第百四十九章 災厄の岩窟~出水~ 2.マーカス側陣地
「災厄の岩窟」で、より正確に言えば「災厄の岩窟」のテオドラム側の領域で起きた出水は――誰一人として予想もしない形で――マーカスに、そしてクロウたちに影響する事になった。
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「……井戸の水位が低下した?」
部下から珍妙な報告を受けて首を捻っているのは、マーカスの「災厄の岩窟」監視部隊の指揮官を押し付けられた――註.本人視点――ファイドル代将である。
代将が首を捻るのも道理。その報告は、マーカス側の監視陣地の周辺に残っている井戸の水位が一時低下するもやがて復帰したという、理解に苦しむものであった。テオドラム側で発生した出水騒ぎの事を知らなければ、確かに理解に困る内容には相違無い。
「……水位が低下していたのはどれくらいの間だ?」
「およそ半日……いえ、もっと短かったかもしれません。全ての井戸で報告があった訳ではありませんが、これは単に気付かなかったという可能性もあります」
「ふぅむ……原因と考えられるのは?」
「それが……少なくとも川の流量などには何の変化も見られず……」
質問を受けた部下の答えも歯切れが悪い。事情が解らないのは彼も同じなのだ。
しばし考え込んでいた代将は、やがて顔を上げると、内容を吟味するかのようにゆっくりと話し出す。
「……川の流量に変化が無く、井戸の水位にだけ変動があったのなら、原因は地下水だろう」
居合わせた副官も黙って頷きを返した。しかし、代将が発した次の言葉は、その副官の意表をすら衝くものであった。
「……他ならぬこの場所で、地下に何らかの異変が起きているとすれば、それはダンジョンでの事だろう。我々が何の異変も把握していない以上、その異変はテオドラムの領内で起きたと考えるべきだろう」
「……テオドラムが水脈に干渉したと仰るのですか?」
「我々でなければ連中だろう。違うか?」
――違うとは言えないが、正しいとも言いにくい。
確かにダンジョン内――正確にはダンジョンの奥に位置する非ダンジョン部――で出水騒ぎを引き起こしたのはテオドラムであるが、それは彼らが意図したものではなく、況して――
「河川からの水路を使えるとは言っても、我々も飲料水としては井戸水を利用しているからな。その井戸に干渉して利益を得るのは、いや、それ以前に井戸の水位に干渉しようなどと考える者が、テオドラム以外にいるか?」
……ファイドル代将が疑っているように、マーカスへの干渉を狙ったものではない。
「しかし……仮にテオドラムがそういう悪巧みをしたとしても……」
していないと言うのに。
「……上流に位置するのは我々の方です。下流側のテオドラムに、そこまで水位に干渉する事ができるでしょうか?」
「上流下流というのは、あくまで地上の川から見ての話だろう? 地下水の流れは違うかもしれんぞ?」
「災厄の岩窟」が位置しているのは太古の湖成層の、換言すれば太古の湖の跡だという事は、これまでにも何度か言及してきた。そして問題の地下水脈は、この太古の湖へと水を供給していた水路がそのまま埋没したものであった。この辺りの地史的な問題などはここでは詳論しないが、とりあえず河川の流路と地下水脈は一致しないという事だけ解ってもらえれば良い。
「……そこまで地下水脈に通じた者がテオドラムにいるとは思えませんが……」
「確かに、最初の水脈を発見したのは偶然かもしれん。しかし、それ以降も水脈を探し続けていたとなると、そこに悪巧みの痕跡を見るのは、儂の考え過ぎか?」
「いえ……軍人としては妥当な対応かと……」
「それにだ、偶然だろうが何だろうが、テオドラムが我々の井戸水に干渉できるのなら、ただ座視しておく訳にはいかん」
「……どう、しますか?」
「決まっている。我々も地下水脈とやらを探すんだ」
何やら妙な方向に事態が曲進していくようだが、副官にしても何ら疑問は抱いていないらしい。
「テオドラムのやつらが井戸を掘ったのなら、ダンジョン化していない領域の筈だ。……恐らく、奥の方だ」
「成る程……確かにダンジョンの壁であれば破壊不能の筈ですからね」
斯くして、テオドラムに続いてマーカスまでも、地下水脈の探索に邁進する事になったのである。
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『……妙な事になってきたな』
ケルからの報告を受けたクロウは、事態が予想の斜め方向に進んでいる事に対して、困惑を禁じ得なかった。
『とりあえず、ダンジョンの領域は拡大する事になりますね……』
『そうだな……』




