第百五十四章 恒温器(サーモスタット) 2.展開
尻に火が着くと走り出すのは人も亜人も同じだとみえて、切迫した状況を理解した連絡会議の面々――ホルンたち三人以外のメンバーも含む――は、以前に増した気迫でこの問題に取り組んだ。気付かぬうちに期限は目前に迫っていたのだ。目がつり上がるのも道理である。
「これまでの開発が難航していた理由は何だ?」
「一言で云えば、温度を指定する方法だ。冷却の魔法を発動し解除する、そのタイミングを指定する方法が決まらなかった」
「正確な温度という概念自体、我々には目新しいものだったからなぁ……」
この世界では、温度計というものはまだ知られていない。アルコール温度計の原理ぐらい教えても良いかと当初考えていたクロウであったが、その後で、いや、何でもかんでも地球の二番煎じになるのはやはり拙かろうと思い直していた。こちらの世界には魔法というものがある。それを基にした測温技術を、この世界の者が開発するのを待つべきではないか。万一行き詰まった場合には教えても良いが、まずは自主開発に任せるべきだと判断していた。
「水・火・風の魔法を試して上手くいかなかったんだが」
「ドワーフから思いがけない指摘があってな。それを検討していたところだった」
「ほぅ……聞かせてもらえるか?」
ブレイクスルーとなったドワーフからの指摘とは、鍛冶の際の温度調節に関するものであった。彼らは炉の温度を火の色で判断する。この知見は何かの参考にならないかと言ってきたのである。
クロウが説明を省いた、放射温度計の原理に関わってくる指摘であった。
「それを聞いた獣人たちが、今度はとある魔獣の事を思い出してな。どうも魔獣の中には、温もりを感じて狩りをするものがいるらしい」
――夜の闇の中でも、正確にこちらの位置を探り当てる魔獣がいる。
当初は単なる暗視能力と思われていたが、焚き火の跡や温かい食物にも反応した事から、温もりを察知しているのではないかと考えられるようになった。
熱を感知して獲物を探す能力は、地球でも爬虫類の一部が獲得している。ピットバイパーやサイドワインダーなどと呼ばれるヘビの一群は、頭部にピットという器官を持ち、ここでごく僅かな温度差を感知して獲物を見付ける事で知られている。0.2℃の温度差を感知できる種類もいるというから、その精度の高さが解るであろう。
「そこから話が更に飛んでな。その魔獣の能力を得た者の伝説を聞いた事があると、エルフの一人が言い出した」
「……何だと?」
聞き捨てにできない情報であった。
もしもその話が事実なら、停滞していた状況を一気に打ち破る可能性が出てくる。
「……その伝説とやらは事実なのか?」
「いや、そこが問題でな」
件のエルフも風説として耳にしただけで、詳細は知っていないらしい。それでも、問題の重要性に鑑みて、現在噂を聞いた場所へと向かっているそうだ。
「……もしも、その能力とやらが実在するのなら……」
「あぁ、その能力を『付与』する事ができれば、そしてその『付与』した道具を解析できれば……」
「問題は一気に片付く……とはいかぬにしても、一気に進展する可能性があるな……」
「現状ではその報告待ちというところだったんだが……事態は我々の予想以上に切迫していたんだな」
「うむ。この話は本命になりそうではあるが、今はそれだけに頼って手を拱いていられる状況ではない。他の技術に関しても検討を進めたい」
クロウがバンクスで「災厄の岩窟」の原画六点を描き上げた、丁度その日の事だった。




