第百四十七章 砂糖混迷録~謀議は踊る~ 2.テオドラム王城(その1)
亜人たちが提供を始めた砂糖、および砂糖を利用した一連の菓子は、テオドラムにとっても無視できない問題を孕んでいた。
「……やつらの狙いが解らん。亜人風情が本気で我々と事を構えるつもりなのか?」
力無くぼやいたのはトルランド外務卿。それにむっつりとした様子でファビク財務卿が応じる。
「このところ、砂糖の販売益が少し増えている。原因は亜人どもが広めた菓子類のせいらしい」
「……あの菓子類を自作している者がいるというのかね?」
「少なくとも自作を試みている、あるいは、試行錯誤をしている者はいるようだ」
「その結果、砂糖の消費量が増えたと?」
国務卿たちは揃って意外そうな声を上げた。亜人たちの行動が、テオドラムの国益に適うものであったと言うのか?
「現時点では結果的にそうなっているというだけだ。解釈を急いてはならん」
「だが、亜人どもが今のペースで……いや、仮に十倍の量の砂糖を市場に流したとしても、我が国の販売量を脅かす事はできまい?」
レンバッハ軍務卿の疑念に――不機嫌そうに――答えたのは、トルランド外務卿であった。
「商業的な利益だけをみればそうかもしれんがな、我が国が砂糖という外交カードを失いつつあるのも事実なのだよ」
「……外交、か……」
そう。クロウたちが目論んだ事の一つが、砂糖というテオドラムの外交カード――それも重要な一枚――の価値を下げる事であった。
経済的な影響については、亜人たちが大々的な砂糖の生産に乗り出すまではさして期待できないだろうと見越していた。即効的な効果としては、寧ろテオドラムの外交オプションを奪う事の方が大きいだろう。
ちなみに、クロウが狙った効果の最大のものは神経戦であったりする。
「……我が国が被りつつある影響についてはともかくとしてだ、亜人どもの狙いの方は、やはり判らんな」
「狙いもそうだが、他にも腑に落ちん事が幾つかある」
ラクスマン農務卿の呟きに、居並ぶ国務卿たちが揃って彼の方を向く。
「第一に、亜人どもの間にいきなり洗練された形で砂糖文化が現れたのはなぜか? 第二に、なぜ亜人なのか? そして第三に、第二の問いとも関連するが、亜人と砂糖のいずれが先だったのか?」
「……済まんが、第三の点について、もう少し解り易く説明してくれんか?」
「あぁ。第一の問いから推測されるように、高い砂糖文化を持つ何者かが亜人に協力している可能性が高い。その点を踏まえて、要は亜人を助ける目的で砂糖を持ち出したのか、砂糖を売る方便の一つとして亜人に接近したのか、という事だ」
成る程、これは重要な点だ。黒幕の目的が亜人にあるのか砂糖にあるのか、それを読み違えると、根本的なところで対応を間違える可能性がある。
「要は黒幕の正体か……」
「と言うより、その意図だな」
「ふむ……」
一同考え込む中で、ジルカ軍需卿が怖ず怖ずと口を開く。
「第三の問いだが……亜人が先という事になると、最初から亜人たちが我が国に敵意を抱いていた、そういう事になるのか?」
「そう……なるだろうな」
「だが……なぜだ?」
テオドラム王国と亜人との確執は、それこそテオドラム建国当初にまで遡る。遊牧民に追われた難民が流浪の果てに現在のテオドラムの地に辿り着き、入植……というか建国のために森を伐り拓こうとして、森の住民である亜人たちの妨害に遭ったのが抑の始まりであった。
要は森の民である亜人と農民であるテオドラム国民の、土地を巡る対立が発端なのだが、それ以来、亜人は国の敵であるとして、国是としての亜人敵視が罷り通ってきたのがテオドラムという国であった。ちなみに、無計画に――と言うか、ほとんど衝動のままに――森を破壊してきたテオドラム国民に対しては、亜人だけでなく精霊や魔族、魔物に至るまでが不快感と敵意を示している。更に言えば、より多くの農地を求めて代々膨張主義的政策を採ってきたテオドラムという国は、周辺国との軋轢や紛争にも事欠いていないのが現状である。
ともあれ、斯くの如き次第で亜人と敵対している自覚はあるが、仮にも国家を敵に回すほどの事態に至った理由がもう一つ解らない。亜人を追い出したのは事実だが、それは建国当初の話であり、今となっては歴史的な事実でしかない。
唯一考えられるのは亜人どもを傀儡兵に仕立てた一件だが、あれとて奴隷として購入したものだ。奴隷をどう扱おうと、主人の勝手ではないか。
「……黒幕めは一体何が狙いなのだ?」
なぜ亜人に肩入れするのか? それとも……亜人に肩入れしているのではなく、テオドラムに敵対しているだけなのか?
どこの国――どう考えても国家レベル――が黒幕なのか?
容疑者は幾らでもいるが……敵対して利益を得る国は少ない筈。砂糖はともかく、穀物の供給元としてのテオドラムは、国際社会でもそれなりの存在感を有している。
亜人を巻き込んだのは、自分たちの身許を隠すためか? ……しかし、それも何かしっくりこない。現在までの動きを見ると、我が国に敵対というより、亜人に肩入れしている印象の方が強い気がする。だが、亜人への肩入れを国是とする国家など、かつて聞いた事も無いが……。ヤルタ教の一件もあるし、こうまで亜人に肩入れする理由のある者とは、一体何者なのだ? ……他国の亜人か?
奇しくもイラストリアの商人たちと同じような発想に至ったテオドラム。
「他国」を「異世界」と読み替えれば、あながち間違いではないとも言える。
「……確かにエルフなら、怪しの魔法で大陸間移動ぐらいするかもしれんな……」
それはどうかなと思った者もいたが、無視できない可能性なのは事実である。そう言えば……亜人どもは「連絡」会議とか名告っていなかったか?
「取り留めも無く可能性を論っていても始まらん。とりあえず、国内生産か国外生産かの検討から始めてはどうだろうか」
ラクスマン農務卿の提案に、国務卿たちは頷いて同意を示した。




