第百五十四章 恒温器(サーモスタット) 3.方針決定
「……伸び具合の違う金属を貼り合わせた板、ねぇ……」
「それに、暑さによって性質を変える素材か……」
「探し出すのも加工するのも大変そうだな……」
クロウが伝えたバイメタルとサーミスタの知識は、やはりこちらの世界のノンヒュームたちには難解すぎたようだ。まぁ、基礎を色々とすっ飛ばして結論だけ、しかも全く異なる文化体系の世界に持ち込もうというのだから、そう簡単に理解される訳もなかった。しかし……
「……いや、魔力の通り易さがその時々で異なるという話には、心当たりが無いでもない」
一人のエルフがそんな事を言い出した。
「本当か?」
「あぁ。と言っても、気にしなければ気にならない程度の違いだがな。何度か経験した事がある。同じ素材の筈なのに、と不思議に思っていたのだが……」
「それが温度による違いだというのか?」
「いや、厳密に言えば、温度かどうかまでは判らん。ただ、精霊術師様のお話と共通する現象に心当たりがあるというだけでな。それに、そこからどうやって温度測定に繋げるのか……その見当もまるで付かん」
「そう簡単にはいかんか……」
「だが……これも見過ごすには惜しい話だな」
「聞き込みに遣った者が戻ってくるまで、こちらの検討を進めておくか?」
一同の意見を黙して聞いていたホルンであったが、やがて顔を上げると……
「精霊使い様が仰るには、開発の方向は一つに縛らない方が良いそうだ」
「うん?」
「どういう事だ?」
訝しげな表情の面々に向かい、ホルンはクロウからの忠告――高性能だが手間暇も費用もかかる方式と、性能は落ちるが手早く安価で作れる方式それぞれの長短――について説明する。
「成る程……」
「と、いう事は……?」
「あぁ。この際、開発陣を大幅に増員するべきではないかと思う。各人がそれぞれの方法を研究・開発するのが妥当だろう。やり直す時間は無いのだからな」
逃げ場のない現状をきっぱりと口にして、ホルンは開発陣の大増員を提案する。考えてみれば、砂糖菓子や駄菓子の開発だけであれだけの人数を動員したのだ。それを考えれば、今程度の陣容で足りる訳が無い。
「ついでに、この二つ以外のアイデアがあれば、それも検討すべきだろう」
「他にねぇ……」
「あ、それなら一つ……」
「あるのかよ!?」
怖ず怖ずと手を挙げた若い――少なくとも若く見える――エルフは、思い付きに過ぎないがと前置きした後で、その「思いつき」を述べた。
「……氷の板が溶けて、その上に載せていた玉が下に落ちるねぇ……」
「落ちる玉の動きを切っ掛けにする、か……」
「子供だましのような仕掛けだが……確かに、氷から水への変化を動作の切っ掛けにする事という条件には当てはまるな」
「うむ。考え方としては間違っていない」
「水から氷へ戻す場合に使えないのが欠点だがな」
「氷の代わりに別の素材を探すか? 温めると柔らかく、冷やすと硬くなるような」
「うむ、それが良いかもしれんな」
と、話の流れが決まりかかったところで、
「いや……寧ろこれは、水と氷という状態の変化に着目した点が卓見だろうな」
考え込みつつもトゥバが口にした台詞に、全員が話を止めて振り返る。
「どういう事だ?」
「例えば……皿の中にあるのが水か氷かを判定して、水なら冷却を開始し、氷になったら冷却を止める、そういう仕組みを作れないか? その温度なら、他の容器に入れてある水も凍るだろう。小さな小部屋で氷を作り、そこから漏れた冷気でケースを冷やすような仕組みができれば……」
「……な、成る程……」
「水の状態変化を目安にするのか……」
「冷やすのにしか使えないという欠点はあるが……一番手軽にできそうな感じだな……」
「新たに素材を探す手間も省けるな」
「氷結の魔法を弱める必要も無い。あれは結構手間がかかるからな」
「その技術はこちらに秘匿できるという訳だ」
「ふむ……問題となるのは、水か氷かを判定する技術だけか……しかし」
「あぁ、それだけなら、魔術回路の工夫次第で何とかなりそうだ」
と、いう次第で、とりあえずは話題に上った三つの方法を中心に、増員したメンバーでチームを組んで開発していこうという結論になる。難度の高低と応用範囲の広狭がそれぞれ違うため、三つとも並行して開発する価値があると認められたのだ。ちなみに赤外線感覚の方は、調査に出した者の帰還待ちだ。
現段階ではとりあえず試行錯誤を重ね、小さな、そして様々なノウハウを掬い上げる事に徹した方が良いだろう。
そう決まりかかったところで、一つ意見を出した者がいた。
「配達はどうする?」
「配達?」
「そんな必要があるのか?」
「いや……思ったんだがな、暑い季節にも砂糖菓子を溶けずに届ける技術があれば、人間たちの食い付きが良いんじゃないか、と……」
「むぅ……それは……」
「考えられるな」
「で? 何か腹案があるのか?」
「まぁ……酒造ギルドに開発を任せている冷蔵箱の小型のやつをつくるように話を通すか……」
「通すか……何だ?」
「いやな。金属の容れ物に水を入れて、容器ごと凍らせちまえば、短時間なら冷たいままにできるんじゃないか?」
湯たんぽならぬ氷たんぽ――そういう言葉は無いが――を思いついたらしい。保冷剤が広まる前までは、日本でも鮮魚などは氷で冷やしていたものだ。この方法の手軽な点は……
「……単なる氷結の魔術だけで済む訳か……」
「恐らく、長くても数時間しか保たんだろうが……」
「逆に言えば、数時間なら充分に使える訳だ」
「氷をそのまま使うのと違って、溶けても水が流れ出す事の無いのも良いな」
「何で今まで思い付かなかったのかな……?」
「必要な局面が少なかったからだろう。使えるようで、案外と使いどころの少ない方法のような気がするぞ?」
「とは言え、この方法も一応、酒造ギルドに通しておく必要があるだろう」
「恐らくだが、配達は有料のサービスになるんじゃないか」




