第百四十二章 「災厄の岩窟」 2.ヴィンシュタット
「何だか、偉い学者の先生が、どこかへ引っ越すんだそうです」
その噂話を最初に聞き込んできたのは、お使いに出ていたハクであった。
「学者ぁ?」
「学者って、あれか? しかめっ面して、ブツブツ呟いて、年中机に向かって、妙な事ばっかり調べてる?」
「カイト……あんたの学者観って、どこから来てるの? 妙に具体的なんだけど?」
「ガキの頃住んでた町の神官さんが、そんなんだったんだよ。悪い人じゃなかったけど、何か考え出すと周りの様子なんか見えなくなって、往来の真ん中で立ち止まって考え込むんで、みんな呆れてたんだ」
「へぇ……」
「だが、大体学者ってのはそんなものじゃないか? まぁ、それは良いとして……」
「そうね。ハク、その先生って?」
「えーと……大昔の生き物を調べてるんだそうです。それで、大事な調べ物をするんで、引っ越すんだって噂してました」
この噂は、少し詳しく調べた方が良いかもしれない。
互いに目配せで相談を纏めたマリアとハンクは、他に何か聞き込んだ事があったら報告するように、爬虫人の兄弟に言い含めた。
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「……で? 何が判った?」
その晩、夕食を終えたハンクたちはカイトの部屋――一応この屋敷の主人という事になっているので、広い私室が与えられている――に集まっていた。討議の口火を切ったのはハンクで、聞き込みに出ていたバートとマリアへ向けて問いかけた。
「んじゃ、俺から話すわ。噂の先生ってなぁ学院の教授で、ハクの言ったとおり大昔の生き物の権威だってぇ話だ。名前はアインベッカー。歳の割りに矍鑠とした爺様らしい」
「古生物学ってやつか? だとしたら、発掘調査に行くだけか?」
「それがな、行き先はニコーラムってぇ話だ」
「ニコーラム……ご主人様の『災厄の岩窟』の近くだな」
「ちょいと面白ぇ話だろうが?」
バートに続いてマリアが報告する。
「……とは言っても、大体はバートが聞き込んだのと同じ内容ね。他にはというと……そうね、引っ越しが決まったのは五日以上前……およそ七日程前の事みたいね」
「七日前……何かあったっけな?」
「カイトとバートがご主人様に蒸溜酒を強請ったのが、その頃じゃないか?」
「ちょっ! 幾ら何でも、そんな事が原因な訳、無いだろうが! ……無いよな?」
「……多分、な」
「はぁ……ハンクもからかうのはそれくらいにしときなさい。幾ら古いワインだからって、古生物学の教授が興味を持つ程じゃないでしょう」
「ワイン道楽なのかもしれませんよ?」
「フレイ……あなたまで、ハンクの尻馬に乗るのは止しなさい」
溜息を吐くマリアの隣でにやにやと笑っているハンクにフレイ、そんな二人を見てカイトとバートは些かお冠である。
「何だよ……冗談なら冗談と、最初から言えよ……ったく」
「……まさかと思いますけど……カイトさん……?」
「いや、俺は冗談だと解ってたぜ? カイトはどうか知らんが」
「ちょっ! バート、裏切る気かよ!?」
収拾がつかないと見たか、ハンクが騒ぎに割って入る。
「そんな事より、他に何か思い当たる事は無いのか?」
「時期という点では思い当たりませんね。けど、大昔の動物って言ったら……」
「……『岩窟』で掘り出された骨の事よね、やっぱり……」
「もしくは石炭、だな」
「あぁ……そっちもあったわね……」
「けど、石炭だとしたら、間が空きすぎていませんか?」
「……それもそうか。……という事は、やはり骨が本命か?」
しばし考え込んだ一同であったが、憶測ばかり逞しくしても仕方がないとばかりに、ハンクが話をぶったぎる。他に聞き込んだ内容は、と問いかけたところで……
「あ、じゃぁ僕から。と言っても、聞き込んだのはシュクですけど」
と、いいながら、フレイはシュクが聞き込んだ内容をかいつまんで説明する。
「本をニコーラムへ送った?」
「結構な量だったそうですよ」
「退屈しのぎかな?」
「まぁ、無聊を慰めるというのも確かにありそうだが……普通に考えれば、資料だろう」
「と、いう事は」
「あぁ。単なる採集旅行ではない気がするな。どちらかというと、『災厄の岩窟』に近い場所で、情報を整理分析するのが目的かもしれん」




