第百五十三章 モルヴァニア 3.モルヴァニア軍国境監視陣地(その2)
「戦術だの策略だのといった方面は専門外なのだがね」
憮然とした表情を隠そうともせず、不平を漏らすのはハビール教授。カービッド将軍と同じように地下水の砒霜汚染を調べるためにこの地に派遣され、なぜかそのまま居残っている学者たちの領袖である。
「ご専門と違うのは承知してます。ただ、それでもガチガチの兵隊よりは、魔術方面の知識がおありでしょう。とにかく議論の取っ掛かりが欲しいんですよ」
悪びれずに頼み込むカービッド将軍を見て、仕方ないというように肩を竦めるハビール教授。
「何が聞きたいのかね? 私に判る範囲でなら答えよう」
で、将軍の懸念を聞いたハビール教授が言うには、
「あの鬼火か……確かに厄介な相手には違い無いが、打つ手無しという訳でもないだろう」
「ほほう。詳しく伺いたいですな」
「昨年に誑かされたのは新兵のみ、それもストレスに耐えきれず、心が疲弊していた者ばかりだった。その件は将軍にも報告したと思うが」
「報告は聞いています。つまり……気をしっかりもっておけば、そこまで恐れる事は無いと?」
「何分にも実例が一回だけなので、確認の仕様がないのだがね。実際に、古参兵は影響を受けなかったようだし。そう考えても差し支えは無いだろう。寧ろ、あの鬼火は一般市民を相手にした場合に本領を発揮するんじゃないかね」
「ふむ……人心攪乱というやつですな。不安が昂じて暴動でも起こされては……成る程、確かに面倒ですな」
うんうんと頷く将軍に向かって、ハビール教授は話を続ける。
「同様な魔道具が存在するか、あるいは作れるかという質問だがね。遺憾ながら判らんとしか答えられんよ。ただ、実際に使われた場合にも、それほどの脅威にはならんのじゃないかね」
「ほぉ……理由をお聞かせ願えますかな?」
「簡単な事だよ。仮に人間が魔道具で同じような事をやったとしても、居場所を特定されればお手上げだろう。神出鬼没の鬼火とは違って、所詮は人間、姿を消して逃げるような真似はできんだろう」
居場所が特定できれば、あとは狩るだけだと言いたげなハビール教授。実際には口で言うほど簡単ではないだろうが、確かに後が続かなそうな攻撃である。
「それでも心配なら、監視兵の配置を弄くれば良いだろう。監視兵が互いに警戒し合うような位置どりにしておけば、警戒線を抜かれる事は無いだろう」
「成る程……監視兵の人数が倍ほどは必要になりそうですが……そうした方が安全かもしれんですな」
「当然、防寒衣の数は足りなくなる。追加を請求する必要があるだろう……私の名前を使ってくれて構わんよ?」
「ありがたく使わせて戴きますよ」
斯くして、補給の第二陣が送られる事が内定する。防寒衣が倍以上に増えるのなら、監視任務に就いていない兵士にも支給できるかもしれない。問題は上層部がその必要を認めるかという点であるが……
「そりゃ、当然必要だとも。神出鬼没の鬼火がどこを狙ってくるか、判らんではないかね。遍く兵士のストレスを下げてやる必要があるだろう。……これは防寒に限った話ではないよ?」
「実に含蓄のあるご意見ですな。早速に本部に上申するとしましょう」
なぜか上機嫌な二人を見ながら、副官はこっそりと呟いていた。
(「兵は要領を持って旨とすべし、か……」)




