第百四十三章 テオドラム 1.テオドラム王城(その1)
話は少しだけ時間を遡る。
「イラストリアに不審の動きがあると?」
「些かな」
居並ぶ国務卿たちを前に説明しているのはマンディーク商務卿。内容は、先日経済情報局が拾い出してきた情報についてである。
ちばみに経済情報局とは、一昨年の小麦の不買運動から昨年の砂糖の件に至るまで、経済情報の収集が不充分であったがために後手に回ったとの反省を踏まえて、新たに創設された部局であり、商務卿直轄――ただし、人員は財務部からも出向――の情報組織となっている。軍務卿は自分の傘下にない情報組織ができる事に難色を示したが、軍人に経済情報の分析ができるのかと問い詰められてはどうにもならず、半ば渋々と――残り半分は、面倒な仕事を押し付けた事に安堵して――設立に同意したという経緯があった。
その経済情報局が、看過できない情報を拾い上げてきたのである。
「ふむ……説明してもらえるか? マンディーク卿」
「結論から先に言えば、イラストリアが新たな砦か要塞の建設を進めている可能性がある」
「何っ!?」
「どういう事だ!」
マンディーク商務卿の説明によれば、こういう事だった。
イラストリア王国内での物価や商品の動きを見ていると、王国による建築資材の購入が増加している事が判る。それに加えて、このところ工兵部隊が密かに活動している事を示唆する情報がある。軍事行動の予兆が無い事を考え併せると、王国の肝煎りで、何らかの建設作業が進められているとの結論に至らざるを得ない。しかも、その建設が秘密裡に進められているのなら……
「成る程……何らかの軍事拠点を、しかも秘密裡に建設している公算が強い、か」
誤解である。
イラストリア王国が建設しているのは、軍事拠点ではなく氷室である。
今年の夏には冷蔵箱が実用化される運びとあって、官民挙げての懸命な作業が進められているのだ。その作業が秘密裡に行なわれているのは事実だが、その理由は軍事行動とは全く関係無く、余計な地上げや買い占めを防ぐのが目的であった。
冷蔵箱自体は、補給という点で軍の兵站能力に大きく寄与する事が期待されているので、その点では戦略行動の一端と言えなくもないのだが。
「……冗談ではないぞ」
「マーカス、モルヴァニア、ダンジョンマスターと、厄介な連中を相手にしているというのに……」
「この上、イラストリアまで相手にする余裕は無い」
ざわつきだした国務卿たちであったが、その中にあって数名だけは、黙って何やら考え込んでいる。
「しかし……なぜだ?」
口に出して言ったのはレンバッハ軍務卿。その発言に、ざわついていた空気がすぅと静まりかえる。
「どういう事かな? レンバッハ卿」
「いや……これが自国の領土外に拠点を設けるというなら秘密にするのは当然だが、現在のところそれを示す情報は入ってきておらん。一方で、国内に拠点を設けるならば、それは我々の侵攻を予想しての防衛拠点の構築だろう。だが、現在のところ我が国には侵攻作戦を発動する程の余裕は無い。イラストリアにもそれくらいは解っている筈だ。なのに、イラストリアはこの時期に、何を急いでいるのかと思ったのが一つ」
「一つ? ……二つ目は何かね?」
「秘密にする理由だ。もしも我々の軍事行動を抑止しようというなら、隠すような真似はせず、寧ろ見せつけるように動く筈。そうでない以上、抑止効果を狙ってのものとは思われぬ。しかし、我が国への奇襲でも考えているのならともかく、なぜ秘密裡に建設せねばならんのか。この食い違いが二つ目だ」
レンバッハ卿の解説に、それもそうかと納得し、そして困惑する一同。一体、何が起ころうとしている?
「……ジルカ卿も何やら思うところがおありのようだったが?」
「いや、私の疑問もレンバッハ卿と同じでな。イラストリアの行動が、少なくとも軍事的にはちぐはぐに思えた。付け加えるなら……」
「付け加えるなら?」
「イラストリアの国内で資材を調達した以上、建設の場所も国内の可能性がやや高いかな、と」
「……ラクスマン卿は?」
「うむ……マンディーク卿、イラストリアの妙な動きというのは、他には無いのか?」
ラクスマン農務卿の質問に対して、
「他にと言うと……酒造ギルドの動きかな。何やらコソコソと動いてはいるようだが、その割りにビールに対する警戒が妙に薄いような気がする」
「ほう?」
「いや……もしもビールを脅威に思っておるのなら、事業を整理するなり、設備を強化するなり、原料の確保に走るなり、何らかの動きがある筈。しかし実際には、小規模のビール醸造業者が幾つか廃業したのを除くと、それらしき動きが見当たらん」
「……なのに、イラストリアの酒造ギルドは何か動いている?」
「そういう事だ」
考え込んだラクスマン農務卿を尻目に、トルランド外務卿が問いを発する。
「先程の建築資材だが、酒造ギルドが発注したという事は?」
「それは無い。発注元は王国になっている」
「発注元を隠すような素振りは?」
「そこが不可解でな。別段隠そうともしておらん」
「……工兵の動きは隠そうとしていながら?」
「そういう事だ」
確かに色々とちぐはぐである。
「こうしていても始まらんな。事情が判らぬ以上、判るような手だてを講じるべきだろう」
「……密偵を?」
「冒険者上がりの者を選んで、それらしく偽装して送り込むとしよう」
古生物学者のアインベッカー教授がテオドラム王城で自説を開陳してから八日後、丁度クロウが海から引き上げてきた古酒の試飲会をやっていた日の事だった。




