。
既に成人している筈なのに、女性であるマリアと較べても小柄で童顔、一見して子供のようにしか見えない可愛い系男子であり、本人もそれは気にしているらしい。
『いや……フレイ、お前はちぃっと特殊なケースだろうが』
『背が伸びないのは種族特性ってやつだろ?』
『ハーフリングの血が混じってんじゃ、それ以上伸びるのは無理なんじゃね?』
どういう事だともの問いたげに見回すクロウであったが、当のフレイの叫びが事情を教えてくれる。
『四分の一、四分の一だけ! 四分の三は人族です!!』
どうやらフレイはハーフリングのクォーターで、背が低い事がコンプレックスであるらしい。背が伸びるなら何でもやります!――と言わんばかりにクロウに詰め寄るフレイであったが……
『いや……実効性については知らんぞ? ただ、そういう触れ込みのトレーニングが……』
『あるんですね!?』
『いや、だからだな……』
『あ・る・ん・で・す・ね?』
『……一応な』
斯くしてクロウは、シェイプアップのためのエクササイズメニューの他に、身長を伸ばす効果が期待できるトレーニングについても調べる羽目になったのである。
(身長を伸ばすのは身許を隠すための努力の一環だと言われるとなぁ……反論しづらいよなぁ……)
・・・・・・・・
後日、クロウはふと疑問に思った事があった。
『そう言えば……ペーターのやつはマリア以上の甘党の筈なのに、太るだの何だのと騒がなかったな……?』
疑問の答えを教えてくれたのは、オドラントに常駐しているモンスター……シュガートレントとイノームケインたちである。
〝死後にブクブク肥え太るなど、来世までの恥と思え!〟の合い言葉とともに、配下のアンデッド兵士たちと自主的に特訓に励んでいた事を密告したのであった。
『……まぁ、問題が無いならそれで良いな……』




