第百五十一章 王都イラストリア 1.版画『災厄の岩窟』後日談
その日、珍しい事にイラストリア王城から少し離れた一画にある宰相の屋敷で、主の私室から口汚く罵り合う声が聞こえた。
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「……で? その苦虫顔の原因は何なのだ?」
これまた珍しい事に、国王執務室に入ってまで苦虫を噛み潰したような表情を崩さない宰相に、腹を括った様子の国王が問いかける――好奇心三割、諦め七割という顔付きで。
「……申し訳ございませぬ。……パトリックの愚か者めが……」
依然として忿懣遣る方無いといった様子で口籠もる宰相。
その言葉を聞き、はて、パトリックというのは何者だったか、と内心で首を捻りかけたところに、意外にもローバー将軍からその答えが聞かされる。
「パトリックてなぁ、ご友人のハーコート卿の事ですかい? 骨董道楽の?」
あぁ、そうだ。そう言えば、シャルド遺跡の探索に引き込んだ貴族の三男坊がそんな名前だった。しかし……その道楽貴族が何をやらかしたのだ?
「……その骨董馬鹿じゃ。昨晩、儂の屋敷を訪ねて来おって、こんな土産を寄越しおった」
土産が気に入らぬと言うだけで、宰相がここまで立腹するのか? 一体何を持ち込んだのかと、興味津々でその「土産」に目を遣る三人。
……問題の「土産」とやらは、絵葉書サイズ――この世界には絵葉書は無いのだが――の版画の一組のようであった。
「……こりゃぁ……」
「待て、宰相。これはまさか……」
「……『災厄の岩窟』……ですか……?」
口々に向けられた問いに、心底情け無さそうな表情でコックリと頷く宰相。珍しく潮垂れた様子が哀れを誘う。
「……しかし……これが『災厄の岩窟』だというなら……大手柄ではないのか?」
宰相が持ち込んだブツは確かに重要だが、しかしそれがなぜ苦虫面の理由になるのか判らない。
揃って首を傾げる三人に向けて、宰相が重い口を開いて言うには……
「……原画となったスケッチを、ハーコート卿が隠し持ってたんですかぃ……」
「本人には『隠し持つ』という意識は稀薄……と言うか、無かったようじゃがな。結論としてはそうなる」
どうも、元となったスケッチはマーカスの兵士が描いたものらしい。それを、どういう伝手を使ったものかハーコート卿が入手し、しかもその事を黙っていた。それが宰相の気に障ったらしいのだが……
「まぁ……好事家が掘り出し物を手に入れた場合、それを触れて廻るか隠し通すか、どちらかに分けられるそうですから……」
ハーコート卿は本質的に蒐集家であり、入手した原画を国王府に差し出すなどという発想は露ほども抱かなかっただろう。軍事情報などという観点で物事を見た事など、生まれてこの方あるかどうかすら疑問である。従って、単に好事家の習慣としてスケッチの事は黙っていたのだろうが……
「それを、例のクロウ画伯のところに持ち込んだ訳ですか……」
「うむ。そのスケッチ――これじゃがな――を画家が睨み通して呻吟した挙げ句、絵としてできあがったのがこれじゃそうな」
原画となったスケッチは、正確は正確なのかもしれないが、無味乾燥な見取り図のようなものでしかなかった。
それを、クロウという画家が――芸術家の目で見通して――一揃いの風景画に仕上げている。筆致の見事さもさることながら、この迫真の描写はどうだ。まるで、実物を見て描いたかのような出来映えではないか。
「……現物がそこにあるみてぇな感じだな……」
「確かに……スケッチを基にしておる以上、そこそこ正確なのであろうが……それにしても……」
スケッチ一枚からでっち上げたとは到底思えない出来映えである。
「……で、話を戻すが、何が気に入らぬのだ?」
「重要な軍事情報を掴んでおきながら、それを、選りに選って趣味のために用い、しかもそれを衆目に曝すなどと……」
仮にも王国貴族に連なる者が、国益を無視して私欲に走ったというのが、宰相の癇に障ったらしい。
確かに、そう言えばそうなのだろうが……目くじらを立てる程の事でもないような気がする。
「ま、まぁ、仮に我々が入手しても、ここまで活用できたかどうかは怪しいですし」
「それとこれとは別問題じゃ。早めに知っておけば、それなりに知恵を巡らす暇もあったろうにと考えると……」
忿懣遣る方無いといった体の宰相をなんとか宥め、問題の版画の検討に戻る。
描かれているのは岩山の一つ、恐らくは中央に位置するものであろうが……
「……残念ながら、岩山の並びは描かれてねぇか……」
「元のスケッチに描かれてないですから、これは仕方がないでしょう」
しかし、それでも人物との対比で、岩山の大体の大きさは判る。
「こんなもんが一晩で生えたのかよ……」
「……これだったら城の一つや二つ、造作も無く造れそうですね……」
「テオドラムもマーカスも、頭が痛い事であろうな……」




