第百四十二章 「災厄の岩窟」 1.テオドラム王城
「あの場所には石炭は無いと言うのか?」
時は新年祭の終了から七日後、所はテオドラム王城の大会議室。
国王の問いが向けられた先にいるのは白髪にして長い顎鬚と口髭――ともに白い――を蓄えた老人である。国王を始め国務卿たちが並んでいる中、老教授は静かに思うところを述べていく。
「はい。骨が出土した辺りを丹念に探してみましたが、残りの骨は見つかりませなんだ」
「教授、今は骨の話をしているのではないのだ」
堪りかねたような声音でトルランド外務卿が詰りの声を上げるが、教授は落ち着いた様子でそれに応える。
「お待ち下され。この老人とて然様な事ぐらいは心得ております。僕が申し上げたきは、骨の出土状況」
「出土状況?」
「はい。抑獣がその場で死んだのであれば、骨の一部しか残っておらぬというのはいかにも奇妙」
「……他の獣が屍体を銜えて運んだという事もあろう」
「それでも、ある程度は纏まっておるのが普通でございます。詳しい事はいずれ報告書を出しまするが、木の葉や魚の骨、貝殻などが出土いたしました事から考えて、あの場はかつて湖の底ではなかったかと」
「なに!?」
「湖の底だと?」
驚きの声を上げる国務卿たちをちらりと眺め、教授は恭しく国王への説明を続ける。
「仮に湖の底であったと致しますと、石炭を生む程の大量の木材が集まっていたとは考えられませぬ」
教授の説明を聞いた国務卿たちからも、確かに木なら水に浮くな、などという――少しピントのずれた――呟きが漏れる。
「……教授はどう考える?」
「は。木の葉が出土いたしました事から、彼の場所の近くに森があった事は確実かと。ならば、あの場所から少し離れた場所を新たに調べるのがよろしかろうと愚考いたします次第」
「ふむ……教授はどれくらい離れたが良いと考える?」
「さて……問題の湖の大きさが判りませぬのでな……まぁ、数百メートルも離れれば、大概は大丈夫かと」
教授の答えに国王は、そして居並ぶ国務卿たちも、呆れたような視線を向ける。遮る物のない地上ではないのだ。地中を数百メートル掘り進むなど、どれだけ大変か解らないのか、この爺は。
「いえ。骨があった場所の地上から数百メートル移動して、その場所を掘れば良いのでは?」
教授の答えに一同は思わず顔を見合わせる。そう言えば、件のダンジョンの詳細は、一般には公開していなかった……。
「それが難しいのだよ」
一つ咳払いして話し出したのはレンバッハ軍務卿。ダンジョンの調査に当たっているのが兵士である以上、その上官たる自分が説明すべきだろうと考えての事である。訝しげに眉を上げた老人に向かって、軍務卿は説明を続ける。
「ダンジョンへ降りて行く道は不規則な螺旋を描いておってな、降りた先がどこなのか特定できん。その上に、そこからの坑道も不規則に別れ、折れ曲がっておってな。しかも所々で壁は堅く、槌も鶴嘴も受け付けぬ。仮に地上から掘り進んだとしても、果たしてダンジョンの壁を突破できるかどうか……」
「成る程……」
得心がいったというように頷く教授。
「であれば……掘れるところを掘るしかございますまい。可能な限り遠くへ。僕に言える事は、今はそれくらいでございますな」
「それ以上は無理か」
「新たな標本が得られれば……それについてお願いしたき儀がございます」
「申してみよ」
教授は恭しく国王に一礼すると、ダンジョンへ移動する許可を願い出た。
「前回の標本が王都へ届くまでに、実に十七日を要しております。これでは迅速な行動は起こせませぬ。僕が『岩窟』へ移動すれば、それだけ早く標本を分析し、指示を出す事が可能になります」
確かに筋の通った要求である。筋は通っているのだが、しかし、百歳を目前にしたような老人を最前線に送り出すなど無理な話だ。老人特有の我が儘と頑固さで、前線指揮官を困らせるのが目に見えている。
国王はしばし国務卿たちと額を寄せ合って相談していたが、やがて裁可を下した。
「教授の意見は尤もであるが、いまだ危険度が把握できぬダンジョンに、学界の重鎮たる教授を派遣する事などできぬ。ニコーラムに教授の仕事場を用意させよう。そこからなら国境は指呼の間。教授の望む迅速な行動と、我らが望む安全を、ともに確保できよう」
「ははっ、仰せのとおりに」




