第百五十三章 モルヴァニア 2.モルヴァニア軍国境監視陣地(その1)
年明けて一月の半ば、モルヴァニア軍の国境監視陣地ではカービッド将軍が国王府から送られてきた命令書――正確には、魔導通信機で送られてきた内容を、通信仕官が書き起こしたもの――を前に考え込んでいたが、やがて副官を呼び寄せた。
渡された命令書を読んだ副官が顔を上げたのを見て、将軍が問いかける。
「短絡に過ぎると思わんか?」
シュレクの砦に配備された兵員が多過ぎる、これはモルヴァニア攻撃のための兵力だ――確かに、短絡と言われても仕方がないかもしれない。
「単純に、シュレクの砦を拡張する準備――そう考える方が妥当だろう」
「一応、その可能性も指摘してありますが」
「指摘も何も、こっちこそが本命だろう」
「とは言え、油断をして足下を掬われた場合が怖い。上層部の判断はそういう事だと思いますが。可能性は低くとも、それに備えておく事は重要でしょう」
ある意味で優等生的な答えであったが、将軍はそれに満足していないようであった。
「……何をお考えなのですか?」
副官の問いに答える事無く将軍は席を立ち、幕舎の外に―一面の雪景色に目を遣った。
「この雪では、見張りに気付かれる事無く接近するのは至難の業だ。白装束を着て雪に紛れる事はできようが、体温の低下は避けられん。しかも、その程度の擬装で誤魔化せるのは、充分な距離を置いた場合のみ。井戸に毒を投げ込むほどに近寄るのは無理だ」
一旦言葉を切ると、今度は馬小屋のある辺りに目を向ける。
「馬房の破壊とて同様。雪が積もっているこの時期に、馬を外に出すとでも思っているのか、お偉方は」
「馬房に火球を放つぐらいはあり得るのでは?」
「それが何になる? 居所が露見すれば、この積雪の中をどこへ逃げられるというのだ? 身柄を確保されてしまえば、ダンジョンモンスターだの盗賊だのという与太で誤魔化せる訳があるまい」
「もう少し温かくなって、雪が融けた頃なら?」
「命令書を読んだだろう。あれには、直ちに警戒を厳にせよとあった。防寒衣はそのためのものだともな」
「何がご不満なのですか?」
「それが裏目に出る可能性が一つだけある。ごく小さな可能性ではあるがな」
「裏目?」
将軍の真意を掴みかねた副官が首を傾げているのを見て、将軍が答を教えてくれた。その答は、副官の意表を衝いたものだったが。
「……鬼火ですか……」
「新兵どもが誑かされた時の事を忘れた訳ではあるまい。寒い中、監視の任に就くのは楽な仕事ではないぞ。注意力と警戒が散漫になったところであの鬼火どもが現れたら、ふらふらと彷徨い出る者がおらんとも限らん。下手をすると警戒線が綻びかねん」
クロウがゲルトハイム鋳造所に贋金を仕込む際、陽動の一環としてモルヴァニア陣地に派遣した、魅了の能力を持つ鬼火。一年前にクロウが蒔いた種が、今、予想外の形で芽吹こうとしていた。
「テオドラムの連中がダンジョンマスターと手を握る可能性をお考えですか?」
「今までの経緯からみて、その可能性は低いと考えられる。だが、完全に無視できるものでもないだろう。それに、ダンジョンとは無関係に、テオドラムの連中が同じような効果の兵器を開発していないとも限らん」
彼の「テオドラム軍事レポート」が正しいなら、テオドラムの連中は既に一度は自分たちを出し抜いた事になる。まだ他に隠し球を持っていないとも限らない。
「確かに……それもまた無視できない可能性ではあります」
憮然として考え込んでしまった副官をちらりと眺め、将軍は従兵に命を下す。
「ハビール教授を呼んでくれ」




