挿 話 とある三文作家の一日
挿話です。日本人としてのクロウの正体が明かされます。
朝の光が射し込むマンションの一室に、目覚まし時計の電子音が響き渡る。
「♪♪♪♪♪ ♪♪♪♪♪ ♪♪♪♪♪ ♪♪♪♪♪」
俺は布団の中から手を伸ばして、目覚ましのアラームを止めた。うぅんと伸びをしてベッドから起き出す。九時半。夜遅くまで色々とやっていたわりには早起きと言ってもいいだろう。
朝食はいつものようにトースト二枚とコーヒー。後片付けと歯磨きを済ませたらパソコンの電源を入れる。これもいつもの事だ。
俺の名は烏丸良志、れっきとした日本人だ――少なくとも、ついこの間までは。……そう、自室のクローゼットに異世界への通路を見つけ、異世界との往復を日課とする生活を始めるまでは。
普通の引き籠もりだった筈の俺が普通じゃない生活を送る羽目になったのは、偶然というか奇跡の範疇だとおもう。尤も、その事自体を後悔はしていない。向こうの世界では大事な「うちの子」たちと知り合えたしな。
それまでの俺は、一応「オタク」のカテゴリーに入っていたと思う。オタクとは言っても人付き合いが苦手で引き籠もりの俺には、アキバだの何だのに出かけて行ってどうこうするような行動力はない。イラストやフィギュア作製については人並みに手を染めたが、元々人間よりも動物の方が好きだったんで、今風の「萌え」なんてのは解らないんだよな。自分ではそこそこ器用なつもりなんだが。
もう少し健全な趣味をと言う親の薦めに従って、バードウォッチングや草花のスケッチもやってはみたものの、何かと話しかけてくる連中が多くて辟易した結果、外に出る事自体を止めた。以来、引き籠もり生活一直線だ。
しかし、こう見えても俺はニートじゃない。一応ラノベ作家……の端くれだ。国立ではないがそこそこレベルの高い大学の歴史学科を卒業した後、定職に就かずぶらぶらしていたら、俺の理解者であった伯母さんがこのマンションの一室を贈ってくれた。昔から俺の事を奇妙なくらい理解してくれていたけど……伯母さん、異世界通路の事を知ってて俺にくれた訳じゃないよな? ちょっと感覚が一般人とずれたところがあって、お袋なんかはよく愚痴を零していたけど……まさか伯母さんも異世界生活の経験者なんて事は……。いや、非生産的な事を考え込むのはよそう。今は仕事の事を考えないと。
ラノベ作家としての俺のペンネームは黒烏。そう、実は異世界で名告ったクロウという名前はペンネームのもじりだ。マンションを貰ってから引き籠もり気味の生活を送っていたが、ある時暇潰しに書いたラブコメもどきをネットの投稿サイトに上げてみたら意外に評判になって、あれやこれやの挙げ句に出版する事になったんだよな。それから一~二年に一冊のペースで本を書き上げて、印税で慎ましく暮らしている。家賃が要らずに引き籠もりなら、何とか生活していけるんだよ。とは言え、ネットで連載していた前作を出版用の原稿に仕上げてから三ヵ月。そろそろ次の作品をネットに上げないと忘れられそうだしな。何かネタはないか、と……。
いっその事、異世界生活の事をネタにしてみるか。実体験に基づいてるから、リアルな点は保証できる。しかし、引き籠もりオタクの異世界生活なんて読者に受けないだろうから主人公は異世界の少年にして、従魔たちをこれに絡ませて……。
おや、誰か来たようだ……。
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別にホラー小説的な展開があった訳じゃなくて、普通に保険の勧誘だった。小説のネタを考えるのはひとまず後にしよう。それよりも、向こうでやるべき事を考えないと。
何か、最近は向こうでの生活の方が充実してるよな。俺、本当は向こうで生まれたのが、何かの手違いで日本で育ったんじゃないかとすら思えるよ。
さて、今日も向こうの世界へ出かけるとするか。今日持っていく物は、と……。
準備はよし、さあ、行くか。
本日更新のもう一話は、新たな章の話になります。




